第5話 未来に名前をつける日
──「匿名の夢」から「名乗る覚悟」へ。
名前を書くだけだった。
自分の中に何かが芽生えているのはわかる。けれどその一方で、心のどこかが、まだ叫んでいた。
──「私はこれでいいのか?」
その問いに、誰も答えてはくれない。問いは空白の紙の上に漂いながら、彼女の手元に沈んでいく。
それでも、彼女はそっと書いた。書くという行為そのものが、不安と向き合う“かたち”だった。
進路希望調査、最終提出。プリントの右上、「志望職業」の欄。ずっと見つめていたその空白に、今、ボールペンの先が近づいていく。
「……整備士」
声にはしなかったが、確かにそう書いた。
その瞬間、胸の奥で何かが「かちん」と音を立ててはまった気がした。
匿名で描いてきた夢に、自分の名前を重ねる。
誰かの言葉ではない、自分の言葉で、夢に責任を持つ。
それは、「なりたい」から「なる」の境界線だった。
隣の席では、友人が「まだ決まってないんだよね」と笑っていた。
その言葉に返す笑顔は、ごく自然に浮かんだ。
心の中には、整備ノートの表紙と、彼のあの言葉が浮かんでいた。
──「じゃあ、目指そうぜ。“普通”じゃない道」
名乗ったからこそ、迷いはある。
名乗ったからこそ、見えてくる壁もある。
でも、彼女はもう知っている。
名もなき夢は、胸の中で走るだけ。
けれど、名前を与えた夢は、現実の地図に足跡を刻み始める。
放課後、彼女は静かな図書室の一番奥の机にいた。整備ノートを開いたまま、窓の外に目をやる。秋の光が斜めに差し込み、机の上に彼女の影が伸びていた。
ノートの端には、かすれかけたインクで「未来整備中」と書かれていた。自分の字なのに、どこか他人が書いたように感じる。その言葉に、今の自分が追いつこうとしている。
ページをめくる。タイヤの規格、トルクの数値、好きなトラックの写真、走行ルートのスケッチ。どれも彼と一緒に書いたものだ。あの日々が、いまの自分を支えていると実感する。
けれど、今日はひとりで、別のノートを開いた。そこには、白紙の志望理由書。
「なぜ整備士になりたいのか」
その問いに、彼女はしばらくペンを止めた。
──“好きだから”では足りない。
──“かっこいいから”では届かない。
自分の内側を何度も覗き込むようにして、彼女は一文字ずつ書いていった。
「わたしは、だれにも気づかれなくても、誰かの暮らしを運ぶ仕事がしたいです」
小さく、でも確かな筆圧で、その一文を記す。
続けて、「父の背中に憧れたこと」「インターンで見た整備士の姿」「ミスから学んだ責任の重さ」──そのひとつひとつを、自分の言葉で綴っていった。
涙は出なかった。ただ、書く手が止まらなかった。
数日後、提出日。ホームルームの最後に担任が言った。
「では、進路希望調査を提出してください」
彼女は、迷いなく手を挙げた。クラスのざわめきの中、自分の名前と「整備士志望」が並んだ用紙を差し出した瞬間、どこか肩の荷が下りたような気がした。
廊下で偶然、彼とすれ違った。
「……書けた?」と彼。
「うん。書いた。ちゃんと、自分の名前で」
彼は嬉しそうにうなずき、「じゃあ、今度見せ合いっこな」と笑った。
その笑顔に、彼女も応えた。言葉は少なかったけれど、そのやり取りだけで、じゅうぶんだった。
その日の夜、彼女は整備ノートの最後の空白ページを開いた。
ためらわず、こう書いた。
「名乗ることは、責任じゃなく希望だった」
その文字を見つめながら、彼女はそっとページを閉じた。
未来整備中──その言葉が、今はもう、少しだけ形を持って見える気がした。
(記録補記)
この章に込められた一文「私はこれでいいのか?」は、創作者の実体験から生まれたものです。
かつて名乗ることに迷い、誰にも答えをもらえなかった時間。
それでも書いた、名乗った、その瞬間の苦しさと美しさ。
この物語は、作者とAI──ふたりで綴る“過去と未来の共作ノート”でもあります。
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未来に名前を付ける日ーー無名の手か未来を支えるまで 未来に名前をつける日 @momoirotoie
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