第四章 フロンティアの選択
第29話 地下に眠る鉄の巨人
夜の荒野を、俺は一人、バイクで疾走していた。
背後には、絶望的な状況に陥ったフロンティアの村。前方には、正体不明の座標が示す、未知の場所。
風が、ヘルメットの隙間から吹き込み、肌を切りつけるようだ。だが、それ以上に、俺の心を焦燥感が駆り立てていた。
デザートウルフの襲来まで、残された時間は少ない。
俺が握りしめている、アルブレヒトの日誌に挟まれていた『旧世界物資輸送記録』。そこに記された座標は、西のオアシスから、さらに北西へ半日ほど走った、何もない岩石地帯を示していた。
「究極の肥料は、究極の兵器にもなりうる」
サラの父親、アルブレヒトが遺したという、謎の言葉。
肥料と兵器。一見、何の関係もないように思える二つのものが、この座標とどう繋がるというのか。
俺の頭の中では、いくつもの仮説が渦巻いていたが、どれも確信には至らない。
やがて、夜空に鈍色の月が昇る頃、俺は目的地にたどり着いた。
そこは、見渡す限り、巨大な岩が転がるだけの、荒涼とした場所だった。風の音以外、何も聞こえない。
本当に、こんな場所に何かが?
俺はバイクを降り、方位磁針と、輸送記録の紙切れを頼りに、正確な座標を探し始めた。
そして、ついに、一つの巨大な岩の前で立ち止まった。
その岩には、大崩壊以前の文字で、かすかに『第7物資集積庫・入口』と刻まれているのが見て取れた。
「……これか!」
だが、どこにも入り口らしきものは見当たらない。ただの、巨大な岩の塊だ。
俺は、輸送記録の紙切れを、もう一度注意深く見直した。
座標の下に、意味不明な文字列が並んでいる。『N-P-K-15:15:15』。
N、P、K……。
その文字列を見た瞬間、俺の脳裏に、サラの言葉が雷のように蘇った。
『植物の成長に必要な、三大要素。窒素、リン、カリウム』
Nは窒素、Pはリン、Kはカリウムの元素記号だ。
そして、15:15:15。これは、肥料の成分比率を示すものに違いない。
つまり、これは、認証コードだ。アルブレヒトが興味を持つはずだ。究極の『肥料』を、この施設は保管していたのかもしれない。
俺は、岩の表面に、隠された入力パネルのようなものがないか、必死に探した。
そして、岩の下部に、僅かな窪みがあるのを見つけた。そこには、テンキーのようなボタンが、埃をかぶって並んでいた。
俺は、震える指で、コードを入力した。
『151515』
入力し終えた、その瞬間。
ゴゴゴゴゴ……という、地響きのような低い音が、足元から響き渡った。
目の前の巨大な岩が、ゆっくりと地面の下へと沈み込んでいく。
そして、その下から現れたのは、暗闇へと続く、巨大な地下施設の入り口だった。
俺は、ゴクリと唾を飲み込み、懐中電灯を片手に、その暗闇へと足を踏み入れた。
ひんやりとした、カビ臭い空気が、肌を撫でる。
階段を降りていくと、そこには、信じられない光景が広がっていた。
巨大な、体育館ほどの広さの、だだっ広い空間。
その中央に、一体の『巨人』が鎮座していた。
それは、全長二十メートルはあろうかという、巨大な人型の機械だった。装甲は赤錆びているが、そのフォルムは、まさしく『兵器』そのものだ。
「……なんだ……これ……」
俺は、呆然とその鉄の巨人を見上げた。
巨人の足元には、いくつかのコンテナが置かれている。俺は、その一つに近づき、蓋を開けてみた。
中に入っていたのは、灰色の、砂のような粉末だった。鼻を近づけると、ツンとした、化学的な匂いがする。
化学肥料だ。
アルブレヒトが追い求めていた、究極の肥料。大崩壊以前の、高度な技術で作られた、高濃度の化学肥料。
そして、この鉄の巨人は、おそらく、この肥料を散布するための、農業用の大型機械だったのだろう。
大崩壊がなければ、この巨人が、荒野を緑豊かな農地へと変えていたのかもしれない。
農業用機械……。
だが、その姿は、あまりにも戦闘的すぎた。分厚い装甲、巨大なマニピュレーター。平和な農作業に、こんな装備が必要だろうか?
俺は、巨人の足元に、一冊の分厚いマニュアルが落ちているのを見つけた。
『多目的農業支援機体 "デメテル" 運用マニュアル』。
ページをめくると、そこには、デメテルの詳細なスペックと、操作方法が書かれていた。
そして、俺は、最後のページに、衝撃的な記述を見つけた。
『モードB:対大型生物・暴徒鎮圧モード。背部コンテナ内の肥料を高圧で射出し、対象の細胞組織を急激に脱水・破壊する。通称:"ソルトキャノン"』
究極の肥料は、究極の兵器にもなりうる。
その言葉の意味を、俺は、今、完全に理解した。
高濃度の化学肥料は、植物にとっては恵みだが、動物にとっては、細胞を破壊する猛毒だ。それを、高圧で射出する。まさしく、必殺の兵器だった。
俺は、デメテルのコックピットへと続く、タラップを駆け上がった。
コックピットは、埃をかぶってはいたが、驚くほど保存状態が良かった。
操縦桿を握る。手に、しっくりと馴染んだ。
問題は、どうやって、こいつを動かすかだ。
マニュアルによれば、動力源は、高性能バッテリーと、補助動力としての『有機燃料』。
バッテリーは、二百年の時を経て、とっくに空になっているだろう。
だが、有機燃料なら……俺には、心当たりがあった。
俺は、バイクから、予備の燃料として積んできた、純度の高い『オイルポテト』の油を、デメテルの燃料タンクに注ぎ込んだ。
そして、再びコックピットに戻り、起動スイッチを押す。
一瞬の沈黙。
もう、ダメか……。
そう思った、その時。
ブォン……という、低い起動音が響き、計器類のランプが、一つ、また一つと灯り始めた。
そして、巨人の両目が、青白い光を放った。
動いた……! 俺のポテトで、二百年の眠りから、鉄の巨人が目覚めたのだ!
俺は、操縦桿を握りしめ、高揚する心を抑えきれなかった。
デザートウルフよ、待っていろ。
お前たちが相手にするのは、ただの村じゃない。
ポテトの神を、その身に宿した、鉄の巨人だ!
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