旧小峰トンネル〈後編〉
学生食堂とはキラキラしたキャンパスライフを送る学生たちの巣穴であって、決して僕らのような根暗で漂白している根無し草、しかも苦労に耐える根性もない人間が居て良い場所ではない。だからそういう人たちは生協で菓子パンやおにぎりを購入する。巨木の陰の下で陰鬱としている僕は、師匠がやってくるまでの間、孤独に過ごさなくてはならない。袋からメロンパンを取り出す。手持ち無沙汰で待ち惚けるわけにもいかないので、特にお腹が空いてるわけでもなく、ただパクパクとパンを食べ続ける。ゆっくりゆっくり、時間を引き延ばすために食べ続ける。十五分が経った頃だろうか、こちらに呼びかける声が聞こえた。
「あはは!例によって幽霊みたいだなぁ君は。」
デリカシーのないこの発言、やはり師匠だ。僕は振り返って軽く会釈をした。
今回師匠と集まったのは、一週間前の"事件"について意見交換の場を設けて謎を解き明かすためである。さっそく足元に置いてあった袋から2人分の250mlの牛乳パックを取り出して師匠に分け与え、話し合いのゴングがなった。
「私、思うんだよねぇ。あのバケモンが何者なのかってのもそうなんだけどさ、そもそも私たちって、犯罪者宮崎勤によって葬られてしまった被害者の幼女の幽霊が出るという噂に動員されてきたわけでしょ?なんであんなのと遭遇するわけ?」
確かにその通りだ。一匹の小さなおなごの霊体の痕跡が露わになって、キャー!こわい〜!と悲鳴をあげるのがこの心霊スポットの生業となっている主要素であって、あんな命に危険の及ぶようなことがあってはならないのである。やはり僕としては、あの頭がひどく膨れ上がった醜い化け物について調査を進めていきたい。とその旨を師匠に申し上げる。
「それなんだけどさ、前に、幼女の霊が出るって新聞に載ってたって話したよね?あの記者、うちの大学の文学部新聞学科に准教授として雇われてるっぽいの。話を聞いてみるのも手ではあるかな。」
こうして僕たちは新聞学科の研究室に向かうこととなった。
「失礼します!岡崎准教授はいらっしゃいますでしょうか」
「とりあえず、席に座ったらどうですかな」
僕たちは室内にいた男性に促されるがままソファに浅く座り込んだ。いや、まあ彼女はあいもかわらず深く腰掛けているのだが……
「私が岡崎という者ですが」
対面に座る男性はそうおっしゃった。さっそく僕たちはスマホに表示した新聞の記事を提示する。
「これについて、知ってることを聞きたいのですが」
「ふむぅ、懐かしいな。これは私が書いたったんだったか。これについて何を聞きたいのかな」
「はい、えっと、あの旧小峰トンネルで霊騒動があったと書いてあると思いますが、これはどこの情報源なのですか?岡崎さんが記者時代に直接経験したことなのですか?」
「これは私が、だね。えっとねぇ、供養に行ったんだよ。惜しくも殺されてしまった子供の、花束やジュースが添えられる場所があるだろう?そこへ行ってただ供物をしようとしたんだ。取材ではなく。そこでな、リンリンリンとトンネルの反響する音に伴って鈴のような、楽器音が響いたかと思うと、そちらの方に女の子が立っていたんだ。私はオカルトには懐疑的ではあるが、まあよく解釈するならば、まだ成仏されてなかったんだろうね。」
それを聞き終えると師匠は腕を組み、頬杖をつき、それからぶつぶつと何かしらを呟きながら会釈をして出ていってしまった。僕はありがとうございましたと一礼をしてから後を追う。
大学の敷地を出たあたりで黄昏に照らされた師匠を発見した。
「どうしたんです、突然駆け出して」
僕は少し苛立ちながら近付いて問いただす。
「わかったんだ。ぜんぶ」
「わかったって、なにが?」
返事はない。僕は師匠の後ろを尾けながらも、奇妙な感覚に陥った。ボサボサのロングヘアーにキャップを被った彼女の後ろ姿が重なりながらも時折り二重に見える。それはまるで、SIRENのように別人の視点を映し出している。そんな直感を抱く。頭痛がする。おかしい。なにかが…
「走れ!」
師匠の怒声が響く。
僕は駈ける。なにがなんだがわからない。でも走り続ける。必死に走る。師匠に置いていかれたら命がないような気がしたんだ。大学が遠ざかり、パーキングが近づいて来る。僕らは息を切らしながら車に乗り込んだ。
「もう大丈夫、ですよね」
そう言い終わる前に車が猛スピードで発進した。僕は後部座席で鯉のように跳ねて殴打する。師匠は何も言わない。ただただ真剣にアクセルをベタ踏みしている様が見えて、これはただ事ではないのだと悟った。しかし僕には何も見えない。あの、奇妙な巨頭の化け物はどこにもいない。だから、安心。止まろ、う。止まれ、トマレ、とまら、ないと…
「うるせぇ!ぶっ殺すぞこの野郎」
師匠が急ブレーキをかけて減速し僕を吹き飛ばす。そしてハッとした。乗っ取られていた…?
事はかなり深刻のようだ。僕は走る車の中、慎重に席を移動し、助打席に乗り移る。師匠に言われるがまま、カーナビを打ち込む。旧小峰トンネル、目的地設定…
「ETCカードが、挿入されていません」
走行する車は国道に合流。僕は後部座席に戻り、工具箱を開封する。中にはお守りやらタリスマンやら色々と入っている。
「500m先、右方向です。」
カッターナイフを手に取り、お守りを引き裂く。内部のお札を取り出して窓ガラスに貼り付ける作業に入った。
「200m先、右方向です。」
「この先、右方向です。目的地周辺です。運転お疲れ様でした」
僕は降りる準備を始める。車は、、直進を続けた。
「師匠…?」
国道沿いをひたすら爆走し続ける。車が曲がる気配はない。
「この先0m、右方向です。」
「右方向です。」
僕は助打席に飛び移りカーナビを見る。右は、市営の巨大霊園に突き当たることになっているようだ。背筋がゾワっと広がる感覚に苛まれる。ナビを取り消そうとする。
「目的地周辺です。運転お疲れ様でした」
「目的地に到着しました。」
ナビが取り消せないのだ。おかしい。おかしいおかしい
車は約1時間に渡って走り続けた。カーナビは、止まることを知らない。
「この先、渋滞です」
「スピードに注意してください。」
新小峰トンネルの手前で停車し、トランクに入っていた折り畳み自転車を展開する。僕は師匠の運転する背後に飛び乗り、二人は山道に入った。
黄昏ていた世界は完全に陽も落ちて闇に支配されている。
師匠は固く閉ざしていた口を開く。
「答えはこの先にある。全てはこの先にある。幼女の霊力を吸収していたんだ。奴らは。だから、ぶっ壊すんだ。幼女に呪われたって構わない。供物を踏み荒らせ!除霊も視野だ。」
頼もしい師匠が帰ってきた。これでこそだ。旧トンネルに到着した我々は、まず祠に向かって自転車をぶん投げた。倒壊する。崩れ落ちる。霊的秩序は乱される。そして多量の爆竹と花火をリュックサックに入れていた師匠はトンネルに設置し、起爆した。心霊スポットとして名を馳せていた霊場は、もはやエンターテイメントスポットである。キラキラと、パチパチと、全てが輝いている。よもや霊など居着く気配などない。そして、数十分後、僕らは周辺住民の通報により駆けつけた警察官から必死の逃亡劇を繰り広げ、山間で一夜を過ごして翌日帰宅した。
ミーンミンミンミンミンミンミン…
「あっちーな…」
こういう時こそ、かき氷を食うべきなのだ。僕は極端に水で薄めたシロップを雪山にポタポタとふりかけて、そして一気にかぶりつく。やはりこれこそ至高。表面が温められた僕の身体を芯から氷結させるように冷却が行われていく。
「師匠も食べますか?最高っすよこれ」
彼女は横に首を振る。
「なーんか時間でも起きないもんですねぇ」
結局、あれから僕たちは何も呪いの類に襲われてはいない。化け物の正体は依然として不明だが、おそらくは軟弱無名な魑魅魍魎たちが、幼女の霊気を吸って強靭化したんだろう、ということだ。
僕も免許を取ろうか。あの運転さばきを見て憧れないものはいないだろう。夏季休業にでも車校に通うかな…
大学生活それは唯一無二の青春をすべき期間であって、オカルト超常現象なんかに入り浸る蛮行に走るべきではないのだが @zunndamon
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