第25話 静かなる宣戦布告

 ギアヘブンの商人が残していった品々は、フロンティアの村に、静かだが確実な亀裂を生んでいた。

 昼間の仕事中も、誰かが溜息をつきながら、広場に置かれたままの浄水装置を羨ましそうに眺めている。女たちは、洗濯をしながら、固形石鹸があれば、と噂話に花を咲かせた。

 俺が独断で商談を断ったことへの不満が、村の中にじわじわと広がっていくのを、俺は肌で感じていた。


「ユウキの奴も、少し頭が固すぎるんじゃねえか」

「そうだそうだ。もう少し、うまくやればいいものを」

 そんな陰口が、俺の耳にも届いてくる。

 ダントさんでさえ、俺と顔を合わせると、気まずそうに目を逸らすようになった。


 俺は、その状況を甘んじて受け入れた。

 今は、何を言っても無駄だ。俺がやるべきことは、言葉で説得することではない。結果で、示すことだ。

 俺は、昼間は村人たちと共に農作業に汗を流し、夜になると、密かにあの古い倉庫へと通った。


 倉庫の中は、俺の秘密の醸造所と化していた。

 大きな樽をいくつも並べ、アルブレヒトの日誌を元に、ポテト酒の試作を繰り返す。

 まず、大量のポテトを蒸して、徹底的に潰す。そこに、特殊な酵母――これも、日誌を元に、特定のカビから培養したものだ――を加えて、糖化させる。甘い香りが、倉庫の中に立ち込めた。

 そして、それを樽に移し、発酵させる。数日経つと、ぶくぶくと泡が立ち始め、アルコールが生成されていく。


 この段階で出来るのは、ビールに似た、アルコール度数の低い醸造酒だ。味は、まあまあといったところ。

 だが、俺が目指しているのは、こんなものではない。

 ギアヘブンの富裕層が好んで飲むという、喉が焼けるように熱い、高純度の『蒸留酒』。彼らの経済を揺るがすための、戦略兵器だ。


 俺は、ザギとキバにだけ、この計画を打ち明けた。

「……酒、だと?」

 話を聞いたザギは、驚きと面白さが半々といった顔をした。

「そうだ。ギアヘブンの資金源の一つは、酒の専売だ。他の集落では作れない、高品質な蒸留酒を、法外な値段で売りつけて、莫大な利益を上げている。俺たちは、それよりも安くて、美味い酒をポテトで作る。そして、ギアヘブンを通さずに、周辺の集落に直接売りさばくんだ」


「なるほどな……。奴らのシマを、内側から荒らすってわけか」

 キバが、ニヤリと笑った。「面白い! 気に入ったぜ、その作戦! 蒸留器なら、俺に任せな。廃材から、最高にイカしたやつを組み上げてやる」


 俺の計画に、二人は全面的に協力してくれることになった。

 キバは、持ち前のメカニック技術を駆使し、驚くべき速さで簡易的な蒸留器を完成させた。銅管を巧みに組み合わせた、いびつだが機能的な代物だ。

 俺たちは、発酵を終えたポテトのもろみを、その蒸留器にかけ、ゆっくりと熱していく。

 やがて、管の先から、透明な液体が、一滴、また一滴と滴り始めた。

 アルコールだ。水よりも沸点が低いため、先に蒸気となって気化し、冷却管で冷やされて、再び液体となって出てくる。


 俺は、その液体を、小さな杯に受けた。

 ツン、と鼻を突く、強烈なアルコールの香り。

 俺は、覚悟を決めて、それを一気に呷った。


「か……っはぁーーっ!」


 喉が、焼けるように熱い。胃の腑が、カッと燃え上がるようだ。だが、その強烈な刺激の後から、ポテト由来の、ほのかでクリーンな甘みが、ふわりと鼻に抜けていった。

 雑味がなく、どこまでもクリアな味わい。


「……できた……。『ポテトウォッカ』だ……!」


「上出来じゃねえか!」

 味見をしたザギも、キバも、目を丸くして感嘆の声を上げた。

「こんな美味い酒、飲んだことねえぞ! ギアヘブンのクソ高い酒なんか、目じゃねえ!」


 俺たちは、勝利を確信した。

 それから数日、俺たちは夜な夜なウォッカの密造に励んだ。

 そして、ある夜、俺は完成したポテトウォッカを樽に詰め、ザギと共に、村を抜け出した。

 目的地は、フロンティアから最も近い、小さな中継集落『ダストピット』だ。そこは、様々なキャラバンが行き交う、情報の交差点でもあった。


 ダストピットの酒場は、荒くれ者たちでごった返していた。

 俺とザギは、カウンターの隅に座り、酒場の主人に、持ってきたウォッカの小瓶を差し出した。


「おやじ、新作だ。試してみないか?」

「ああん? どこの馬の骨だか知らねえが、うちはギアヘブンの酒しか扱わねえんだ。余所者の安酒なぞ……」


 主人は、面倒くさそうに手を振ったが、ザギが銀貨を一枚、カウンターに置くと、渋々といった顔で小瓶を受け取った。

 そして、一口、舐めるように飲むと……その顔色が変わった。


「な……なんだ、この酒は……!? こんなにクリアで、キレのあるスピリッツは……!」


 その反応を見て、周囲の飲んだくれたちも、興味深そうにこちらを見ている。

 俺は、不敵に笑った。


「フロンティア産の、ポテトウォッカだ。気に入ったなら、卸してやる。ギアヘブンの酒の、半値でな」

「は……半値だと!?」


 酒場中が、どよめいた。

 その夜、俺たちのポテトウォッカは、ダストピットの酒飲みたちの心を、瞬く間に鷲掴みにした。

 噂は、荒野を駆け巡る風よりも速い。


 数日後には、フロンティアの村に、ダストピットや、さらに遠くの集落から、商人たちが次々と訪れるようになった。彼らの目当ては、ただ一つ。俺たちのポテトウォッカだ。

 村人たちは、何が起こっているのかわからず、ただ呆然と、ひっきりなしに訪れる商人たちを眺めていた。


 そして、俺たちのウォッカが流通し始めてから、二週間後。

 ついに、その報せは、ギアヘブンのバルトロの耳にも届いた。


 その頃、俺は村の広場に、巨大な蒸留器を設置し、村人たちの前で、ポテトウォッカの製造を公開していた。

 豊かに実ったポテトが、村人たちの手によって、価値ある酒へと変わっていく。その光景は、何より雄弁に、俺の選択の正しさを物語っていた。


「すげえ……。俺たちのポテトが、金になる……」

「ユウキは、俺たちのことを考えてくれてたんだ……」


 ダントさんをはじめ、俺を疑っていた村人たちが、今は尊敬と感謝の眼差しで、俺を見つめている。

 アンナも、誇らしそうな顔で、俺の隣に立っていた。


 俺は、静かなる宣戦布告の狼煙を上げたのだ。

 ポテトの力で、ギアヘブンの経済支配に、真っ向から戦いを挑む。

 これから始まる本当の戦いを前に、俺は、出来立てのポテトウォッカを一杯呷り、不敵な笑みを浮かべた。

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