第20話 西のオアシス、沈黙の廃墟

 嘆きの砂嵐が過ぎ去った後、俺たちの旅路は大きく開けた。

 砂の勢いが弱まり、錆び色の岩盤が剥き出しになった大地が広がる。サラによれば、西のオアシスはもう目と鼻の先だという。


「……あれよ」


 数時間後、サラが指差した先。地平線に、陽炎のように揺らめく、巨大なドーム状の建造物が見えた。大崩壊以前の遺跡だろうか。ガラスと金属でできたそのドームは、所々が崩落し、錆びつき、痛々しい姿を晒していた。


 近づくにつれて、その全貌が明らかになる。

 ドームは、かつてこの一帯の気候を管理し、緑豊かな環境を作り出していた巨大な植物工場――バイオドームだったのだ。その周囲には、朽ち果てた家々の残骸が、墓石のように点在している。

 ここが、西のオアシス。かつて、ポテトによって繁栄し、そしてポテトによって滅んだ村。


 俺たちは、バイクを降りて、沈黙の廃墟へと足を踏み入れた。

 風の音以外、何も聞こえない。人の気配も、獣の気配もない。ただ、時間が止まったかのような、深い静寂が支配していた。


「……変わらないわね。私がここを捨てた、あの日から……」

 サラが、虚ろな声で呟いた。彼女の瞳には、過去の記憶が走馬灯のように駆け巡っているのだろう。


「日誌は、どこにあるんだ?」

 ザギが、現実的な問いを投げかける。

「父さんの……研究所よ。バイオドームの中心にあるはず」


 俺たちは、サラの案内に従って、崩れかけたドームの内部へと侵入した。

 ドームの中は、外の荒野とは別世界だった。

 光を失った天井からは、枯れ果てた植物の蔓が不気味に垂れ下がり、足元には、干からびた土と、正体不明の植物の残骸が広がっている。かつては、ここで様々な作物が育てられていたのだろう。


「すごいな……。こんなものが、二百年以上も前に作られてたなんて」

 キバが、感嘆の声を漏らす。

 大崩壊以前の文明の、圧倒的な技術力。その残骸を前に、俺たちはただただ、言葉を失った。


 ドームの中心部には、ひときわ大きな建物があった。ガラス張りの壁はほとんどが割れ落ち、蔦が絡みついている。『アルブレヒト植物遺伝子研究所』という錆びたプレートが、かろうじてその役割を示していた。


 研究所の中は、外以上に荒廃していた。

 棚は倒れ、ガラス器具の破片が散乱し、床には、黄ばんでボロボロになった書類が散らばっている。まるで、何か大きな争いでもあったかのような惨状だ。


「日誌は……研究室の、一番奥の金庫にあるはず」

 サラは、記憶を辿るように、奥へと進んでいく。

 俺たちは、彼女の後に続いた。


 一番奥の部屋は、所長の部屋だったのだろう。豪華な作りの机と椅子が、埃をかぶって鎮座している。そして、その壁には、巨大な鉄製の金庫が埋め込まれていた。


「これだ……!」

 だが、金庫の扉は、固く閉ざされている。ダイヤル式の鍵がかかっており、素人が簡単に開けられる代物ではなさそうだ。


「おいおい、嘘だろ。ここまで来て、開けられねえなんてオチはねえよな?」

 キバが、金庫の扉を叩きながら悪態をつく。

「サラ、暗証番号は知らないのか?」

 ザギの問いに、サラは力なく首を振った。

「父さんは、絶対に教えてくれなかった。私でさえ、この金庫の中は見たことがない……」


 万事休すか。

 俺たちが途方に暮れていると、不意に、部屋の隅で物音がした。


「!?」

 全員が、一斉にそちらを向く。

 倒れた棚の陰から、何かがゆっくりと姿を現した。


 それは、人間だった。

 いや、かつて人間だった、何か、だ。

 ボロ切れのような服をまとい、肌は土気色で、その瞳には、理性の光が全く宿っていない。ただ、飢えた獣のような、鈍い光だけが揺らめいていた。


「……『ゴースト』……」

 ザギが、低い声で呻いた。

 大崩壊の生き残りとも、汚染によって変異した人間とも言われる、この廃墟を彷徨う存在。彼らは、知性も感情も失い、ただ動くものに襲いかかるという。


 一体だけではなかった。

 研究所のあちこちから、ゴーストたちが、引きずられるような足取りで、次々と姿を現し始めた。その数、十数体。彼らは、何十年もの間、この研究所の中で、ただ生き永らえてきたのだろうか。


「……父さんの、村の……人たち……」

 サラが、震える声で呟いた。

 ゴーストたちの顔には、見覚えがあるのかもしれない。


 ゴーストたちは、俺たちという『侵入者』を認識すると、ア゛ア゛ア゛、という声にならない呻き声を上げながら、一斉に襲いかかってきた。


「囲まれるな! 入り口まで後退するぞ!」

 ザギの号令で、俺たちは応戦しながら、後退を始めた。

 だが、ゴーストたちは、痛みを感じないのか、ナタで斬りつけられても、クロスボウの矢が突き刺さっても、怯むことなく前進してくる。


「キリがねえ!」

 キバが叫ぶ。

 このままでは、じりじりと追い詰められて、やられてしまう。


 金庫を開けなければ、ここに来た意味がない。

 だが、どうやって?

 俺は、ゴーストたちと戦いながら、必死に思考を巡らせた。

 金庫、ダイヤル、暗証番号……。


 その時、俺の脳裏に、サラの言葉が蘇った。

『父さんは、私にポテトばかり食べさせようとした』

『ゴライアスは、とても美味しかった』

 アルブレヒトは、ポテト狂だった。彼の人生のすべては、ポテトだった。

 ならば……。


 俺は、散乱した書類の中から、一枚の紙片を拾い上げた。それは、ポテトの品種を管理するための、古いリストのようだった。

 そこには、様々な品種名と、管理番号らしき数字が並んでいる。


『フロンティアベーシック No.001』

『ストーンヘッド(ストーンポテトの原種か?) No.028』

『クイックスター(クイックグロウの原種か?) No.112』


 そして、リストの一番最後に、ひときわ大きな文字で書かれた項目があった。


『ゴライアス ――GOLIATH―― No.502810』


 これだ!

 502810……ゴ・ツ・ヤ・ト……? いや、違う。数字そのものが、暗号になっているはずだ。


「サラ!」

 俺は、ゴーストに囲まれかけているサラに向かって叫んだ。

「あんたの誕生日はいつだ!?」

「はあ!? 今、そんなこと聞いてどうするのよ!」

「いいから、教えろ!」


「……5月、28日よ!」

「年は!?」

「……知らないわよ! とっくに忘れたわ!」


 5月28日。

 ゴライアスの管理番号、『502810』。

 5、28……。そして、10。サラの年齢が、10歳だった頃……?

 そうだ。彼女が、この村を捨てた時の年齢。


「賭けるしか、ない!」


 俺は、仲間たちに叫んだ。

「時間を稼いでくれ! 金庫を開ける!」


 俺は、ゴーストたちを掻い潜り、金庫の前にたどり着いた。

 そして、ダイヤルに、震える指で数字を合わせていく。


 右に、5。

 左に、28。

 右に、10。


 そして、ゆっくりと、金庫のハンドルに手をかけた。

 頼む、開いてくれ……!


 ガチャリ、という、重い金属音が、部屋に響き渡った。

 開いたのだ。

 俺は、勢いよく金庫の扉を開け放った。


 金庫の中は、がらんどうだった。

 ただ、その中央に、分厚い革の表紙で装丁された一冊の日誌が、ぽつんと置かれているだけだった。


『アルブレヒト・フォン・ポテトの日誌』


 その、あまりにもふざけた名前の人物が遺した、悲劇と、そして禁断の知識の記録。

 俺は、ついにそれを、手に入れたのだ。

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