第17話
「本日、最後の証人として、白石結菜さんを証言台に」
僕がそう告げた瞬間、講堂の空気が凍り付いた。生徒たちの視線が一斉に、片隅で小さくなっている一人の女子生徒に突き刺さる。
白石結菜。
彼女は、悲鳴を押し殺したような顔で、ゆっくりと立ち上がった。その足取りは、まるで自分の意思ではない何かに引かれるかのように、おぼつかない。
一条院は、彼女が証言台に向かう姿を、信じられないという目で見つめていた。彼にとって、田中や西園寺の裏切りは計算のうちだったかもしれない。だが、白石結菜だけは違う。彼女は、彼のカリスマを象徴する、最も純粋な信奉者だったはずだ。その彼女が、僕の証人として立つ。それは、一条院の心に、これまでとは質の違うダメージを与えたはずだ。
白石さんは、証言台の椅子にか細い体を滑り込ませた。彼女は僕の顔も見ない。一条院の顔も見ない。ただ、自分の膝の上で固く握りしめた拳を、じっと見つめている。
「白石さん」
僕は、努めて穏やかな声で彼女に語りかけた。
「緊張しなくていい。君が見て、感じた、ありのままを話してくれればいい」
一条院の弁護士が、すぐさま異議を唱える。
「異議あり! 彼女の証言が、本件と何の関係があるというのですか! これは、原告による被告への、単なる感情的な攻撃に過ぎない!」
「異議を認めます。ですが、証言を続行させます」
早乙女理事が、意外な言葉を口にした。
「弁護士の言う通り、これは感情的な問題かもしれません。しかし、人の心を傷つけたという事実は、時として論文を盗むという行為よりも重い罪となることがある。我々理事会は、その両方を見極める義務があります。続けてください、水城君」
僕は早乙女理事に一礼し、再び白石さんに向き直った。
「白石さん。君は、一条院君のことを、正義感の強い、立派なリーダーだと信じていましたね?」
「……はい」
消え入りそうな声で、彼女が答える。
「その信頼は、今も変わりませんか?」
その問いに、彼女の肩がびくりと震えた。答えはない。だが、その沈黙が何よりの答えだった。
「卒業式の前夜、園芸部が育てていた薔薇園で何がありましたか? 君たちの手で大切に育ててきた、あの白い薔薇は、どうなりましたか?」
僕は、核心に触れた。
白石さんの瞳から、堰を切ったように涙が溢れ出した。彼女は嗚咽を漏らしながら、途切れ途切れにあの夜の出来事を語り始める。
「……一条院様は、突然、現れました。そして、何の断りもなく、スコップで……私たちの、薔薇を……」
彼女の言葉は、悲しみに満ちていた。
「危険物があるという、ただの噂を信じて……私たちの三年間の想いを、全部、踏みにじったんです……!」
彼女の悲痛な告白に、講堂は静まり返った。特に女子生徒たちの間には動揺が広がっている。彼女たちが慕っていた白石さんの悲痛な叫びは、一条院への不信感を決定的なものに変えていた。
「彼は言いました……。『後片付けは、君たちの仕事だろう』と……。私たちの気持ちなんて、少しも考えてはくれませんでした……」
僕は彼女に、最後の質問を投げかけた。
その質問は、この討論全体の流れを決める一言になる。
「白石さん。君のその涙が何よりの証拠だ。だが最後に、はっきりと聞かせてほしい。君自身の言葉で」
僕はゆっくりと、しかしはっきりと言った。
「君の心をそこまで深く傷つけた人物が、他人から平気で論文を盗むような人間だと、君は思いますか?」
それは、悪魔の質問だった。
論理ではない。感情による、最終的な断罪。
白石さんは、泣き濡れた顔を上げた。そして初めて、まっすぐに一条院の顔を見た。
その瞳には、もはやかつての崇拝の色は微塵も残っていない。あるのは、深い失望と軽蔑。
彼女は、講堂全体に響き渡る声で、はっきりと叫んだ。
「……思います!」
その一言が、一条院の心を完全にへし折った。
彼は、がくりと椅子に崩れ落ちそうになった。汚職を暴かれた時よりも、パクリを指摘された時よりも、その一言が彼のプライドを粉々に打ち砕いたのだ。
「僕の証人喚問は、以上です」
僕は静かにそう宣言した。
そして、スクリーンに新たなファイルを表示させる。
「さて、一条院君。君の人間性の証明はこれで終わりだ。ここからは、この討論の本題に入ろう」
スクリーンに、二つの論文が並べて表示された。
僕が書いた本物の論文。そして、彼が盗んだ偽物の論文。
「君が盗んだこの卒業論文について、じっくりと話をしようじゃないか」
講堂の空気は、再び張り詰めた。
僕の復讐劇は今、論理と知性がぶつかり合う、最終局面へと移行したのだ。
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