第47話 ブラックホールポテト

「……ブラックホールポテト?」

 議長のクロンカイトが、信じられないといった顔で、俺の言葉を繰り返した。「そんなものが、存在するのかね? アルブレヒトの日誌にも、その名は、禁忌として記されているだけだったが……」


「ええ」と、俺の隣で、サラが静かに頷いた。「父さんは、そのポテトを恐れていました。偶然の産物だった、と。あまりにも異質で、危険すぎる、と……。だから、すべての種イモを処分したはずでした。……でも」

 彼女は、俺の顔を、まっすぐに見つめた。

「あなたは、それを作り出したというの?」


 俺は、黙って、懐から、鉛で内張りされた小さな箱を取り出した。

 その中には、たった一つだけ、奇妙なポテトが入っている。

 それは、光さえも吸い込むかのように、どこまでも黒く、そして、周囲の空間が僅かに歪んでいるように見える、異様なイモだった。


 フロートポテトをさらに突然変異させ、極限までエネルギーを凝縮させた結果、生まれた究極の突然変異種。

 周囲のあらゆる物質とエネルギーを、無限にその内部へと吸い込み続ける、文字通りの『生きたブラックホール』。


「こいつを、あの農業用ポッドで、グレイグーの中心核に直接撃ち込むんだ」

 俺の作戦を、レオンが驚愕の表情で補足した。

「……なるほど。ブラックホールポテトが、暴走するナノマシンを、その増殖速度を上回るスピードで吸収し、無力化する、と……。理論上は可能かもしれない。だが、あまりにも危険すぎる!」


「他に、方法はない」

 俺は、きっぱりと言った。「問題は、どうやって、アークシティの最下層部まで、こいつを運ぶかだ」


 モニターには、グレイグーの増殖によって崩壊しつつある、地下構造が映し出されている。エレベーターはすでに機能停止。通路も、各所で銀色のナノマシンの津波によって塞がれていた。


「……道は、一つだけある」

 クロンカイトが、重々しく口を開いた。「大崩壊以前に使われていた、緊急用のメンテナンスシャフトだ。そこを使えば、最下層部まで直接降りられるかもしれん。だが、そこもナノマシンの侵食が始まっているはずだ。生きてたどり着ける保証は、どこにもない」


「俺が行きます」

 俺は、迷わずに言った。

「待て、ユウキ!」

 ザギが、俺の肩を掴んだ。「お前一人に行かせるわけにはいかねえ!」

「そうだぜ! 俺たちも行く!」

 キバも、続く。


「いや」

 俺は、首を振った。「この役目は、俺にしかできない。ブラックホールポテトは、あまりにも不安定すぎる。俺の知識がなければ、途中で暴走させてしまうかもしれない」


「だったら、私も行くわ」

 アンナが、一歩、前に出た。「もう、あんたを一人にはさせないって、約束したでしょ。それに、私のこのペンダントがあれば、ポテトの力を安定させられるかもしれない」

 彼女の胸には、緑色の解毒石のペンダントが輝いていた。


「……アンナ」

「私もよ」

 サラも、静かに、しかし強い意志を宿した目で言った。「父さんが遺した最後の宿題だもの。私が見届けなくて、どうするの」


 俺と、アンナと、サラ。

 俺たち三人で、この最後の任務に挑むことになった。


 俺たちは、レオンに案内され、メンテナンスシャフトの入り口へと向かった。

 円形の巨大な縦穴が、奈落のような暗い口を開けている。

 壁面には、緊急用の梯子が、錆びつきながらも、かろうじて下へと続いていた。


「ここから先は、我々の通信も届かなくなるだろう」

 レオンが、悲痛な顔で言った。「君たちに、世界の運命を託すことしかできない……。すまない」

「気にするな。あんたたちは、地上の人間をフロンティアへ避難させてくれ。それが、あんたたちの役目だ」

 俺は、そう言うと、レオンの肩を叩いた。


 ザギとキバが、俺たちの装備を最終チェックしてくれる。

「……ユウキ、絶対に死ぬんじゃねえぞ」

「当たり前だ。帰ったら、あんたたちが作った新しいバイクに乗せてもらうんだからな」

 俺たちは、固い握手を交わした。


 そして、俺たちは、梯子に足をかけた。

 世界の未来を賭けた、最後の、そして最も深い場所への旅立ちだ。


 シャフトの中は、不気味な静寂と、金属の軋む音だけが支配していた。

 下へ、下へと降りていく。

 時折、壁の裂け目から、銀色のアメーバのようなナノマシンが滲み出してくる。

 その度に、アンナがペンダントをかざすと、ナノマシンの動きは一時的に鈍くなった。


「この石、ナノマシンにも効果があるのね……」

「おそらく、この石自体が、大崩壊以前の、ナノテクノロジーの産物なんだろうな」


 どれくらい降いただろうか。

 ついに、俺たちはシャフトの最下層、アークシティのまさに心臓部へとたどり着いた。

 そこは、巨大なドーム状の空間だった。

 そして、その中央には、銀色に輝く巨大な湖が脈動していた。

 グレイグーの中心核だ。

 その湖から、無数のナノマシンが触手のように伸び、周囲の壁を侵食し、増殖を続けている。


「……ひどい……」

 アンナが、息を呑む。

 この光景こそが、二百年以上もの間、この星を蝕み続けてきた病巣そのものだった。


 そして、湖のほとりには、俺たちが探していた旧式の農業用ポッドが、打ち捨てられるように鎮座していた。

 俺たちは、慎重にポッドへと近づく。


「……動くか、これ」

 俺は、ポッドのコンソールを操作した。

 幸い、非常用の最低限の動力はまだ生きていた。

 発射シーケンスも、機能するようだ。


「よし……」

 俺は、鉛の箱から、ブラックホールポテトを慎重に取り出した。

 手に取っただけで、周囲の空間が僅かに歪むのがわかる。

 こいつを、ポッドの弾頭部にセットする。


 すべての準備が整った。

 俺が、発射スイッチに手をかけようとした、その時だった。

 グレイグーの湖が、まるで俺たちの存在に気づいたかのように、激しく脈動を始めた。

 そして、湖面から一体の、巨大な人型の銀色の巨人が姿を現したのだ。


 それは、ナノマシンが自己防衛のために作り出した、ガーディアンだった。

 その巨人は、俺たちに向かって、その銀色の腕を振り上げた。


「……!」


 もはや、逃げる場所はない。

 俺は、覚悟を決めて、発射スイッチを押そうとした。


「――私が、時間を稼ぐわ」


 その声は、サラのものだった。

 彼女は、俺とアンナの前に立ちはだかった。

「ここは、私と父さんが始めた物語。だから、終わらせるのも、私の役目よ」


 彼女は、懐から一本の注射器を取り出した。

 中には、青白い液体が入っている。

 ルナポテトの、高濃度のエキスだった。


「サラ、何を……!?」


「さようなら、ユウキ。ポテト馬鹿の、お人よしさん。……あなたに会えて、よかった」

 彼女は、最後にそう言って微笑んだ。

 そして、ためらうことなく、その注射器を自分自身の腕に突き立てた。


 彼女の体が、青白い光に包まれていく。

 世界の終わりを前に、俺たちは、最後の、そして最も哀しい奇跡を、目の当たりにすることになった。

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