第37話 再生委員会の監査官
バルトロが、生きた心地がしないといった様子で去ってから、一ヶ月が過ぎた。
フロンティアは、表向きには、完全に「非武装化」された村となった。
ストーンポテトやセラミックポテトは、宣言通りすべて肥料へと姿を変え、ポテトナイツが使っていた武具も、村の鍛冶場で、鍬や鋤、鍋といった生活用品に作り替えられた。
村は、一見すると、ただひたすらに農業に勤しむ、平和でのどかな共同体に見えただろう。
だが、その水面下では、大きな変化が起きていた。
村全体を覆う『ガーディアン』のネットワークは、日を追うごとにその精度と範囲を拡大させている。もはや、村の許可なくして、蟻一匹侵入することは不可能だった。
そして、ポテトナイツは、武器こそ失ったが、その訓練は、より実践的なものへと変わっていた。ザギの指導のもと、彼らは、素手での格闘術や、地形を利用した罠の設置、ゲリラ戦術などを、徹底的に叩き込まれていた。
俺たちは、牙を隠したのだ。
いつ、再生委員会が約束を反故にしてくるかわからない。その日に備えて、静かに、しかし着実に、力を蓄えていた。
そんなある日、ついに、その時はやってきた。
東の地平線に、一機の飛行物体が現れたのだ。
それは、バイクのような原始的な乗り物ではなかった。ローターを持たない、滑るように空を飛ぶ、大崩壊以前のテクノロジーで作られたであろう、小型の飛行艇『スキマー』だった。
村に、緊張が走る。
スキマーは、ガーディアンの畑のはるか手前に着陸すると、そこから、二人の人物が降りてきた。
一人は、お馴染みのバルトロ。そして、もう一人は、真っ白な防護服のようなスーツに身を包み、顔はヘルメットのバイザーで窺い知ることのできない、不気味な人物だった。
「再生委員会からの、監査官様がお見えになった!」
バルトロが、メガホンを使って、大声で叫んだ。「フロンティアの非武装化が、真実か、その目で確かめにいらっしゃったのだ! 代表者の方は、速やかに出迎えるように!」
監査官。
再生委員会の、直々の使者だ。
俺と、アンナ、そしてサラの三人で、彼らを迎え入れることにした。
「ようこそ、フロンティアへ。監査官殿」
俺は、努めて平静を装い、挨拶をした。
監査官は、何も答えなかった。ただ、ヘルメットの奥から、値踏みするような、冷たい視線を感じるだけだった。
「……これが、例の畑か」
やがて、監査官は、合成音声のような、感情のない声で呟いた。その声は、ヘルメットに内蔵されたスピーカーから発せられているようだった。
「報告にあった通り、ただの農地にしか見えんが……」
「ええ。ご覧の通り、平和な畑です」
俺が答える。
監査官は、おもむろに、腰につけていたポーチから、小さな機械を取り出した。それは、俺が作ったものよりも、遥かに高性能な、電磁波測定器のようだった。
測定器を、ガーディアンの畑に向ける。
ピッ、ピッ、ピッ、と電子音が鳴り、モニターに、複雑な波形が映し出された。
「……なるほど。地下に、広大な生体ネットワークが形成されているな。微弱な生体電流を、情報伝達に利用している、と。実に、興味深い」
監査官は、感心したように言った。
「これは、兵器ではないのかね?」
「まさか」と俺は笑った。「これは、土壌の状態を監視し、作物の生育を最適化するための、ただの『農業支援システム』ですよ。まあ、たまに、畑を荒らす害獣を捕まえて、肥料にしてくれることもありますが」
「……詭弁だな」
監査官は、冷たく言い放った。
だが、それ以上、追及はしてこなかった。
ガーディアンは、確かに攻撃能力を持つ。だが、それは、あくまで自律的な防衛機能であり、こちらから能動的に攻撃を仕掛ける『兵器』とは、定義しがたい。そのグレーゾーンを、彼も理解しているのだろう。
監査官は、次に、村の中を視察して回った。
鍛冶場では、溶かされた剣が、鋤へと生まれ変わる様子を。
倉庫では、砕かれたストーンポテトが、肥料として山積みになっているのを。
そのすべてを、彼は、感情のない目で、ただ黙って観察していた。
そして、最後に、俺の実験農場へとやってきた。
「ここで、様々な品種改良が行われていると聞く」
「ええ。より美味しく、より多くの人を救えるポテトを作るために、日々、研究を重ねています」
俺は、ポマトや、パンプキンポテトを、誇らしげに見せた。
監査官は、それらには一瞥もくれなかった。
彼の興味は、ただ一点に注がれていた。
俺が、厳重に隔離して栽培している、あの『ルナポテト』の区画だ。
「……あれは、何だ?」
監査官の指差す先で、ルナポテトが、昼間だというのに、かすかな青白い光を放っている。
「……病気の治療に効果のある、薬用ポテトです」
俺が答えると、監査官は、初めて、明らかな興味を示した。
「ほう。薬用……。その治癒効果、見せてもらおうか」
まずい、と思った。
ルナポテトの、あの異常な細胞増殖能力。あれを見せれば、再生委員会は、間違いなくこれを『生体兵器』と見なすだろう。
俺が、どう言い訳をしようか、迷っていると、不意に、アンナが前に出た。
「……監査官様。でしたら、私でお試しください」
「アンナ!?」
アンナは、俺の制止を無視すると、隠し持っていた小さなナイフで、自分の腕を、ためらいなく、すっと切り裂いた。
赤い血が、彼女の白い腕を伝う。
「アンナ、何を……!」
「大丈夫」
彼女は、俺にだけ聞こえるように、囁いた。「私を、信じて」
アンナは、俺からルナポテトを一つ受け取ると、その断面を、自分の傷口に、優しく押し当てた。
すると、奇妙なことが起こった。
犬の怪我を治した時のような、劇的な治癒は、起こらなかったのだ。
傷口から、血が止まり、ゆっくりと、かさぶたができていく。普通の薬草と同じくらいの、穏やかな治癒効果しか、見られない。
「……なるほど。確かに、治癒効果はあるようだが……」
監査官は、少し拍子抜けしたような、それでいて、納得したような、複雑な表情を浮かべた。
「……大したものではないな。これならば、『兵器』への転用は、不可能だろう」
彼は、それだけ言うと、興味を失ったように、踵を返した。
「……監査は、終わりだ。報告書には、こう書いておこう。『フロンティアは、非武装化を履行。現状、脅威度は低い』、と。ただし、今後も、定期的な監査は続けさせてもらう。妙な気を、起こさんことだ」
監査官とバルトロが、スキマーに乗って去っていくのを、俺たちは静かに見送った。
嵐は、去った。
俺たちは、再び、再生委員会の追及を、知恵で乗り切ったのだ。
俺は、アンナの腕を掴んだ。
「……アンナ、どうやったんだ? なんで、ルナポテトの効果が、あんなに弱まって……?」
アンナは、いたずらっぽく笑うと、首にかけていた、緑色のペンダントを、指で示した。
サラから譲り受けた、デビルズオーキッドの解毒石。
「この石、毒を中和するだけじゃないみたい。強い薬効を持つものの力を、穏やかにする作用もあるようなの。私も、偶然気づいたんだけどね」
彼女は、サラの方を見て、ウインクした。
サラも、やれやれといった顔で、小さく肩をすくめている。
俺は、天を仰いだ。
俺が、一人で悩み、必死に考えていた間に、仲間たちは、俺の知らないところで、ちゃんと、答えを用意してくれていたのだ。
俺は、本当に、一人じゃなかった。
だが、俺は、まだ気づいていなかった。
去り際の、監査官のヘルメットの奥の瞳が、ルナポテトに向けられた時、一瞬だけ、ギラリとした、狂信的な光を宿していたことに。
彼らは、ルナポテトの本当の恐ろしさに、気づいていなかった。
だが、その『可能性』には、気づいてしまったのだ。
新たな、そして、より根深い災厄の種は、今、確かに、蒔かれてしまったのだった。
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