第38話 束の間の平和、そして忍び寄る影

 再生委員会の監査官が去ってから、フロンティアには、本当の意味での平和が訪れた。

 ギアヘブンとの交易は、ポテトユニオンを通じて、以前よりも公正な形で再開された。バルトロは、再生委員会との板挟みで苦労しているようだったが、もはや俺たちに強く出ることはなかった。

 村は、ポテトウォッカとポチャップ、そして豊富な食料によって、着実に富を蓄えていく。その富は、ユニオンに加盟する他の集落にも分配され、フロンティアを中心とした共存共栄の輪が、少しずつ広がっていた。


 そして、俺たちのポテト開発も、新たな段階へと進んでいた。

「ユウキ、見てくれ! ポマトのソースを、樽で熟成させてみたら、すごく深みのある味になったぞ!」

「本当か、ダントさん! それは、もはやソースじゃなくて、ワインに近いかもしれないな!」


 食文化は、豊かさの象徴だ。

 パンプキンポテトを使った焼き菓子、数種類のポテトをブレンドした特製スープ、ポテトの蔓を乾燥させて編んだ丈夫な布。ポテトは、俺たちの生活の、ありとあらゆる場面で、その可能性を開花させていた。

 平和な日々。仲間たちの笑顔。

 俺は、この村に来て、初めて心からの安らぎを感じていた。


 そんなある日の午後。

 俺は、アンナと一緒に、実験農場の一角にある、小さなビニールハウスの中にいた。

 これは、アルブレヒトの日誌を元に、ギアヘブンから取り寄せた資材で作った、温度管理が可能な、特別なハウスだ。


「……それにしても、不思議なポテトね」

 アンナが、目の前の鉢植えを見ながら、感心したように言った。

 その鉢に植えられているのは、俺が『フロートポテト』と名付けた、奇妙な品種だった。

 これは、アルブレヒトの日誌の中でも「理解不能」とされていた、オーバーテクノロジー・ポテトの一つ。特殊な鉱物を含んだ土壌と、このハウス内の微弱な電磁波によって、ようやく栽培に成功したのだ。


 そのポテトは、収穫すると、まるで反重力でも働いているかのように、地面から数センチ、ふわりと浮き上がるのだ。

 まだ、その力は弱く、小石一つ乗せただけで落ちてしまう。だが、この現象は、明らかに現代科学の常識を超えていた。


「どういう原理なのか、さっぱりわからない。だが、もし、この浮遊力を高めることができれば……」

「空飛ぶ、輸送船が作れるかもしれないわね」

 アンナが、俺の言葉を引き継いで、夢見るように言った。「そしたら、交易はもっと安全になる。遠くの、飢えに苦しむ人たちにも、私たちのポテトを届けられるようになるわ」


「ああ。その通りだ」

 俺たちは、顔を見合わせて笑った。

 俺たちの夢は、もはや、この村の中だけには収まらなくなっていた。この錆びた世界全体を、ポテトの力で豊かにする。そんな、途方もない夢を、俺たちは共有していた。


 だが、平和な日々に、俺は一つの違和感を覚え始めていた。

 サラの様子が、少しおかしいのだ。

 彼女は、相変わらず、村の農業指導や、防衛システムの管理に、的確な助言を与えてくれていた。

 だが、時折、遠くを見るような、何か思い詰めたような表情をすることが増えた。

 俺が声をかけても、「何でもないわ」と、はぐらかされるばかり。


 その日の夜、俺は、村の見張りをしていたザギに、そのことを相談してみた。

「サラの様子が、おかしい?」

 ザギは、少し考え込んだ後、言った。「そういえば……最近、夜中に、一人でどこかに出かけていくのを、何度か見かけたな。西の、岩場のほうへ……」


 西の岩場。

 そこには、特に何もないはずだ。一体、何をしに?

 胸騒ぎを覚えた俺は、その夜、見張りを交代したザギと共に、サラの後を、こっそりとつけてみることにした。


 月明かりだけが頼りの暗闇の中、サラは、慣れた足取りで、村の外れにある岩場へと向かっていく。

 そして、彼女は、一つの大きな岩の前で立ち止まった。

 そこには、一人の男が待っていた。

 真っ白な、防護服のようなスーツを着た男。

 再生委員会の、あの監査官だった。


「!」

 俺とザギは、息を殺して、岩陰に身を潜めた。

 サラが、再生委員会と、密会している……!?


「……約束のものは、持ってきたわ」

 サラが、小さな包みを、監査官に手渡した。

「ご苦労」

 監査官は、それを受け取ると、中身を確かめた。

 それは、青白い光を放つ、数個のルナポテトだった。


 俺の頭が、真っ白になった。

 サラが、俺たちを裏切って、ルナポテトを横流ししていたというのか?

 なぜ? 何のために?


「……これで、私の村の安全は、保証されるのでしょうね?」

 サラが、低い声で尋ねた。

「ああ。約束しよう」と監査官は答える。「我々、再生委員会は、このフロンティアを、『特別保護区』として、管理下に置く。外部からのいかなる脅威からも、我々が守ってやろう。君が、我々の研究に、協力し続けてくれる限りはな」


「……わかっているわ。このポテトが持つ、無限の可能性。それを完全に引き出すには、あなたたちの技術が必要だということも」


 どういうことだ……?

 研究への協力? 特別保護区?

 俺の知らないところで、一体、どんな取引が……。


「だが、勘違いするなよ」

 監査官の声のトーンが、変わった。「我々が興味があるのは、君と、そのルナポテトだけだ。他の村人たち……特に、あのユウキという小僧は、我々の計画にとっては、もはや邪魔な存在でしかない」


「……!」


「我々は、近々、この村の『管理体制』を、刷新するつもりだ。新しいリーダーは、君だ、サラ。そして、古いリーダーには、相応の形で、ご退場願うことになるだろう。……君になら、その意味が、わかるはずだ」


 監査官の言葉は、冷たく、そして残酷だった。

 それは、俺の『排除』を、暗に示唆するものだった。

 そして、サラは、それに、反論しなかった。

 ただ、黙って、俯いているだけだった。


 俺は、信じられない思いで、その光景を見ていた。

 ようやく、仲間になれたと思っていた。

 共に、未来を築いていけると、信じていた。

 それなのに、なぜ。


 監査官が去った後も、サラは、しばらくその場に立ち尽くしていた。

 やがて、彼女は、ゆっくりと、村へと戻っていく。

 その背中は、月明かりの下で、ひどく小さく、そして、孤独に見えた。


「……どういうことだ、ユウキ」

 隣で、ザギが、怒りを押し殺した声で言った。「あの女、俺たちを、裏切ったのか……?」


 俺は、何も答えられなかった。

 ただ、裏切られたという怒りよりも、もっと深い、悲しみの感情が、胸に込み上げてくるのを、感じていた。

 サラは、村を守るために、俺を、売ったのだろうか。

 それとも、そこには、俺の知らない、もっと別の理由があるのだろうか。


 束の間の平和は、終わりを告げた。

 最も信頼していたはずの仲間の一人が、俺の知らないところで、静かに、そして着実に、牙を剥こうとしていたのだ。

 影が、フロンティアを、再び覆い尽くそうとしていた。

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