第48話 最後の微笑み
サラの体にルナポテトの高濃度エキスが注入された瞬間、彼女の体は凄まじい勢いで変容を始めた。
体から青白い光が溢れ出し、その光は植物の蔓のように彼女の全身へ絡みついていく。
髪は月光を浴びたように銀色に輝き、瞳は深く、慈愛に満ちた翠色へと変わっていった。
「サラ……!」
アンナが悲鳴のような声を上げる。
サラの体は、もはや人間のそれではなかった。
彼女は、まるでポテトの精霊、あるいは女神そのもののような、神々しい姿へと変貌を遂げていたのだ。
彼女の背中からは光でできた巨大な根のような翼が生え、その体からはガーディアンの蔓が無数に伸びていく。
それは、彼女が自らの意志で、自らの体を究極のポテトへと作り変えた姿だった。
グレイグーが生み出した銀色の巨人が、その腕を振り下ろす。
だが、サラ――いや、『ポテトの女神』となった彼女は、それを自らの体から伸びた無数の光の蔓で、いともたやすく受け止めた。
「……私の前で、生命を弄ぶことは許さない」
その声は、サラのものでありながら、どこか遥か高みから響いてくるような、荘厳な響きを持っていた。
彼女は、銀色の巨人を光の蔓で完全に拘束した。
そして、その蔓を通じて、銀色の巨人の体を逆に侵食し始めたのだ。
ナノマシンの集合体である巨人の体は、サラの生命エネルギーそのものである蔓によって、その構造を内側から破壊されていく。
銀色の巨人は苦悶するようにその姿を維持できなくなり、やがて元の液状のナノマシンへと戻っていった。
「……すごい……」
俺は、そのあまりにも神々しく、そしてあまりにも哀しい戦いを、ただ見つめることしかできなかった。
サラは、自分自身を犠牲にすることで、俺たちのための道を作ってくれたのだ。
「……ユウキ……早く……!」
女神の姿となったサラから、かろうじて元の彼女の声が聞こえてくる。
「私の力も……長くはもたない……! 早く、ポッドを……!」
彼女は、グレイグーの中心核の活動そのものを、命がけで抑え込んでいるのだ。
俺はハッと我に返った。
サラの覚悟を、無駄にするわけにはいかない。
「行くぞ、アンナ!」
「……うん!」
俺とアンナは、農業用ポッドに駆け寄った。
俺は、ブラックホールポテトが確実に中心核に命中するように、最終的な座標を入力する。
アンナは、彼女のペンダントをポッドの弾頭部に掲げていた。ブラックホールポテトの暴走を、その力でぎりぎりまで抑え込むためだ。
「……発射準備、完了!」
俺は、発射スイッチに手をかけた。
だが、その手が震えて動かない。
これを押せば、世界は救われる。
だが、サラは……。
「……ユウキ!」
アンナが、俺の手を上から強く握った。「……大丈夫。サラさんは、わかってる。私たちも、覚悟を決めなきゃ」
彼女の瞳には涙が溢れていた。だが、その光はどこまでも真っ直ぐだった。
「……ああ」
俺は頷いた。
そして、俺とアンナは、二人で一緒に、発射スイッチを強く押し込んだ。
ゴオオオオオッ!
農業用ポッドが、轟音と共に起動した。
弾頭部にセットされたブラックホールポテトが、漆黒の光を放ち始める。
そして、ポッドは一直線にグレイグーの中心核へと突入していった。
ポッドが湖面に到達した、その瞬間。
音も、光も、すべてが消えた。
ブラックホールポテトが、その無限の引力を解放したのだ。
グレイグーの湖が渦を巻き始め、その中心にある一点の『無』へと、凄まじい勢いで吸い込まれていく。
周囲の壁も、瓦礫も、光さえも、すべてがその漆黒の点へと飲み込まれていった。
世界を滅ぼした元凶が、今、それ自身よりもさらに強力な『無』によって、消滅していく。
世界の終焉と創生を、同時に見ているかのような、荘厳な光景だった。
「……終わった……」
やがて、すべてのナノマシンが吸い込まれ、後には静寂だけが残された。
そして、その中心には、ビー玉ほどの大きさの、完全に安定した漆黒の球体が、静かに浮かんでいるだけだった。
俺たちは、勝ったのだ。
だが、その代償は、あまりにも大きかった。
ふと見ると、サラの体が、ゆっくりと光の粒子となって消え始めていた。
彼女は、最後の力を振り絞り、俺たちのほうを振り返った。
その顔には、もう苦悩も、憎しみも、哀しみもなかった。
ただ、すべてから解放された、穏やかな、慈愛に満ちた微笑みだけがあった。
「……ユウキ。……アンナ。……ありがとう」
彼女は、そう呟いた。
「……私のポテト……。……最後は、ちゃんと、人を救えたのね……。……父さん……」
それが、彼女の最後の言葉だった。
彼女の体は完全に光の粒子となり、その粒子はまるで種のように、アークシティの地下深くへと降り注いでいった。
「……サラ……」
アンナの、か細い声が、静寂に、ぽつりと落ちた。
俺は、何も言えなかった。
どんな言葉も、この、あまりにも大きな、喪失感を、埋めることはできないだろう。
ポテトの女神。
彼女は、世界を救い、そして、ただ、光の中に、帰っていった。
俺は、天を仰いだ。いや、天井か。
その、はるか上にある、地上では、きっと、いつもと変わらない、錆び色の空が、広がっているのだろう。
俺たちは、そこに、帰らなければならない。
サラのいない、明日へと。
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