第49話 緑の奇跡

 サラが光の粒子となって消えてから、どれくらいの時間が経っただろうか。

 俺とアンナは、ただ呆然と、彼女がいた空間を見つめていた。グレイグーの脅威が去った、がらんどうの地下ドームは、まるで巨大な墓標のように、静まり返っていた。


「……行こう、アンナ」

 俺は、いつまでも泣きじゃくるアンナの肩をそっと抱いた。「帰らなきゃ。みんなが、待ってる」

「……うん……」

 アンナは涙を拭うと、こくりと頷いた。


 俺たちは、再び、あの長いメンテナンスシャフトを登り始めた。

 下る時とは比べ物にならないほど、その道のりは長く、そして重く感じられた。

 俺たちの心には、世界を救ったという達成感よりも、サラを失ったという大きな喪失感が、深く刻みつけられていた。


 地上に出ると、太陽の光がやけに眩しかった。

 そこには、ザギとキバ、そして議長のクロンカイトたちが、心配そうな顔で俺たちを待っていた。


「ユウキ! アンナ!」

 ザギが駆け寄ってくる。「無事だったか! 一体、下で何が……。サラは、どうした?」

 俺は、何も答えられなかった。

 ただ、力なく首を横に振ることしかできなかった。

 その仕草だけで、すべてを察したのだろう。ザギもキバも、悔しそうに唇を噛み締め、俯いた。


「……そうか……。彼女は、やり遂げたのだな」

 クロンカイトが静かに言った。「我々は、モニターでグレイグーの消滅を確認した。君たちのおかげだ。いや、君たちと、彼女のおかげで、この星は救われた。……ありがとう。心から、感謝する」

 再生委員会の老人たちが、俺たちに向かって深く、深く、頭を下げた。


 その日の午後、アークシティの全機能が回復した。

 レオンの操作によって、都市全体を覆っていた、偽りの空を映し出すカモフラージュスクリーンが、ゆっくりと開かれていく。

 そして、二百年以上もの間閉ざされていたアークシティの天窓から、本物の、鈍色の太陽の光が差し込んできた。


 俺たちは、アークシティの展望デッキに立っていた。

 そこから、俺たちの故郷、フロンティアの村が、豆粒のように小さく見えた。


「……これから、どうするつもりだ?」

 俺は、隣に立つクロンカイトに尋ねた。

「我々か? 我々は、贖罪をせねばなるまい」

 彼は、穏やかな顔で言った。「我々は、このアークシティの技術を、すべて地上に生きる人々のために解放するつもりだ。もはや、管理する時代ではない。共に手を取り合って、この星を再生させていく時代なのだ」


「……」


「そして、ユウキ君。君には、その中心に立ってほしい。君の、ポテトの知識と、我々のテクノロジー。その二つが合わされば、この錆びた大地を、緑豊かな楽園へと変えることも、夢ではあるまい」

 それは、破格の申し出だった。

 俺は、望めば、この世界の王にさえなれるのかもしれない。


 だが、俺は静かに首を振った。

「……俺は、ただのポテト農家ですよ」

 俺は、フロンティアの村を指差した。「俺のいる場所は、あそこです。仲間たちと畑を耕し、新しいポテトを作って、みんなで笑いながらそれを食べる。……俺の望みは、それだけです」


「……そうか。君らしい、答えだな」

 クロンカイトは、少し寂しそうに、しかし嬉しそうに微笑んだ。


 俺たちは、フロンティアへと帰ることにした。

 ザギとキバは、ポテトナイツの仲間たちに、無線で俺たちの無事と勝利を伝えた。村は、今頃、歓喜に沸いていることだろう。


 だが、俺たちの心は、まだ晴れなかった。

 サラのいない、フロンティア。

 彼女のいない、勝利。

 その事実が、ずしりと重くのしかかっていた。


 数日後。

 俺たちは、再び、フロンティアの村の入り口に立っていた。

 ダントさんやギデオン長老、村人たちが、涙ながらに俺たちを迎えてくれた。

 俺たちの、長い、長い旅が、ついに終わったのだ。


 だが、その時だった。

 村人たちの中から、一人の子供が叫んだ。

「……見て! あれ!」


 子供が指差す、東の空。

 俺たちが旅してきた、荒野の方角。

 その錆び色の大地が、地平線の彼方まで、一面、緑色に染まっているのだ。


「な……なんだ、あれは……!?」


 俺たちは、何が起こっているのかわからず、呆然と、その光景を見つめた。

 それは、ただの草ではなかった。

 大地を覆っているのは、青々としたポテトの葉だった。見たこともない、力強い生命力に満ち溢れたポテトの畑が、荒野の果てまで広がっている。


 そして、その緑の葉の間から、いくつもの、小さな白い花が、一斉に咲き誇っていた。

 まるで、荒野に雪が降ったかのように、どこまでも、どこまでも、白い花畑が続いていた。


「……サラ……」

 アンナが、涙声で呟いた。


 そうだ。これは、サラだ。

 彼女が最期に、光の粒子となって大地に降り注いだ、彼女の生命そのもの。

 彼女は、ポテトの女神となって、この荒廃した世界に、最後の、そして最大の奇跡をもたらしてくれたのだ。


 彼女の憎しみは浄化され、彼女の愛は緑となった。

 ポテトを憎んだ少女は、世界で最もポテトを愛した少女となって、この大地に、永遠に生き続ける。


 俺は、その、あまりにも美しく、そしてあまりにも優しい光景を前に、ようやく、涙を流すことができた。

 頬を伝う、温かい、しょっぱい涙。

 それは、悲しみの涙ではなかった。

 感謝と、そして、未来への希望の涙だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る