第25話
天才ハッカー、猫宮ひまりを仲間に加えた僕は、次なる協力者のスカウトへと移行した。僕の計画には、デジタルな領域を制圧するひまりの技術と対になる、リアルな人間の心を制圧する技術が必要不可欠だった。
その役目を果たせる人物は、この帝都大学に一人しかいない。
御子柴マコト。心理学科の異端児。人の嘘を見抜く天才。
彼を分析するため、僕はまずひまりに彼のデジタルな記録を全て洗い出させた。
『御子柴マコト。SNSのアカウントは複数持ってるけど、どれも当たり障りのない投稿ばっかり。オンラインゲームの戦績は異常に高い。でも、それ以外の特異な足跡はほとんどない。……この男、自分のデジタルな情報を意図的にコントロールしてるね。面白い』
ひまりの分析は、僕の見立てと一致していた。彼は自らの能力を熟知し、それが悪用されることを極端に警戒している。彼の学術論文も読んだ。テーマは『非言語的コミュニケーションにおける欺瞞の発見とそのメカニズム』。内容は高度で鋭い洞察に満ちていた。彼はただの勘で人の心を読んでいるのではない。膨大な知識とデータに裏付けされた科学的なアプローチで、人の嘘を暴いているのだ。
そして、僕は彼のプロファイルから一つの結論にたどり着いた。彼を動かすものは、金でも名誉でもない。ただ一つ。彼の知的好奇心を極限まで刺激する最高の『謎』だけだ。
ならば、僕が彼にとっての最高の『謎』になってやればいい。
僕は、彼がよく出没するという大学の中庭へと向かった。古いクスノキの下で、彼は数人の学生を相手にポーカーに興じていた。賭けられているのは金ではない。互いのプライドと、ランチを奢るという些細な権利だ。だが、そこで行われているのは本物の心理戦だった。マコトは相手のカードを透視しているかのようにその思考を完璧に読み切り、圧倒的な強さで場を支配していた。
「面白い。新入りか。あんたも混ざるかい?」
僕の存在に気づいたマコトが、挑発的な笑みを浮かべて声をかけてきた。僕は無言で頷き、その輪に加わった。
ゲームが始まる。ディーラーがカードを配る。僕の手元には、悪くはないが決して強くはない、中途半端なカードが配られた。僕は勝負を降りることはしなかった。僕はマコトという観客のためだけに、最高の演技を始めた。
僕は僕自身の全ての情報を遮断した。心拍数を平常時に保ち、呼吸のリズムを一定にコントロールする。瞬きの回数、瞳孔の動き、唇のかすかな乾燥。その全てを意識下に置き、一切の心理的な動揺を悟らせない。僕は完全なポーカーフェイスを超えた、ゼロ・フェイス。まるで心を持たないアンドロイドのように、ただそこに座っていた。
僕のプレイは確率論に基づく極めて合理的なものだった。だが、時折その合理性からほんの少しだけ逸脱したプレイを混ぜた。それはマコトの思考をかき乱し、彼に『こいつは一体、何を考えているんだ?』と思わせるための意図的なノイズだ。
ゲームは終盤に差し掛かった。場には僕とマコトだけが残っている。彼は僕の心を読もうと必死にその観察眼を光らせている。だが、彼の目には僕という完全なブラックボックスが映っているだけだ。僕は最後、彼が決してコールできないであろう巨大なブラフで、彼を場から降ろした。
ゲームが終わり、他の学生たちが散っていく。僕は何も言わずにその場を立ち去ろうとした。その背中に、マコトの声が突き刺さる。
「待ちなよ、あんた」
振り返ると、彼は今までに見たことのない真剣な表情で僕を見ていた。
「……参ったよ。完敗だ。あんた、一体何者なんだ?あんたからは何も読めない。恐怖も、喜びも、焦りも。あんたの心はどこにある?」
それは彼の偽らざる賞賛の言葉だった。
「僕に心がないわけじゃない。ただ、それを表に出すのが苦手なだけだ」
僕は初めて彼に言葉を返した。
「だから、君のような才能が必要だったんだ」
「どういう意味だ?」
「僕は今から一つの舞台を作る。その主役は完璧なカリスマ性と完璧な嘘で塗り固められた男だ。僕はその男の仮面を剥がしたい。だが、僕にはその嘘を見抜く目がない」
僕は彼をまっすぐに見つめて言った。
「君にその舞台の解説者をやってもらいたい。彼の嘘をリアルタイムで暴き、観客に真実を伝える語り部だ。君が今まで一度も出会ったことのない、最高に歪んでそして美しい人間の心がそこにある。興味はないか?」
僕の誘いの言葉に、マコトの瞳が爛々と輝き始めた。退屈を何よりも嫌う彼にとって、それは悪魔の招待状。彼は口元を大きく歪め、心の底から楽しそうに笑った。
「……最高じゃないか!面白そうだ!その役、謹んで引き受けさせてもらうぜ、脚本家さん」
こうして、僕の二人目の仲間が加わった。彼の鋭い観察眼は、僕の計画の最も重要な羅針盤となるだろう。
その夜、僕たちのチームは初めて三人でバーチャルな作戦会議室に集った。ひまりの技術。マコトの心理。そして、僕の脚本。全ての役者は揃った。
僕は二人に、今回の本当のターゲットを告げた。『アルカディア』。そして、神楽坂京介。そして、僕たちの最初の標的を告げる。
「我々の最初の仕事は、アルカディアの内部に侵入することだ。そのためには、まず彼らの組織の中で最も弱く、そして最も利用価値のある人間を特定する必要がある」
僕は詩織が残したメンバーリストを画面に表示した。
「ひまり、全員のデジタルな記録をもう一度深く掘り下げてくれ。マコト、君はこの顔写真だけで彼らのプロファイリングを進めてほしい」
僕たちの反撃のための一手が、今、まさに打たれようとしていた。
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