第26話 経済戦争の火蓋
フロンティア産のポテトウォッカは、燎原の火のごとく、周辺地域に広まっていった。
その品質は、ギアヘブンが独占販売する高級酒に勝るとも劣らず、価格は半分以下。キャラバンの商人や、荒野の飲んだくれたちが、我々の酒に飛びつかないはずがなかった。
フロンティアの村には、ウォッカを求める商人たちが、ひっきりなしに訪れるようになった。彼らは、対価として、鉄や布、薬草といった、我々が必要とする物資を山のように持ってきた。
村は、かつてない好景気に沸いた。
村人たちの顔からは、ギアヘブンが残していった贅沢品への羨望の色は消え、自分たちの手で富を生み出しているという、誇りと自信が満ち溢れていた。
「ユウキ! 見てくれ! 南のキャラバンが、こんな上等な鉄鉱石を運んできてくれたぞ!」
「こっちの商人は、薬草をたくさん持ってる! これだけあれば、当分は薬に困らねえ!」
ダントさんたちが、興奮気味に報告してくる。
物々交換が基本だったこの世界で、俺たちのポテトウォッカは、もはや貨幣そのものと言ってもいいほどの価値を持つようになっていた。
「すごいわ、ユウキ。本当に、ポテトで村を豊かにしちゃった」
アンナが、俺の隣で感心したように呟く。彼女は今、俺が開発したポマトを使ったポチャップ作りの責任者として、女たちをまとめあげていた。ポチャップもまた、ウォッカに次ぐ人気商品となりつつある。
「ああ。だが、これはまだ始まりに過ぎない」
俺の視線は、東の空――ギアヘブンのある方角へと向いていた。
俺たちの行動が、あの強欲な商人たちの耳に入らないはずがない。彼らが、この状況を黙って見過ごすはずもなかった。
案の定、その日はすぐにやってきた。
ギアヘブンから、再びバルトロがやってきたのだ。
だが、前回のような人好きのする笑みは、彼の顔にはなかった。その代わりにあるのは、怒りと侮蔑に凍りついた、氷のような表情だった。
「……面白いことをしてくれるじゃないか、ポテトの小僧」
バルトロは、村の広場で稼働する巨大な蒸留器を睨みつけ、吐き捨てるように言った。
「我々の警告を無視し、我々の市場を荒らすとは。その度胸だけは、褒めてやろう」
「警告? 何のことです?」
俺は、とぼけてみせた。「俺たちは、ただ自分たちのポテトで、自分たちの酒を作っているだけだ。それが、誰かの市場を荒らしているというなら、それはあなた方の酒に、それだけの魅力がなかったというだけのことでしょう」
「……口だけは達者なようだな」
バルトロの目が、危険な光を帯びる。
「いいだろう。そこまで言うなら、お前たちの『自由な取引』とやらが、どこまで通用するか、見せてもらおうじゃないか。今日この時をもって、ギアヘブンは、フロンティア村との一切の交易を断絶する。それだけではない。我が都市と取引のある全ての集落、全てのキャラバンに対し、お前たちと関わることを禁ずる。破った者には、どういうことになるか……わかっているな?」
それは、完全な経済封鎖の宣言だった。
ギアヘブンの経済圏から、フロンティアを完全に孤立させ、干上がらせようというのだ。
俺たちのウォッカを求めてきていた商人たちが、途端にざわめき始める。ギアヘブンを敵に回すことは、彼らにとって死活問題だ。
「さあ、どうするね? ポテトの英雄殿」
バルトロは、勝ち誇ったように言った。「今ここで、そのくだらない蒸留器を破壊し、我々に忠誠を誓うというのなら、まだ許してやらんでもないぞ?」
村人たちの顔に、不安の色が浮かぶ。せっかく手に入れた豊かさが、また失われてしまうのか。
だが、俺は動じなかった。この展開は、すでに読んでいたからだ。
「お断りします」
俺は、きっぱりと言い放った。「俺たちには、あんたたちの助けなど必要ない。俺たちには、ポテトがある」
そして、俺は集まった商人たちに向かって、大声で宣言した。
「みんな、聞いてくれ! ギアヘブンの横暴に、これ以上付き合う必要はない! 彼らがいなくても、俺たちだけで、新しい経済圏を作ることができる!」
「新しい経済圏だと?」
商人たちが、訝しげに俺を見る。
「そうだ! 俺たちフロンティアは、ポテトウォッカと、ポチャップ、そして様々な食料を、安定して供給することを約束する! その代わり、あんたたちは、鉄や薬、俺たちが持っていない物資を、俺たちに供給してくれ! ギアヘブンを通さない、俺たちだけの交易ルートを作るんだ!」
俺は、一枚の大きな地図を広げた。
「このフロンティアを中心に、みんなの集落を繋ぐ、新たな連合体を作る! 俺は、それを『ポテトユニオン』と名付けたい!」
ポテトユニオン。
その、あまりにも突飛で、しかし魅力的な響きに、商人たちはゴクリと唾を飲んだ。
ギアヘブンの支配から逃れ、自分たちの手で富を築く。それは、彼らが長年抱いてきた夢想だった。
「馬鹿馬鹿しい! 子供の戯言だ!」
バルトロが、声を荒らげて否定する。「我々ギアヘブンという後ろ盾なくして、お前たちがこの荒野で生き残れるものか! 賊に襲われ、変異生物に食われて、終わりだ!」
「その心配はない」
その時、バルトロの言葉を遮ったのは、ザギだった。
彼は、キバたち元サンドクローラーの仲間を引き連れて、前に進み出た。
「ポテトユニオンの安全は、俺たちが保証する。俺たちは、元サンドクローラーだ。荒野の道も、賊の動きも、知り尽くしている。俺たちが、ユニオンの交易路を守る、護衛部隊になる」
その言葉は、絶大な説得力を持っていた。
食料と物資の安定供給。そして、安全な交易路の確保。
俺たちが提示した未来は、もはや子供の戯言ではなかった。実現可能な、具体的なプランだった。
「……面白い。その話、乗った!」
最初に声を上げたのは、ダストピットの商人だった。「もう、ギアヘブンの言いなりは、うんざりだ!」
「そうだ、俺たちも仲間に入れてくれ!」
「ポテトユニオン、万歳!」
一人、また一人と、商人たちが俺たちの側に付くことを表明していく。
バルトロの顔が、怒りと屈辱で赤く染まっていくのがわかった。
「……覚えておけよ、小僧……」
彼は、それだけを絞り出すと、護衛たちと共に、逃げるように去っていった。
経済戦争の火蓋は、切って落とされた。
そして、俺たちの勝利で、その第一ラウンドは幕を閉じたのだ。
フロンティアの村を中心に、新しい時代のうねりが、確かに生まれようとしていた。
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