第22話 帰還、そして新たな種蒔き

 西のオアシスが崩落する轟音を背に、俺たちは無我夢中でバイクを走らせた。

 砂塵が晴れ、振り返った時、そこにはもう巨大なバイオドームの姿はなく、ただ、なだらかな砂丘が広がっているだけだった。一つの時代の終わりを、俺たちは目の当たりにしたのだ。


 俺のバイクの後部座席で、サラはもう抵抗しなかった。ただ、小さな子供のように、俺の背中に顔をうずめて、静かに震えているだけだった。何十年も彼女を縛り付けてきた憎しみの対象も、その根源にあった悲しい真実も、すべてが砂の下に消えてしまった。今の彼女は、きっと空っぽなのだろう。


 帰路は、奇妙なほど穏やかだった。

 ボーンイーターの女王を倒したおかげか、危険な変異生物に遭遇することはなく、天候も安定していた。

 俺たちは、道中、ほとんど口を利かなかった。それぞれが、西のオアシスでの出来事を、自分の中で反芻していた。


 俺は、夜、仲間たちが寝静まった後、ランプの灯りを頼りに、アルブレヒトの日誌を読みふけった。

 そこには、ゴライアスの悲劇だけでなく、ポテトに関するありとあらゆる知識が詰まっていた。

 病害への画期的な対策。異なる品種の長所だけを組み合わせる、高度な交配技術。そして、ポテトから油を抽出し、燃料として利用する方法まで……。


「……すごい。じいちゃんがやろうとしていたことの、さらに先を行ってる……」


 それは、まさに禁断の知識の宝庫だった。

 だが、その知識のすべてに、アルブレヒトの苦悩と後悔が滲んでいる。どのページにも、「決して、自然を侮るな」「生命への畏怖を忘れるな」という、血を吐くような戒めの言葉が書き連ねられていた。

 俺は、この日誌を、ただの技術書としてではなく、一人の人間の魂の記録として、心に刻み込んだ。


 旅に出てから、一ヶ月。

 俺たちの眼前に、見慣れた景色が広がってきた。フロンティアの村だ。

 物見櫓から、俺たちのバイクに気づいたのだろう。村の入り口に、人影が集まってくるのが見えた。


「……帰ってきたぞ!」


 誰かが叫んだ。

 俺たちが村の入り口にたどり着くと、ダントさんやギデオン長老をはじめ、村人たちが、歓声と共に俺たちを迎え入れてくれた。


「ユウキ! 無事だったか!」

「よくぞ、帰ってきた!」


 その輪の中心には、アンナがいた。

 彼女は、俺の顔を見ると、みるみるうちに瞳に涙を溜め、駆け寄ってきて、そのまま俺の胸に飛び込んできた。


「……おかえり、ユウキ……!」

「……ああ。ただいま、アンナ」


 俺は、彼女の体を強く抱きしめた。

 一ヶ月ぶりの再会。俺たちの間にあった溝は、まだ完全には埋まっていないかもしれない。だが、今は、ただ彼女の温もりを感じていたかった。


 その夜、俺たちの帰還を祝う、ささやかな宴が開かれた。

 俺は、旅の報告として、アルブレヒトの日誌の存在と、そこに書かれていた真実を、村人たちに語って聞かせた。

 ゴライアスの悲劇。アルブレヒトの苦悩。そして、サラの過去。

 話を聞き終えた村人たちは、誰もが神妙な顔つきで、今はただ静かに牢に戻されているサラに、同情と憐憫の目を向けていた。


 宴の後、俺はアンナに誘われて、実験農場に来ていた。

 そこには、俺が旅立つ前にはなかった、新しい区画が作られていた。


「これ……」


 そこには、青々とした葉をつけた、トマトとカボチャが、力強く育っていたのだ。

 俺が、アンナに託した、あの種だ。


「……あんたが旅立った後、色々考えたの」

 アンナは、少し照れくさそうに言った。「あんたを、ただ待ってるだけじゃ、ダメだって。私にも、何かできることがあるはずだって。だから……あんたの代わりにじゃない。私自身の意志で、こいつらを育ててみようって決めたの」


 彼女の言葉が、温かい光のように、俺の心に染み込んでいく。

 アンナは、ただ待っていただけじゃなかった。彼女もまた、俺がいない間に、自分の足で一歩、前に進んでいたのだ。


「見て。トマトのいくつか、もう実がなってるのよ」

 彼女が指差す先には、まだ青いが、ぷっくりとしたトマトの実がいくつもぶら下がっていた。

「すごいじゃないか、アンナ! この土地で、トマトをここまで育てられるなんて!」

「ふふん。私だって、やればできるのよ」


 俺たちは、並んで、育ち始めた野菜たちを眺めた。

 心地よい沈黙が、流れる。

 俺たちの間の溝は、いつの間にか、消えていた。いや、消えたのではない。この新しい畑が、俺たちの間に架かる、新しい橋になってくれたのだ。


「なあ、アンナ。こいつらとポテトを交配させてみないか。俺が、アルブレヒトの日誌で学んだ技術を使えば、きっとうまくいく」

「……ええ。やってみたいわ。あんたと一緒に」


 俺たちは、顔を見合わせて、笑った。


 翌日。

 俺は、村の広場に、村人と、元サンドクローラー、そして牢から出されたハイエナの残党たち、全員を集めた。

 そして、宣言した。


「俺は、このフロンティアを、世界一のポテトの都にする!」


 俺は、アルブレヒトの日誌を掲げた。

「この日誌の知識と、俺たちの技術を合わせれば、それは可能だ。食料だけじゃない。薬も、燃料も、すべてをポテトで自給自足できる、本当の楽園を作る。そのために、みんなの力を貸してほしい!」


 そして俺は、ハイエナの残党たちに向き直った。

「お前たちにも、チャンスをやる。この村の発展のために働くというのなら、過去の罪は問わない。俺たちの仲間として、ここで生きていくことを許そう」


 俺の提案に、ハイエナたちは、驚きと、そして更生の光を目に宿した。

 ザギやキバも、満足そうに頷いている。


 俺は、新しい種を蒔くことにしたのだ。

 それは、ポテトの種だけではない。人々の心に、融和と、未来への希望という種を蒔くこと。


 俺は、牢の中にいるサラのことを思った。

 彼女の心の凍土にも、いつか、希望の芽は出るだろうか。

 それはまだ、わからない。

 だが、俺は諦めない。


 俺たちのポテトアポカリプスは、新たな章を迎えた。

 武器を手に取る戦いの時代は終わった。

 これからは、鍬と、知恵と、そして仲間との絆を武器に、この錆びた大地を、本物の黄金郷へと変えていく、開拓の時代が始まるのだ。

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