第三章 ポテト経済圏狂想曲

第23話 開拓者たちの食卓

 西のオアシスから帰還して、一ヶ月が過ぎた。

 フロンティアの村は、まるで長い冬から目覚めたかのように、爆発的な活気に満ち溢れていた。その原動力となっているのは、言うまでもなく、俺が持ち帰ったアルブレヒトの日誌――禁断の、そして希望の知識だった。


「ユウキ! こっちの土壌改良、終わったぞ! 日誌の通りに、焼いた骨と川砂を混ぜ込んでみた!」

「よし、ダントさん! じゃあ、こっちの区画に新しい種イモを植え付けよう!」


 実験農場は、以前の数倍の広さに拡張されていた。村人、元サンドクローラー、そして労働を志願した元ハイエナたちが、一丸となって開拓作業に汗を流している。かつて敵同士だった者たちが、同じ目標に向かって鍬を振るう光景は、俺の胸を熱くさせた。


 そして、その中心には、常に俺とアンナがいた。


「ユウキ、こっちの交配、うまくいったみたい!」

 アンナが、興奮した声で俺を呼んだ。

 彼女が指差す先には、見慣れない植物が育っている。ポテトの株なのだが、その茎には、まるでトマトのような、小さな緑色の実がいくつもなっていたのだ。


「やったな、アンナ!」


 これは、俺が旅に出る前にアンナに託したトマトと、ポテトの交配種。アルブレヒトの日誌にあった高度な受粉技術を応用し、俺とアンナが二人で試行錯誤を重ねてきた、記念すべき新品種第一号だった。


 俺たちは、その植物の根を掘り起こした。土の中からは、いつも通りのポテトがごろごろと出てくる。問題は、茎になっている、あの実だ。

 俺は、一番赤く色づいた実を一つもぎ取り、恐る恐る口に含んでみた。

 口の中に広がる、爽やかな酸味と、ほのかな甘み。そして、後から追いかけてくる、ポテト特有の優しい風味。


「……うまい!」


 それは、トマトでもなく、ポテトでもない、全く新しい味覚だった。

 一つの株から、主食となるイモと、野菜となる実の両方が収穫できる。まさに、革命的な作物だ。


「こいつは、『ポマト』と名付けよう!」


 俺の宣言に、アンナは満面の笑みで頷いた。

 その日の夕食は、ポマトを使った新しい料理で、村中が沸いた。

 蒸したポテトに、潰したポマトの実をかけただけのシンプルな料理。だが、ポテトのホクホク感と、ポマトのフレッシュな酸味が絶妙にマッチし、これまでのポテト料理とは一線を画す、洗練された味わいを生み出していた。


「なんだこりゃあ! うめえ!」

「酸っぱいポテトなんて、初めて食ったぞ!」


 歓声が上がる中、俺は一人、調理場で次の試作に取り掛かっていた。

 潰したポマトの実を鍋で煮詰め、岩塩と、ザギたちが他の集落から手に入れてきた数種類のスパイスを加える。トロリとするまで煮詰めていくと、鮮やかな赤色の、濃厚なソースが完成した。


「……よし、『ポチャップ』の完成だ」


 俺は、それを揚げたてのポテトチップスにつけて、一口食べた。

 凝縮されたポマトの旨味と、スパイスの刺激。ポテトチップスの塩気と、脂の甘み。それらが口の中で一体となり、脳天を突き抜けるような、衝撃的な美味さが広がった。

 これは、ただのソースじゃない。長期保存が可能で、様々な料理に応用できる、万能調味料だ。フロンティアの食文化が、新たなステージに上がった瞬間だった。


 ポマトの成功を皮切りに、俺たちの開発はさらに加速した。

 アンナが担当したカボチャとの交配種『パンプキンポテト』は、その強い甘みから、干して保存食にしたり、潰してお菓子にしたりと、子供たちに大人気となった。

 そして、俺が最も力を入れていたのが、『オイルポテト』の開発だった。


 これは、アルブレヒトの日誌の中でも、特に異彩を放っていた技術だ。特定の酵母を使い、ポテトのデンプンを分解、圧搾することで、燃焼効率の高い油を抽出するというもの。

 俺は、村の片隅に小さな蒸留所を建て、試行錯誤を繰り返した。


「……キバ、やってみてくれ」


 数週間後、俺は抽出した油を、キバのバイクの燃料タンクに注ぎ込んだ。

 キバは、半信半疑といった顔で、エンジンのキックペダルを踏む。


 ブロロン、と最初は頼りない音だったが、やがてエンジンは安定した力強い音を奏で始めた。


「……動いた……。本当に、イモの油で、バイクが動いちまった……!」

 メカニックであるキバが、誰よりも驚いていた。

「すごいぜ、ユウキ! これさえあれば、もう貴重なガソリンを探して、荒野を彷徨う必要もねえ! 俺たちの行動範囲が、無限に広がる!」


 食料、調味料、そして燃料。

 ポテトは、俺たちの生活のすべてを支える、文字通りの『黄金』となりつつあった。

 村は豊かになり、人口も少しずつ増え始めた。噂を聞きつけた、周辺の小さな集落から、移住を希望する者たちが現れ始めたのだ。


 そんなある日。

 村の見張りから、一団のキャラバンがこちらに向かっている、という報告が入った。

 賊ではない。立派な荷馬車を何台も連ねた、大規模な商隊だ。

 やがて、村の入り口に現れたのは、これまでの荒野では見たこともないような、清潔な身なりの男たちだった。


 リーダーらしき、口髭をたくわえた恰幅のいい男が、人好きのする笑みを浮かべて、俺たちの前に進み出た。


「これはこれは、ご挨拶が遅れました。私は、東の交易都市『ギアヘブン』で、商会長を務めております、バルトロと申します」


 ギアヘブン。その名には、聞き覚えがあった。

 大崩壊以前の技術を独占し、周辺地域を経済的に支配しているという、巨大な商業都市。


「近頃、良い噂を耳にしましてな。このフロンティアという村には、奇跡のような作物がある、と。ぜひ、我々にもその『黄金』を、見せてはいただけませんかな?」


 バルトロと名乗る男の目は、笑っていた。

 だが、その奥には、獲物を見つけたハイエナのような、鋭く、貪欲な光が宿っているのを、俺は見逃さなかった。


 新たな風が、フロンティアに吹き込もうとしていた。

 その風が、恵みの風となるか、あるいは、すべてを吹き飛ばす嵐となるか。

 俺たちのポテト文明は、外の世界との、初めての本格的な接触を迎えようとしていた。

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