契約結婚前にミステリを

小石原淳

第1話 偉大すぎる先代と後継の女王

 昔々、あるところ――島国の一地方であるヤマンタイラに、一人のお姫様がおりなさった。名をヒヤクといい、幼い頃からそれはそれは大事にされ、すくすくと育ちました。


 さて。

 物心ついてしばらく経つと、ヒヤクは父親や父に仕える者から色々教わるようになる。

 ヒヤクの父・シュウは一帯を治める王で、武勇もさりながら、その知識と聡明さで人々の尊敬を集めて止まない存在だった。元は複数の豪の者が争っていたヤマンタイラの地域を一つに束ね、以後、平和を保てているのはシュウの理の通ったやり方故である。衣食住の内、食の確保が特に大事とされる時勢にあって、天を読み風を知り星を観る能力に長けたシュウは、米をはじめとする食物作りに安定をもたらした。

 また、人々の間で揉め事や厄介ごとが起き、収拾が付かない場合、王自らよく乗り出し、断を下すことしばしばであった。


 たとえば――ある酒好きの男が妻と揉めていた。壺に入った酒に鼠のフンが度々混じり、しょっちゅう捨てる羽目になったため、妻の不注意を詰ると、鼠が出るのは土地柄故で、いくら注意しても限りがあると抗弁を返され、収拾が付かなくなったのだ。これを聞いたシュウは問題の酒の壺を検分し、小さな丸い粒のような鼠のフンを見つけ、取り出すと、乾いた葉っぱの上に置いた。そして先を尖らせた竹べらを用いて二つに切ると、その断面を仔細に眺める。やがてシュウは言った。

「このフンは芯まで乾いておる。鼠が壺にフンをしたのであればこのようにはならぬ。人の手で、そこいらに落ちた古いフン、乾いた物を拾って落としたと見なすのが妥当であろう」

 つまり、妻がわざと酒の壺にフンを入れたと推測した。話を聞いて酒好きの男はそれ見たことかとばかり、かさに掛かって妻を責め、拳を上げようとさえするも、これをシュウが止めた。

 腕を掴まれ、「シュウ様、何を?」と戸惑いを露わにする男に、シュウが静かに告げる。

「これ、やめんか。かようなとき、まずは理由を問うもの。――その方、逃げなくてよい。罰するつもりはない」

 続いて女を呼び止めた。夫と王、二人に背を向け、その場から逃れようとしていた彼女だったが、ぴたりと立ち止まる。

「折角手に入れた酒をわざと駄目にするのは、よほどの理由があってのことと見るが、どうかな?」

「それはその、確かに仰せの通りですが」

 言い淀むと、女は夫の方をちらと一瞥し、またすぐに視線を戻した。夫の方は視線そのものには気付いたらしいが、意味するところまでには思いが至らなかった様子。

「これまでに、と言ってもだいぶ前になりますが、あの人に伝えたのですが、聞いてもらえず、つい」

「ああ? 何だってんだ?」

「大声を張るでない」

 男をたしなめると、シュウはその妻の顔を改めて見た。古いものだが頬の辺りに怪我の痕がある。

「この場でもはっきり言えぬとは、よほど痛い目に遭わされたか。どれ、ならば私の推測を言おう。夫の酒の飲み過ぎをやめさせたかった、そうではないか?」

「な?」

 シュウの指摘に対し、反応したのは夫の方が早かった。遅れて妻の方が、「そうでございます」と消え入りそうな声で認める。

「おまえ、そんなことで」

 男の呆れたような口ぶりに、シュウはやれやれとかぶりを振る。

「思い出したぞ。おまえは最近、田に出て来ない日が増えていたようだが、あれは酒のせいではないのかな?」

「それは……はい」

 男は急に素直になって認めた。言われなくても内心では分かっていたが表向きには否定していたこと、それを王の口から指摘されるのは堪えるものらしい。

「さて。これ以上は私があれこれ差し出口をしなくても、分かっておろう。まあ、別に飲むなとは言わん。ほどほどにな。そして米や豆作りに一層精を出してくれたらありがたい」

「勿体ないお言葉」

 膝をつき両手を組み合わせると、深くお辞儀する男。妻も同じように振る舞った。

 そんな女の方へシュウは近寄ると、そっと告げた。

「これでもまだ拳を振るようなことになったときは、躊躇わずに訴え出なさい。私の方でよい方法を考えるから」

「ありがとうございます。そのようなことにならないようにしたいものです」

 ――と、かように揉め事を丸く収めるのが評判を高め、中には些細なことまで王に直接言ってくる輩が出る始末。さすがにそれでは政に支障が出るというわけで、制限が掛かったが、中には放置しておけない“事件”もいくつかあった。


 こんもりとした丘を思わせる墳墓で、日課としているお参りを済ませたヒヤクは、最後に心の中でつい愚痴をこぼした。

(先代――父は偉大すぎでした。今、私が困るくらいに)

 父王のあとを継いで以来、ずっとつきまとう悩みの種がそこにはあった。

 揉め事・諍いにとどまらず、事件まで見事に解決してきたシュウは、いつしか民から神と同等にまで見られるようになっていた。実際、シュウは事件――人が殺されたような事件で犯人を突き止めることが数度あったが、細々と説明していては理解を得られないと判断した場合、占いによって得たご神託として、ずばり犯人を指摘し、その犯行の模様を語ることで当人及び人々を納得させていた。

 そのようなことが度重なったため、人々はシュウが不思議な力を用いて、謎や問題事を解決しているのだと信じた。最早それは、信じる信じないの域を超えて、当たり前になっていたとすら言える。

 “不思議な力”のからくりを知るのは、身内である妻と娘のヒヤクのみ。妻には先立たれていたため、現状、秘密を知っているのはヒヤクだけになっていた。

(残念ながら、私は父の推理力はあんまり受け継げなかったみたいです)

 農耕や薬草に関する事共であれば、ある程度系統立った知識が蓄積されており、口伝でその理屈を教わっていた。だからヒヤクにも対処できる。

 ところが事件の解決となると、決まった型がない。骨だの湯だのを用いて占って、真相が判明すればいいのだが、そんなうまい話があり得ないことはヒヤク自身が一番分かっている。

(だからといって、さっぱり分からない!って放り出すわけにいかない。そんなことしたら、どうなるのか知れたものじゃないわ)

 最悪の場合、シュウからヒヤクへと続く統治者の地位が揺らぎ、ひいてはこのヤマンタイラという国が崩壊するかもしれない。

(みんなは私を信じてくれているし、難しい事件もどうにかこうにか解き明かしてきたけれども)

 ヒヤクは嘆息した。

(問題は、隣国テントウタンの説問答なのよね。ああ、またこの時季が巡ってきてしまった)

 テントウタンは内陸に位置する大国で、ヤマンタイラとは牽制し合いつつ、表面上は友好関係を保ってきた。単純に武力で比べればテントウタンが遙かに上だが、シュウの知力と外交手腕によって、争いが起きることはなかった。

 その均衡が三年前、シュウの死(自然死)によって、多少揺れ始める。ヤマンタイラ挙げての葬儀に、使者として現れたテントウタンの王子アマカズラは、お決まりの悔やみ言葉をくれたあと、大胆な打診をしてきた。



※参考文献

・『棠陰比事』(桂万栄 編/駒田信二 訳 岩波文庫)


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