第33話 ギアヘブンの使者、新たな火種

 デザートウルフを退けたという報せは、ポテトユニオンに加盟する集落はもちろん、荒野全域に衝撃と共に駆け巡った。

 伝説の傭兵団を、たった一つの村が、たった一人の少年が駆る鉄の巨人で撃退した――そのニュースは、尾ひれがついて広まり、フロンティアと俺の名は、もはや神話の域に達しようとしていた。


 だが、英雄の凱旋から一週間が過ぎても、俺の心は晴れなかった。

 サラの言葉が、重い枷のように俺にのしかかっている。「この巨人を、捨てるのよ」。

 俺は、答えを見つけられないまま、デメテルの整備と、アルブレヒトの日誌の研究に没頭する日々を送っていた。村人たちとの間には、目に見えない壁ができてしまった気がした。彼らは俺を英雄として敬うが、以前のように気軽に話しかけてくる者はいなくなった。


 そんなある日、村に、再び東からの来訪者があった。

 だが、それは傭兵団ではなかった。

 ギアヘブンの旗を掲げた、たった一台の豪華な装甲車。

 そこから降りてきたのは、やつれた顔をした、あのバルトロだった。ただし、護衛は二人しか連れていない。


「……何の用です? まだ、何か仕掛けてくるつもりですか」

 村の入り口で、ザギが警戒しながら問いただす。

「いやいや、とんでもない。私は、戦いに来たのではありませぬ」

 バルトロは、かつての傲慢さが嘘のように、へりくだった態度で深々と頭を下げた。

「若き英雄、ユウキ殿に、お目通りを願いたい。我々は、和平交渉の使者として参りました」


 和平交渉。その意外な言葉に、俺たちは顔を見合わせた。

 俺は、バルトロを村の集会所へと通した。

 テーブルを挟んで向かい合うと、バルトロは、疲れた顔で口を開いた。


「……我々の負けです、ユウキ殿。完敗だ。まさか、大崩壊以前の遺物、農業用ゴーレムまで持ち出してくるとは……」

 彼は、デメテルのことをそう呼んだ。

「デザートウルフの壊滅で、我がギアヘブンの権威は地に落ちた。ポテトユニオンの勢いは、もはや我々には止められん。そこで、ご相談だ」


 バルトロは、一枚の羊皮紙を取り出した。

「ギアヘブンは、ポテトユニオンの存在を正式に認め、不可侵を約束する。その代わり、あなた方のポテトウォッカとポチャップを、我が都市にも安定して供給していただきたい。価格は、言い値で構わん。我々は、あなた方の最大の顧客となりましょう」


 それは、全面降伏に等しい、破格の条件だった。

 ダントさんや、その場にいた村の代表者たちは、色めき立つ。これを受け入れれば、フロンティアの繁栄は、完全に約束されたようなものだ。


 だが、俺は、何か腑に落ちないものを感じていた。

 あの傲慢なバルトロが、こうもあっさりと頭を下げるだろうか?

 俺が、返答に窮していると、集会所の隅で、壁に寄りかかって話を聞いていたサラが、静かに口を開いた。


「……見返りは、何かしら?」

 彼女の鋭い一言に、バルトロの肩が、わずかに揺れた。

「見返り、とは?」


「とぼけないで。あなたたちが、無条件でこれほどの譲歩をするはずがない。あなたたちが、本当に欲しいものは、何?」

 サラの冷たい視線が、バルトロを射抜く。


 バルトロは、一瞬、言葉に詰まった後、観念したように、大きなため息をついた。

「……さすがは、元ハイエナのリーダー。話が早くて助かる」

 彼は、本性を現した。「よろしい。単刀直入に申し上げよう。我々が欲しいのは、あの鉄の巨人――デメテルだ」


「!」


「あの圧倒的な力。あれさえあれば、ギアヘブンは、再び荒野の覇者として君臨できる。ポテトウォッカで得た富など、くれてやる。我々は、あの『絶対的な軍事力』が欲しいのだ。さあ、どうだね、ユウキ殿。悪い話では、ないはずだ」


 やはり、それが狙いだったか。

 俺は、心の中で舌打ちした。

 デメテルを渡せば、俺たちは最大の武器を失う。そうなれば、ギアヘブンがいつ手のひらを返すか、わかったものではない。


「断る」

 俺は、即答した。「デメテルは、この村を守るためのものだ。誰かに売り渡すつもりはない」


「……そうか。そう言うと思ったよ」

 バルトロは、残念そうに肩をすくめた。だが、その目は、まだ諦めてはいなかった。

「では、取引だ。一つ、あなた方に、極上の情報を提供しよう。それを聞いても、まだ『ノー』と言うかな?」


「情報?」


「そうだ。あなた方も、薄々気づいているのではないかな? この世界の、本当の脅威について」

 バルトロは、声を潜めた。

「デザートウルフを雇ったのは、我々ギアヘブンだ。だが、彼らに資金と、最新の装備を提供していたのは、我々ではない。我々の、さらに上にいる、巨大な組織だ」


「……何?」


「彼らは、自らを『再生委員会』と名乗っている。大崩壊以前のテクノロジーを独占し、世界の再構築を目論む、影の支配者たちだ。我々ギアヘブンでさえ、彼らの下部組織に過ぎん」


 再生委員会。

 初めて聞く名だった。だが、その響きには、これまでの賊や都市とは、明らかに次元の違う、不気味なスケールがあった。デザートウルフの背後にいたという事実が、その脅威を何より雄弁に物語っていた。


「その再生委員会が、あなた方の存在に、気づいてしまった」

 バルトロは、憐れむような目で俺を見た。「ポテトによる、独自の文明。そして、大崩壊以前の遺物である、デメテル。彼らは、自分たちの秩序を乱す、不安定要素を、何よりも嫌う。近いうちに、必ず、あなた方を排除しにやってくるだろう。デザートウルフなど、子供のお遊びに思えるほどの、圧倒的な戦力でな」


 絶望的な情報。

 俺たちは、巨大な狼を退けたと思ったら、その背後に、見えない竜が潜んでいたのだ。


「だが、道はある」

 バルトロは、悪魔の囁きを続けた。「デメテルを、我々に譲渡したまえ。そうすれば、我々ギアヘブンが、再生委員会との交渉の窓口になってやる。デメテルは、委員会にとっても魅力的な手駒だ。上手く立ち回れば、あなた方の村の存続を、保証してやれるかもしれん」


 服従か、それとも、未知の巨大組織による滅びか。

 究極の選択を、俺たちは、再び突きつけられた。


 村の代表者たちは、顔面蒼白になっている。

 俺は、唇を噛み締めた。どうすればいい? デメテルを渡すべきか? いや、しかし……。


 その時だった。

 集会所のドアが、勢いよく開かれた。

 そこに立っていたのは、アンナだった。

 彼女は、何かを決意した、強い目をして、まっすぐに俺を見つめていた。


「……ユウキ。話は、聞かせてもらったわ」

 彼女は、俺の前に進み出ると、言った。

「……デメテルを、捨てましょう」


「え……?」

 俺は、自分の耳を疑った。

 その言葉は、数日前に、サラが俺に言った言葉と、全く同じだったからだ。

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