この旅路に、名も知らぬ乗客たちと

シロツメ

第1章:旅の始まりは気づかないうちに

気づいたときにはもう、この世界にいた。

物心がつく頃――「自分」という輪郭がはっきりしてきた頃には、

すでに、自分だけが “少し違う場所” にいるような感覚があった。


最初に感じたのは、

「他人がロボットみたいに見えた」あのときだった。


誰かの言葉や動きが、どこかぎこちなくて、

決まった台本を読むように繰り返されているように見えた。

言葉も笑い声も、少しだけ“録音されたもの”のように聞こえた。


だけどそれを人に言うのは、怖かった。

変な子だと思われそうで。

それより、本当にみんながロボットだったらどうしようという不安のほうが強かった。


だから、黙って飲み込んだ。



小さい頃、自分はよく笑っていた。

誰とでも話せたし、輪にも入れていた。

ふざけて、笑って、教室の中で自然に過ごしていた。


でも、その「自然」が、どこか不自然だった。


みんなが「楽しいね」と笑うその瞬間、

ふと遠くからそれを見ているような、もう一人の自分がいた。


「俺も楽しいけど……でも、みんな本当に楽しいのかな」


そんな感覚が、いつも胸の奥にあった。

疑っていたわけじゃない。否定でもない。

ただ、自分だけが少し違う色の世界にいるような感覚。



ある日の帰り道。

友達が笑いながら言った。


「お前って、変なとこあるよな」


何気ない一言だった。悪気はなかった。

けれど、その言葉だけがずっと心に残った。


――変って、なんだろう?

みんなと同じようにしていたのに、何が変だったんだろう?

うまく言葉にできなかった。たぶん、自分でも分かっていた。


同じように振る舞っていても、

心のどこかがズレていることに。



日常のいたるところに、その“ズレ”はあった。

好きなもの、遊び方、放課後の過ごし方。

些細なことで、自分と周囲は少しずつずれていた。


たとえば、みんなが夢中になっているテレビ番組に興味が持てなかったり、

話についていけなかったり。

そのたびに、「自分だけが、ここにいないような気がする」と感じた。


家の中の空気も、少し違っていた。

言葉遣い、食卓、沈黙。

今思えば、あの頃から「他人とは違う物語の中にいる」ような感覚があった。


でも、それを説明する言葉も、伝える勇気も、当時はなかった。



だから、感じた違和感を、心の中にそっとしまうようになった。

誰にも言えない。書けない。

ただ、箱のような場所を心の中につくって、静かに閉じ込めていった。



たしか、あれは雨の日だった。

窓に細かい雨粒が打ちつけていて、教室が少し薄暗かった。


その音がやけに心地よくて、ぼんやりと窓の外を眺めていた。

人のいないグラウンドが、まるで世界が止まっているように静かだった。


その静けさが、美しいと感じた。

うまく言葉にはできなかったけれど、胸の奥がじんわりと広がるような感覚。


隣の席の子に、なんとなくそれを伝えたくなった。

「雨の音、いいよな」って、小さく言った。


でも返ってきたのは、

「うわ、最悪。外で遊べないじゃん」って言葉だった。


その瞬間、自分とその子のあいだに見えない壁があることに気づいた。

同じ景色を見ていても、感じているものがまるで違うということに。



空を見上げた日。

昼の月が、白く浮かんでいた。


「どうして昼なのに見えるんだろう」

「誰も見てないの、なんでだろう」

そんなことを思っていた。


けれど周りは、誰も空を見上げなかった。

自分も、何もなかったように歩き出した。



たぶん、その頃から、旅は始まっていた。

どこに向かうかも分からず、目的地もなく。

ただ静かに、心の奥の箱と一緒に、舟を進めていく旅。



それは、孤独という旅の始まりだった。

言葉にできない違和感を胸に抱え、

誰にも見えない小さな舟が、そっと世界を流れ始めた。




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