旧小峰トンネル〈前編〉
僕の住んでいる築50年のボロアパートにはエアコンなんてものはない。テレビでは近年の温暖化の影響からか猛暑日が続いていることが警告されており、まさに今日は40℃に達すると予報が出ている。僕は四畳半の畳であぐらをかいて棒アイスを貪りながらボケーっと画面を眺めている。連日にわたる法律科目の課題で疲れてしまったのだろうか、はたまた気温にやられてしまったのか。なんにもやる気にならなかった。
そうしてだらけていたのだが、あまりの熱波に、これ以上は暑さに関する情報を仕入れたくないと番組を切り替えた。するとある特集番組が目に止まる。シリアルキラー宮崎勤による幼女連続誘拐殺人事件。何とも残酷である。と小学生並みの感想を抱き、半分ほどにまでなった棒アイスをパクりとすべて口に入れる。
ツーッと頭が響く。
ああ、こんな冷たいものを一気に食うんじゃなかった。僕は痛みに頭をプルプルと振る。するとその瞬間に、あることを思い出していた。
大学一年生の夏。僕はとある心霊スポットを訪れたのだった。
「師匠、ほんとに勘弁してください!」
玄関扉のドアノブに必死になって掴まり、引き摺り出されないように堪える。連れ出そうとしてくるのは、僕を弟子にとって立派な霊能力者に育て上げようという狂気の発想を持った女だった。そんな人間が無理やりに行かせようとする場所なんてまともなはずがないのだ。あくまでも抵抗を続ける僕に対して、彼女はこう語りかけてきた。
「いまから夜ご飯奢ったげるからさ、ちょっとだけ、先っぽだけだから、な? おい! まだ逆らう気か。諦めろ。」
彼女は、ドアノブに伸ばしている僕の腕に体重をかけて乗り掛かってきたので、耐えきれず手を離してしまう。そしてそのまま引き摺られて車に乗せられてしまった。
乗り心地は非常に良い。白いヴェルファイアだ。僕の横たわっている後部座席は倒されていてベッドのように変形している。歯ブラシからモバイルバッテリーまで何でも揃っている上にベッドまで併設されているというのだから泊まりがけの調査も可能なのだ。ここに乗せられたらもう超常現象の調査に一から十まで付き合わされるのは確定したようなものだ。僕は絶望に陥れられるがその感情の裏にはある種の好奇心もあった。今度はどのような場所に連れて行ってくれるのだろうか?と。
車に揺られること3時間、僕らは西東京にある山間に来ていた。東京にも関わらず自然豊かで高尾山に近く、有名な心霊スポットも点在している。目的地付近に到着すると公道上に車を停めて師匠は言った。
「こっから先は車が通れないから歩いて行くぞ」
なんてことだ。今は夜九時。この時間に山道に入るというのは自殺行為であって、心霊に呪われる呪われない以前に死んでしまうことだろう。恐れから車から降りれずにいると、師匠はそそくさと行ってしまった。僕はこんな暗闇で山に放置されてはたまらないと急いで追いかける。
「あの、僕らっていまどこに向かってるんです?」
自転車やバイクの侵入防止のための杭を乗り越えながら話しかける。
「さっき私たちがいた道路は新小峰トンネルといわれる場所の近くだ。察しの良い人間ならばこの時点でどこへ向かっているかわかるであろうが、一応説明しておこうか。この小道は小峰隧道と呼ばれていて、さらに奥へ進むと旧小峰トンネルに突き当たるのだが、まさにそこが我々の目的地なのだ。ローカル紙なんかでも『幼女の霊が出る』なんて云われているいわくつきの心霊スポットなのだよ。どうだね。わくわくしてこないか。」
師匠はそんなことを言いながら一人で舞い上がってスキップなんかしている。僕には心底理解が難しい。一応僕だってオカルト道を通ってきた人間だ。名前くらいは知っているさ。鈴の音がするとか女性の霊がでるとかなんとか。ただ行こうとは思ったことがない。結局は人間が一番怖いのである。たむろしている不良や浮浪者に襲われてはたまったものではない。僕は彼女の車にあったクマ撃退用スプレーがポケットに入っていることを確認してから足早に進み始めた。師匠はというと懐中電灯をあちらこちらに向けながら鼻歌交じりに前方を歩いている。
そうして15分が経過したころだろうか、僕たちはなんの障壁にぶつかることもなくトンネルに辿り着いてしまった。拍子抜けだ。トンネルもこれといって特異な存在ではない。強いてあげれば、下品な落書きに後始末に失敗して焦げている焚火の痕跡くらいなものだ。これは早々に引き返すことになりそうだ。そう考えて師匠のほうに目をやると、彼女はガサゴソとリュックサックを漁ってなにやら不審なアイテムをいくつも取り出した。
「なんなんですかこれ」
師匠はニヤリと笑って打ち上げ花火をトンネルに向かって発射した。ヒューンという音が遠ざかって音がしなくなったかと思うと、真っ暗だったトンネルが爆発音とともに色鮮やかに飾られた。地縛霊かなんかを怒らせようとしているのか。師匠は僕にも打ち上げ花火を手渡してきた。わかりましたよ。やればいいんでしょう?僕たちはこの真夏の深淵を花火で彩っていく。そういえばまだ夏祭りに行ってなかったなあ。師匠を誘って、、、
いや何を考えているんだ。こんな人間を連れて行ったら心霊がおびき寄せられて縁起でもない祭りになってしまうじゃないか。それに、こうやって阿呆なことをするのだって悪くない青春だろう。二人だけの時間、二人だけの……
僕はふいに視線を感じて花火を天に向かって打ち上げる。あたり一帯が照らされると同時に僕と師匠を取り囲むように無数の人影が揺らめいていた。不思議なことに光が届いているはずなのに、ソレは一向に影から姿を現さない。典型的な未来人のように頭は大きく膨れ上がり、細い腕は無造作に蠢いている。聞いてた話と違うぞ。幼女の霊は?鈴の音は?シルエットしか見ないがこいつらは人間とも言い難い姿かたちで距離を詰めてくる。師匠はあいかわらずトンネルに向かって花火を投げ込み続ける。
「後ろ観てください!!!!!なにやってるんですか」
僕は焦るあまり怒鳴り続ける。が、こちらをみることもなく花火で遊び続ける師匠。すると小声でこう言ってきた。
「見るな、トンネルを照らし続けろ。」
もうどうしようもなくなって僕もトンネルに発射しはじめる。すると見る見るうちに人影たちはそのトンネルに吸い込まれていった。暗闇のトンネルをちかちかと照らす花火の光が点滅するごとに闇と融合していき、影は消えてなくなった。師匠のほうを見る。彼女も安堵のため息をついていた。
話を聞くところ、どうやら僕らが小峰隧道に立ち入った瞬間から、影がつけてきていたようだった。あいつらの正体も、そしてなぜ虫のように光に吸い込まれて消えていったのかも、それはその時点において判明していなかった。謎を解き明かさんとする僕たちが真実に触れるのは、それからまた一週間後の出来事だ。
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