第12話「満天の灯り」

 8月14日午後6時。レター・フェスティバル本番が、いよいよ幕を開けた。

 日没直前の旧倉庫前広場には、曙浜町だけでなく隣町や遠方からも集まった観客があふれていた。屋台の灯りがともり、浴衣姿の親子連れやカップル、年配夫婦たちの笑顔が行き交っている。

 「すごい……ここまで人が集まるなんて!」梨絵が目を輝かせる。

 「晴れてよかったな……この夜景と潮風は最高の演出だぜ」知樹が顔を上げる。

 「各屋台も順調。誘導ルートも混雑なし。警備も万全よ」真理が即座に確認を入れる。

 「避難経路も最終確認済み。想定通り進行してます」優愛も冷静に頷く。

 「皆さん、ありがとうございます」雄太が柔らかな声で感謝を口にした。

 「出た、魔性の感謝力・本番突入編!」智が笑う。

 6人は準備用の控えブースで互いに軽く拳を重ねた。

 「今日までよく頑張ったわね」真理が穏やかに言う。

 「うん!でもまだ本番はこれからだよ!」梨絵が拳を握る。

 「さあ……最高の夜にしよう!」知樹が力強く言った。

 「任せて!」智が頷いた。

 「皆さんがいてくれるから、きっと大丈夫です」雄太の言葉に全員がうなずいた。

 午後6時半。ゆるやかに暮れていく空を背景に、会場の中心に設けられた特設ステージに司会者が登壇した。

 「皆さま、お待たせしました!――これより、曙浜レター・フェスティバル、開演いたします!」

 観客席から大きな拍手が巻き起こった。

 ゆっくりと幕が上がっていく。

 それは、これまでの努力のすべてが形になる瞬間だった。


 ステージ中央に映し出された映像は、曙浜町の古い写真から始まった。

 まだ港が賑わい、帆船が往来していた頃のモノクロ写真。小さな商店街、海辺に並ぶ木造の家々、そしてかつての旧倉庫。

 「曙浜の歴史を未来へつなぐ――それが、今日のテーマです」司会者の穏やかな声が響く。

 プロジェクターが切り替わり、やがて映し出されたのは、60年前の未投函ラブレターだった。

 観客席がしんと静まり返る。

 古びた紙面に綴られた、たった一通の想い。

 それが、ここに集まった人々の心に静かに染み込んでいく。

 「この手紙が見つかったことで、私たちの新しい挑戦が始まりました」司会者が続ける。「町の人々が手を取り合い、倉庫を修復し、新たな光を灯す準備を進めてきました」

 ナレーションとともに、倉庫補修の様子が記録映像として流れる。瓦礫を撤去し、ペンキを塗り直し、ロープで屋根を固定する雄太たちの姿。

 その一つ一つの努力の積み重ねが、今ここに結実している。

 「――今宵、その光を皆さまにお届けします」

 その言葉を合図に、会場全体の照明が一旦落とされた。

 しんとした闇。

 その中心で、静かにオブジェが光を放ち始める。

 まずは柔らかな橙色の点がひとつ。

 やがてそれは増え、揺らめきながら満天の星空のように広がっていく。

 まるで、60年分の想いが今ここで解き放たれていくかのようだった。

 「わあ……!」

 「きれい……!」

 観客から自然と感嘆の声が漏れる。

 子どもたちが目を輝かせ、大人たちが手を取り合い、皆が一つの景色を見つめていた。

 その中央に、6人は静かに立っていた。

 「……ここまで来たのね」優愛が小さく呟く。

 「うん。夢みたいだよ」梨絵が目を潤ませる。

 「苦労の甲斐があったな……」知樹がしみじみと呟く。

 「計算以上の演出効果だわ。完璧よ」真理が低く息を吐く。

 「これが、私たちの町の力だな」智が微笑む。

 そして雄太が、そっと言った。

 「……ありがとうございます」

 6人の心が、静かに重なり合っていた。


 光のオブジェが星空のように瞬き続ける中、会場内には次第に穏やかな音楽が流れ始めた。

 それは60年前に流行した古い映画の主題歌。ゆったりとしたメロディーが、潮風とともに響き渡る。

 ふと、観客の一部が静かに口ずさみ始めた。高齢の夫婦、年配の商店街店主たち、昔を知る人々の中に思い出が蘇っているのだった。

 「……この歌、父も母も好きだったな」真理がぽつりと呟く。

 「おばあちゃんも昔よく歌ってくれたよ」梨絵が微笑む。

 「……曙浜の“記憶”そのものなんだろうな」智が目を細める。

 「僕も最近、倉庫作業中によく口笛で吹いてました」雄太が柔らかく微笑んだ。

 「そうそう、あの夕暮れの波止場で口笛吹いてたあの日!」知樹が思い出して笑う。

 「私、あの時あなたにちょっと嫉妬したのよね……」真理が冗談めかして言うと、みんながくすっと笑った。

 その時、司会の声が再び響く。

 「このフェスティバルを通じて、新たな町の伝統が生まれました。そして最後に、準備を支えてくれた若者たちを代表して、一言ご挨拶をいただきます」

 再び観客が静まり返る。

 スポットライトがゆっくりと中央に立つ雄太を照らした。

 マイクの前に立った彼は、いつものように静かに一礼し、ゆっくりと語り始めた。

 「――僕は、この町に来て、まだ数か月しか経っていません」

 シンプルな一言から始まったそのスピーチに、観客の誰もが耳を傾けた。

 「でも、ここで出会った皆さんが、たくさんの“絆”を教えてくれました。人と人が支え合い、困難を乗り越え、何かを一緒に作り上げていく――その温かさを」

 彼の声は決して大きくはないが、不思議と心の奥に届く響きを持っていた。

 「この光景は、僕一人では決して見ることができませんでした。優愛さん、真理さん、智さん、知樹さん、梨絵さん――そして町の皆さんのおかげです」

 その名を呼ばれた仲間たちは、自然と微笑みながら見守っていた。

 「この光が、今日ここに集まってくださった皆さんの心にも、ずっと残りますように」

 またしても、雄太は静かに、だが確かな感謝を伝えた。

 会場全体が拍手に包まれる。

 「……また出た、“魔性の感謝力・大団円版”だわ」真理がそっと呟き、6人は自然と顔を見合わせた。

 この夜は、町の新しい“灯り”として、いつまでも心に刻まれていった。


 スピーチが終わり、ステージ上のオブジェはさらに輝きを増した。

 光の粒が波打つように柔らかく揺れ、夜空に吸い込まれていく錯覚すら覚える美しさだった。

 観客席では子どもたちが「あの星になったみたい!」とはしゃいでいる。若いカップルたちは手を取り合い、年配の夫婦は肩を寄せ合っていた。

 「……これが私たちの町の新しい“景色”なのね」優愛が目を細める。

 「本当に、こんなにも多くの人が集まってくれて……」梨絵も胸いっぱいに景色を見渡した。

 「きっと来年も続けたくなるわよね」真理が静かに呟く。

 「もう完全に“町の誇り”になったな」知樹がしみじみと腕を組んだ。

 「ソーラーパネル配線、臨時工事のままじゃ勿体ないな。常設化して観光用にも使えそうだぞ」智が現実的に分析している。

 その会話を聞きながら、雄太はそっと皆に向き直った。

 「……皆さん、本当にありがとうございました」

 またしても静かな感謝がこぼれる。

 「出た、魔性の感謝力・無限ループ!」知樹が軽口を叩く。

 「ほんと、もう恒例よね」真理も微笑む。

 「でもね、雄太くん」梨絵が柔らかく続ける。「きっとこの町のみんなも、あなたに感謝してると思うよ」

 「うん、確実にそうだな」智が頷く。

 「僕は……ただ皆さんと一緒に動いてきただけです」

 「それが難しいのよ」優愛がそっと微笑む。「それを自然にできるのが、あなたの一番の魅力よ」

 穏やかな潮風が6人の周りを優しく撫でていく。

 ステージの奥では、フィナーレの準備が進められていた。

 いよいよ、この美しい夜の締めくくりが近づいている。


 午後8時30分。フェスティバルはついにフィナーレを迎えた。

 音楽が緩やかに高まり、光のオブジェがまるで星雲のように揺らめく。

 すると突然、オブジェ中央に特別な演出が現れた。

 ――浮かび上がったのは、未投函ラブレターの差出人と受取人の名前だった。

 「……!」

 観客席から小さく感嘆の声が漏れる。

 「やっぱり公開したのね」真理がそっと呟く。

 「ええ。差出人の遺族の方も、快く承諾してくださったから」優愛が頷く。

 「こうして物語が一つの形になるなんて……」梨絵が胸を押さえた。

 知樹は観客席の中央に座る高齢の女性をそっと見つめた。ラブレターの受取人だった元女性は、目頭を拭いながらその光景を見つめている。

 「……届いたな」知樹が静かに呟いた。

 智も隣で小さく頷く。

 「これが“つながる”ってことだよな」

 オブジェの輝きは次第にゆっくりとフェードアウトし、最後は天の川のような柔らかな光が夜空に浮かび続けた。

 会場全体が、言葉にできない静かな感動に包まれていた。

 そして最後に、町の子どもたちが一斉に手持ちランタンを掲げる演出が始まった。

 小さな明かりが波のように広がっていく。

 まるで新しい世代が、この町の光を未来に引き継いでいくかのようだった。

 「……素敵すぎる」梨絵が声を震わせた。

 「最高のフィナーレだな」知樹も感無量の表情を浮かべる。

 「これが私たちの“町の灯り”ね」真理が優しく微笑んだ。

 「本当に……ありがとう、皆さん」雄太がまた静かに言った。

 6人は自然と肩を寄せ合いながら、その光景をいつまでも見つめ続けていた。


 フィナーレの演出が終わると、会場全体が万雷の拍手に包まれた。

 まるで曙浜町そのものが一つの大きな家族になったかのようだった。

 「……本当に、終わったんだな」知樹が小さく呟く。

 「うん。最高の夜だよ」智が穏やかに笑う。

 「皆の顔がこんなに幸せそうなの、初めて見るわ」真理が目を細める。

 「私、もう泣きっぱなしだよ……」梨絵がまた目を拭った。

 「でも、その涙もこの町の宝物よ」優愛がそっと言った。

 雄太は、しばらく会場全体を静かに見渡していた。

 「……僕、この町が本当に好きになりました」

 その言葉に、全員が顔を向けた。

 「ねえ、雄太」真理がふと静かに尋ねた。「……あなた、次はどこに行くの?」

 「……」

 しばらく考えたあと、雄太は柔らかく微笑んだ。

 「また、誰かの役に立てる場所を探して……次の町へ行こうと思います」

 6人は一瞬、言葉を失った。

 だが、誰も引き止めはしなかった。

 それが彼の“魔性”なのだと、皆が理解していたから。

 「……でも、きっとまた会えるよね?」梨絵が震える声で尋ねる。

 「もちろんです」雄太ははっきりと答えた。「必ず、またお会いしましょう」

 「……じゃあ、最後に」知樹が手を差し出す。

 6人の拳がゆっくりと重なり合った。

 「友情の円陣、完成だな」智が笑う。

 「ええ。これはもう永遠の絆よ」優愛が微笑んだ。

 夜空には満天の星。

 レター・フェスティバルの灯りは、静かに町の未来を照らし続けていた。


第12話 完

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