第40話 箱庭の平和

 再生委員会の兵士たちに取り押さえられた俺は、抵抗することなく、彼らに連行された。

 ザギやキバは、今にも飛びかからんばかりの勢いだったが、俺は、目配せで彼らを制した。今、ここで暴れても、勝ち目はない。それどころか、村人たちを巻き込んだ、無益な殺し合いになるだけだ。


 俺が連れていかれたのは、村で一番頑丈な、石造りの倉庫だった。かつて、サラが入れられていた、あの牢だ。

 鉄の扉が、重い音を立てて閉ざされる。小さな窓から、外の光が、わずかに差し込むだけ。

 俺は、英雄から、一夜にして、囚人へと成り下がった。


 それから、数日が過ぎた。

 フロンティアは、再生委員会の『管理』のもと、劇的な変化を遂げていた。

 監査官――彼の名は、ドクターアークライトというらしい――の指導により、大崩壊以前のテクノロジーが、次々と村に導入されていく。


 太陽光パネルが設置され、村は、夜でも煌々とした明かりに照らされるようになった。

 高性能な浄水プラントが稼働し、人々は、もう水に困ることはなくなった。

 そして、定期的に配給される、栄養バランスの取れたレーションと、万能薬。

 村から、飢えと、病の恐怖が、消え去ったのだ。


 村人たちの暮らしは、目に見えて、豊かになった。

 彼らは、新しい指導者であるサラを、そして、その背後にいる再生委員会を、救世主のように崇め始めた。

 俺のことなど、もう、誰も覚えていないかのように。


「……これが、あんたの望んだ、平和なのかよ」

 牢の窓から見える、平和で、活気のある村の光景を、俺は、ただ、無力に見つめることしかできなかった。


 食事は、毎日、決まった時間に、兵士によって運ばれてくる。

 それは、味気ないが、栄養価の高いレーションだった。

 俺は、それを、砂を噛むような思いで、口に運んだ。

 ホクホクの、蒸したポテトの味が、恋しくてたまらなかった。


 ある日の午後。

 牢の扉が開き、サラが、一人で入ってきた。

 彼女は、再生委員会が用意したであろう、清潔な白いワンピースを着ていた。以前よりも、少しだけ、顔色が良いように見えた。


「……息災のようね」

「あんたのおかげでな」

 俺は、壁に寄りかかったまま、皮肉を込めて言った。


「村は、平和になったわ」

 彼女は、俺の皮肉を意に介さず、静かに言った。「もう、誰も、何にも怯えることはない。これが、最善の道だったのよ」

「……」


「あなたにも、悪いようにはしない。委員会は、あなたのポテトに関する知識を、高く評価しているわ。いずれ、ここから出して、私の下で、研究を続けてもらうことになる。もちろん、委員会の、厳重な管理のもとで、ね」


「断る」

 俺は、即答した。「俺のポテトは、誰かに管理されるためのものじゃない。自由な大地で、自由に育ってこそ、本当の力を発揮するんだ」


「まだ、そんな夢みたいなことを……」

 サラは、呆れたように、ため息をついた。

「あなたは、この箱庭の中で、安全に、ポテトと戯れていればいいのよ。それが、あなたにとっても、村にとっても、一番幸せなことなんだから」


 彼女は、それだけ言うと、立ち去ろうとした。

 その時、俺は、彼女に尋ねた。


「……なあ、サラ。あんたは、本当に、それで満足なのか?」

 サラの足が、止まった。


「あんたは、自分の知識で、この村の農業を変えた。俺と、一緒に、新しいポテトを作った。あの時、あんたは、確かに、笑っていたはずだ。自分の力が、人の役に立つことに、喜びを感じていたはずだ。……今のあんたは、本当に、あんた自身の意志で、そこに立っているのか?」


「……!」

 サラの肩が、小さく震えた。

 彼女は、何も答えず、逃げるように、牢から出ていった。


 その夜。

 俺の牢に、思いがけない人物が、面会にやってきた。

 アンナだった。

 彼女は、見張りの兵士に、何かを渡して、僅かな時間だけ、俺と話す許可を得たようだった。


「ユウキ……!」

 鉄格子越しに、アンナは、涙ぐんでいた。

「ごめんなさい……私、何もできなくて……」

「お前のせいじゃない」


「サラさんは、村を守ろうと、必死なの。本当は、あんなこと、したくないはずなのに……。私には、わかる。彼女、毎晩、一人で泣いてるわ……」

「……そうか」


 やっぱり、そうだったのか。

 サラは、俺を裏切ったわけじゃない。

 彼女は、ただ、たった一人で、村のすべてを背負い込み、汚れ役を演じているだけなのだ。


「……アンナ、頼みがある」

 俺は、声を潜めた。「ザギとキバに、伝えてくれ。『ポテトの根は、まだ、死んではいない』、と」


「え……?」

「それだけでいい。彼らなら、意味がわかるはずだ」


 アンナは、戸惑いながらも、強く頷いた。

「わかった。必ず、伝えるわ」

 そして、彼女は、鉄格子の隙間から、小さな包みを、俺に差し出した。

「これ、隠して持ってきたの。元気、出して」


 彼女が去った後、俺は、その包みを開けた。

 中に入っていたのは、温かい、蒸したてのポテトだった。

 俺は、そのポテトを、ゆっくりと、一口食べた。

 懐かしい、土の匂いと、優しい甘み。

 それは、どんな栄養価の高いレーションよりも、俺の心と、体に、力を与えてくれた。


 ポテトの根は、まだ、死んではいない。

 そうだ。再生委員会は、地上のすべてを、管理できるかもしれない。

 だが、彼らは、知らないのだ。

 このフロンティアの、地下深くに、今も、脈々と張り巡らされている、巨大なネットワークの存在を。

 俺が作り上げた、生きた要塞『ガーディアン』。

 その本当の力が、まだ、眠っているということを。


 俺は、残りのポテトを、一気に口に放り込んだ。

 反撃の時は、近い。

 この、偽りの箱庭の平和を、俺のポテトで、根っこから、ひっくり返してやる。

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