第32話 孤独な英雄
デザートウルフが逃げ去った後も、戦場には異様な静寂が支配していた。
誰もが、言葉を失っていた。俺が乗る鉄の巨人デメテルと、その足元に広がる、白い塩の結晶に覆われた不毛の大地。そのあまりにも対照的な光景を、ただ呆然と見つめていた。
やがて、我に返った村人たちから、歓声が上がった。
「うおおおおお! 勝ったぞ!」
「デザートウルフを追い払った!」
「ユウキ様、万歳! フロンティアの英雄だ!」
村人たちが、デメテルの足元に駆け寄ってくる。
俺は、ゆっくりとコックピットのハッチを開け、外に出た。
ザギ、キバ、ダントさん。仲間たちが、興奮した顔で俺を見上げている。
「……すげえじゃねえか、ユウキ!」
キバが、子供のようにはしゃいでいる。「あんなデカいおもちゃ、どこで見つけてきやがった!」
「お前は、本当に、俺たちの想像をいつも超えてきやがるな」
ザギも、感嘆のため息をついた。
俺は、彼らの賞賛に、力なく笑みを返すことしかできなかった。
ソルトキャノンがもたらした、あの禍々しい光景。人の形をした染みが残る、白い大地。それが、俺の脳裏に焼き付いて離れない。
俺の視線は、人々の輪の中にいる、アンナとサラを探していた。
アンナは、喜びと、そして安堵の涙を浮かべながら、俺に駆け寄ってきてくれた。
「ユウキ! よかった、無事で……! 本当に、心配したんだから!」
「……ああ。約束、守れたな」
俺は、彼女の頭をそっと撫でた。その温もりに、凍てついていた心が、少しだけ溶けていく気がした。
だが、サラは、輪から少し離れた場所で、ただ静かに、デメテルと、それが作り出した白い大地を、冷たい目で見つめていた。
その瞳には、恐怖も、賞賛もなかった。
ただ、深い、深い哀れみと、そして、諦めのような色が浮かんでいるだけだった。
その視線が、俺の胸に、鋭い棘のように突き刺さった。
その夜、村は、再び勝利の宴に沸いた。
デザートウルフという、最大の脅威を退けたのだ。その喜びは、これまでのどんな勝利よりも大きかった。
ポテトウォッカが、惜しげもなく振る舞われ、誰もが、俺の名を「英雄」として讃えた。
だが、俺は、その喧騒の中心で、言いようのない孤独を感じていた。
誰も、ソルトキャノンのことに触れようとはしない。あれが、どんなに非人道的な兵器であったか、見て見ぬふりをしている。
勝利という、甘い酒に酔いしれ、その勝利が何の上に成り立っているのかを、忘れようとしているようだった。
俺は、宴の輪をそっと抜け出した。
一人になりたかった。
俺が向かったのは、村の外れに停められた、デメテルの足元だった。
月明かりの下で、鉄の巨人は、墓標のように、静かに佇んでいる。
「……あんたも、寂しいのか?」
俺は、デメテルの装甲に、そっと手を触れた。
本来は、大地を豊かにするための農業機械。それが、今や、大地を死滅させる、最悪の兵器となってしまった。
その境遇が、まるで自分自身と重なるように思えた。
「……やはり、ここにいたのね」
声の主は、サラだった。
彼女は、いつの間にか、俺の隣に立っていた。
「……何しに来たんだ」
「別に。ただ、あなたも、あのバカ騒ぎには、付き合いきれないだろうと思って」
彼女は、村の喧騒を一瞥して、静かに言った。
「私の父さんが、これを見たら、何と言ったでしょうね。『究極の肥料は、究極の兵器にもなりうる』。その言葉を、皮肉にもあなたが証明してくれたのだから」
「やめてくれ」
俺は、低い声で言った。「俺は、あんなものを使いたかったわけじゃない」
「わかってるわ」
サラは、意外にも、穏やかな声で答えた。「あなたは、村を守りたかっただけ。そのために、最善の、そして最悪の選択をした。……それだけのことよ」
彼女は、俺の隣に座り込み、空を見上げた。
「……父さんも、同じだったのかもしれないわね」
彼女は、独り言のように呟いた。「彼は、ただ、人々を飢えから救いたかった。美味しいポテトを、お腹いっぱい食べさせてあげたかった。その純粋な思いが、いつしか暴走して、村を滅ぼしてしまった……」
「……」
「力は、人を孤独にする。特に、誰も理解できない、規格外の力はね。あなたは、村を救った英雄であると同時に、村人たちが理解できない、畏怖の対象にもなった。あなたは、これから、その孤独と向き合っていかなければならないのよ。私の父さんが、そうであったように」
サラの言葉が、俺の心の、一番柔らかい部分を、容赦なく抉っていく。
そうだ。俺は、もう、ただのポテト好きの少年ではいられない。
鉄の巨人を駆り、大地を死滅させる力を持ってしまった、異質な存在。
村人たちの笑顔の裏に、かすかな恐怖が宿っているのを、俺はもう感じ始めていた。
「……俺は、どうすればいいんだ」
俺は、弱音を吐いている自分に驚いた。だが、もう、誰かにすがるしか、なかった。
サラは、しばらく黙っていたが、やがて、静かに立ち上がった。
「……一つ、方法があるわ」
「え?」
「この巨人を、捨てるのよ」
彼女は、きっぱりと言い放った。「この力も、英雄という称号も、すべて捨てて、ただのポテト農家に戻る。それが、あなたが孤独から逃れる、唯一の方法。……まあ、あなたに、それができるとは思えないけど」
彼女は、それだけ言うと、闇の中へと去っていった。
残された俺は、彼女の言葉を、何度も、何度も、反芻していた。
このデメテルを、捨てる?
この圧倒的な力を、手放す?
ギアヘブンが、まだこの村を狙っているかもしれないのに?
もっと巨大な脅威が、いつ現れるかもわからない、この世界で?
できるはずが、ない。
俺は、もう、戻れないのだ。
英雄という名の、孤独な玉座に、俺は、自らの手で、登ってしまったのだから。
その夜、俺は、デメテルのコックピットの中で、一人、夜を明かした。
村の喧騒も、仲間たちの声も、すべてが、分厚い装甲に隔てられて、遠くに聞こえていた。
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