第2話 フードコーディネーター

フードコーディネーターというのは、料理人とは違うらしい。

料理をより魅力的に演出・企画するための専門家で、拓実が考える「食事も楽しめるレストランのようなホストクラブ」を手がけるのも仕事範囲なのだそうだ。


(そう言われても、よく分からないけど)


拓実と容子が打ち合わせをするすぐそばで、俺はテーブルを拭きながら聞き耳を立てていた。

けど、どうもイマイチピンとこない。

容子が語るプロ仕様のキッチン設備なんてホストクラブには似つかわしくないし、照明だって、普段から薄暗く設定してるのに、新設したところでいつ使うのだ。


容子の説明に、なるほど、確かにと二つ返事で頷く拓実が、騙されているみたいで少し心配になる。

案の定、盛り込み過ぎた見積もりは、拓実が煙草休暇だと言って席を外すほどのものだったらしい。


(今のうちに向こうもやるか)


1人座って拓実の帰りを待つ容子に許可を取って、打ち合わせをしている卓の下を掃除する。

箒で埃を一箇所に集めて、掃除機でブォンと吸い込んだ。


「丁寧なのね」


それを見ていた容子が、感心したように口にする。


「何がですか。掃除機で吸っただけですよ」

「先に箒で丁寧に集めていたでしょう。掃除機で吸ってしまえばいいのに。埃が舞わないよう気を遣ってくれたのでしょう?」


容子がちょっと首を傾げながら笑みを見せる。


「さっきも、テーブルを拭く時、側面までしっかり拭いてたし。そういう、ちょっとしたことがちゃんとできるのは素晴らしいことだわ」


見られていた。

別に変な所を見られたわけではないから良いのたけれど、こう面と向かって指摘されると、なんだかこそばゆい。

かと言って、初対面の人に照れた顔なんて見せたくなくて俺はムッと口を閉じた。


そこに拓実が帰ってくる。


「そうですかね?こいつは自分の本名が蒼空だからって、源氏名をリクって決めた男ですよ?行動が丁寧でも思考は雑です」

「あれ、でも拓実さんも本名は確か……」

「あーー!!いや、うん、いい名前ですよね、リクってのも」


ペロッと手持ちの依頼書をめくった容子を見て、拓実は急いで手のひらをひっくり返す。人のことは好きに言っておいて自分もよっぽど雑な名前らしい。


(まあ、拓実さんは悪い人ではないから、なんと言われようが気にならないけど)


会話の流れのまま、また拓実との打ち合わせに戻った容子と一瞬目が合う。


(多分……庇われたんだろうなぁ)


それは、自分より年下の、子供に向けるような目だった。



「それなら、この配管を壊せばどうですか?照明も入れられませんか!?」

「それはトイレの配管です。水回りの位置を動かすとなると、本当に一からの改装になりますからクラブも営業を止めないといけませんよ?」

「くっ……やっぱり、今回はキッチンだけしか変えられないってことですか。いやでもっ!」


各卓でシャンパンが開く頃になっても、打ち合わせは終わらなかった。

ついにはビルの図面まで持ち出した拓実の熱意もすごいが、それをプロの目線で分かりやすく解説する容子もすごかった。

社会経験と言われ、何故か同席させられた俺には、やっぱりホストクラブに高性能な照明を持ち込む意味が理解できなかったけれど、新設のキッチンの機能や出来については、良いかもな、と思うほどにはなっていた。


「拓実さん、vipルームで指名です」


白熱した議論の中に黒服が割って入ってきた。

自分が指名されるとは思っていなかったのか、面食らったような顔をする拓実だったが、ホストクラブ改装資金のため、プレイヤーを降りたはずのオーナーをも指名できるようにしたのは、拓実自身だ。

黒服の呼びかけに、容子がさっと腰を浮かした。


「時間ですね。拓実さん、また参ります。来週は少し忙しいのですが、再来週ならーー」

「いいえ、藤井さん!すぐ、すぐ戻ってきますから、待っていてくださいませんか」


空気を読んで帰り支度を始めた容子を拓実が強引に引き止める。


「でも、長い時間いたらお邪魔でしょうし。5回の打ち合わせの契約ですから、お忙しいのであれば、今日無理にお時間とっていただかなくても」


少し困った顔をする容子は、早く帰りたいと思っているわけではなさそうで、邪魔をしてはいけないからと本気で申し訳なさそうにしていた。

拓実が、ぶんぶんと頭を振る。


「今日がいいんです!今、最高に頭が冴えてますから、この気分のまま話しを詰めたいんです!!」


そう言い切った拓実だったけれど、すぐに自分が無茶を言っていると気がついたのか、口ごもりながらつけたした。


「あ、いえ……それは、もちろん。藤井さんのご都合もありますが……」


急に気弱になった拓実を見て可笑しくなったのか、容子はくすりと笑う。そして拓実をまっすぐに見据えて言った。


「分かりました。では、やりましょう。お客様の望みを叶えるのが私の仕事ですから」

「本当ですか!ああ、よかった。ありがとうございます」


拓実がほっとしたように言ってさっと頭を下げた。そして、卓を離れる寸前、近くにいた俺を引っ張り、容子の前に差し出した。


「これは置いていきます。ホストなりたてのひよっこ赤ちゃんですが、新鮮で良いかと」

「いや、そんな急に」

「お酒も持ってこさせますから、少しゆっくりしてお待ちいただければ!」


拓実は俺の声など聞こえていないようで、容子の視線が俺に移ったや否や、ひらりと手を振って、さっと卓を後にした。


「赤ちゃん……ならミルク味ってところかしら」


……容子が訳の分からないことを口にする。

長時間の打ち合わせはやっぱり疲れがたまるのだろう。だとするならホストらしく、疲れをとってあげないといけない。

俺はそれを聞かなかったことにして容子の隣に座った。


容子はハイボールがお好みらしい。

黒服が持ってきたアイスペールから、氷を数個グラスに放り入れ、ウィスキーと炭酸を1:4で注ぎ込む。泡を潰さないように軽く混ぜ、容子に差し出すと、彼女は渋い顔をした。


「あ、すみません。薄かったですか?作り直します」

「いえ、違う、違うの!お酒の作り方はそんなに悪くないわ」


お酒の作り方は。

ということは他に何か悪いところがあるということか。

ぎゅっと握ったグラスを見つめるが、教えられた通りの色になっていて自分じゃダメなところがわからない。


「教えてください。なにがダメでしたか」


拓実が帰ってくるまでの時間潰しには丁度いい。

甘えるように容子に教えを乞うた。

容子が、遠慮がちに言葉を選ぶ。


「ごめんなさい、文句をつけたかったわけじゃないの。……職業柄だと思って許してね。そのグラス、持ち方が良くないわ」


持ち方?

ワイングラスでもないただのグラスに持ち方なんてあるのか。

職業柄、なんて言うからてっきりハイボールの濃さについて何か言われるのかと思っていたので驚いた。

容子は俺の手からグラスを取り上げた。


「これは、コリンズグラス。炭酸系のお酒を提供するのによく使われるけれど、それは長い頭身と小さな飲み口が炭酸を長持ちさせるから。つまり、このグラスはジョッキやタンブラーより細長い。だからね」


容子が、グラスの下の方を親指、中指、薬指の三本で軽くもつ。人差し指と小指は添えるだけだ。


「握りしめたらいけないの。お酒がぬるくなっちゃう」


洗練されたその持ち方に思わず目が吸い寄せられる。掌まで使ってグラスを持っていた俺とは大違いだった。


「それと、こうやって持った方が、泡に照明の光が入って、キラキラして美味しそうでしょう?」


そう言って容子はグラスに口をつける。

容子の持ち方だと傾いた液体がよく見える。黄金色の液体の中をシュワシュワとした泡の粒が行き交っているのが見え、思わずごくり、と唾を飲んだ。


「……見せ方まで、計算してるんですか」


容子が、正解だというように優しく微笑んだ。


「そう。私の仕事は、“味だけ良ければいい”わけじゃないの。視覚や音や香り、そういった“体験”ごと提供して、お客様に記憶として残ってもらわなきゃ。……これで、ちゃんとした照明の必要性を少しは説明できたかしら?」

「気づいてたんですね」

「そりゃあ、あれだけ顔に『要らない』って出てれば誰だってね」


容子がくすくすと笑う。

打ち合わせ中、できるだけ気配を消していたつもりだったけれど、この人には全部お見通しだったらしい。俺は素直に頭を下げる。


「ありがとうございます。教えていただいて」


正直、捻くれてる先輩たちより、彼女のほうがずっと良いお手本だった。

容子は少し驚いた顔をして、小さく頷いた。


「拓実さんが、打ち合わせに同席させるくらいだから、可愛がられているのだろうとは思っていたけれど……これは、確かに。目をかけたくなる気持ちが分かるわ」


それはこちらを値踏みするような視線で、少し居心地が悪かったけれど、容子に褒められているようだということは嬉しかった。


「ねえ、リクくんはホストになって叶えたい夢はあるの?」


俺に興味を持った様子で容子が聞いてきた。


「夢……?」

「そう。例えば、拓実さんは美味しい食事が提供できるクラブを開くのが夢だし、多くのホストは売り上げでNo. 1を取るのが目標でしょう。リクくんは何を目指してここにいるの?」


容子の質問に、俺はつっと考え込む。


(そう言えば、『お客様の望みを叶えるのが仕事』だって言ってたな)


容子は俺の夢が叶えられるようなものであれば手伝おうと思っているのかもしれない。

だとするなら容子の出る幕はない。俺には立派な夢なんてものはないんだから。


「目指してるものなんてないですよ。俺はただ、弟のために働いてるんです」

「弟さん?」


今度は容子が首を傾げる番だった。


「よくある話です。家計が苦しくて、弟を学校に行かせるための出稼ぎです。俺は、稼げればなんだって良いんです」


弟のため、そのためならば理不尽にも耐えられる。

SNSでの名指しの批判、すれ違いざまの嫌味、陰口。そんなことは幾らでも我慢できた。


(俺のことはどうでも良い。それよりも……そうだ。彼女がフードコーディネーターなら弟をーー)


「じゃあ、私と同じなのね」


容子がさらっと言った。


「私も、人のために働いてるの。それって……悪いことじゃないでしょ?」


容子の黒い瞳が俺の中に問いかける。


(この人と、俺が同じ?まさか)


自分と同じだなんて微塵も思いはしなかったけれど、人のために働いているという容子は間違いなく素晴らしい人で、それを悪いことだなんて言えるはずもなかった。


「それは、そうなんですけど……」


なんと返事をするべきか押し悩んでいると、ひとりのホストが騒々しく卓にやってきた。


「あーー!すみません、こいつまだ接客とか下手くそで。退屈しませんでしたか?顔だけは良いんですけどねー」


挨拶もなく乱入してきた男は、すれ違いざまに俺の頭を叩き、容子の隣にぴったりと張り付くように座った。


「あの……どなたです?」

「まあまあ、気が早いですって!今名刺渡しますから。リクのOJTやってるカグラって言います」


突然のことに驚いて、困ったような顔をする容子を面白がるように笑い、カグラは名刺を差し出した。

容子が不快に顔を歪める。


「カグラさん!!藤井さんは拓実さんのお客様で」

「知っとるわアホ。リク1人じゃ盛り上がらないかと思って様子を見にきたんです。飲み物は……ハイボールですかね」


そう言ってカグラは空いた容子のグラスに氷を足し、1:3の割合でハイボールを作った。

少し濃いめの黄金色。炭酸だって消えてない。だけどーー


(これは、違うな)


そう思った。

案の定、容子はそれを受け取らなかった。


「あれ、違いました?てっきりハイボールを飲まれてたんだと。濃すぎましたか?」

「いいえ。違わないけど、違うの」


カグラがきょとんとした顔をする。

容子がにこりともせず続ける。


「それが“違う”ってわからないなら、リクくんの方がずっといいお酒を作ってくれるわ」


少し強い言い方だったかもしれない。けれど、それは、確かにリクに向けた“肯定”だった。

まだ理解ができていなさそうなカグラに容子は言う。


「グラス、変えないのね」


その言葉に、カグラはさっと顔を赤らめた。

お代わりの際にグラスを替えるのは絶対じゃない。わざわざ新しいグラスを持ってくるよりも、会話の盛り上がりを遮らない方が良いときもある。

でも、今この場において、カグラが取った行動は間違いなく不正解だった。

時間が経って汗をかいたグラスは、炭酸の粒を美しく見せてはくれない。


「それに、近いの。これじゃ飲める物も飲めないわ」


今度は笑って、戯けたように容子が脇を開けたり閉じたりする。


「す、すみませんっ」


カグラは慌てて容子から距離をとった。その姿がなんとも小物じみて見えて、こんなやつに煩わされていたのかと、目が覚めた気分だった。

そんな生意気な視線に気がついたのだろう。カグラは失敗した苛立ちを俺に向けようとした。


「でも、シャンパン開けるのなら俺のほうが得意ですよ。リクは力任せにやってぶちまけそうじゃないですか?」


シャンパンなら、確かめるすべはないと思ったのだろう。いつものように俺を嘲笑する流れに持っていこうとしているのが透けて見える。

確かに、シャンパンを開けた経験は少ないが、拓実に何回かは教わっている。ぶちまけるような下手な開け方はしないと言い返そうと思ったそのとき、俺より早く容子が口を開いた。


「じゃあ、やってみましょうか」


なんの気なしにあっさりと。

驚く俺たちを放って、容子は近くを通りかかった黒服にシャンパンをオーダーする。


「藤井さん!?」

「オーダーはリクにつけてね。それと、ヘルプはもう要らないわ。ここに居るより他の卓に行ってもらったほうがいいと思うの……でしょ?」


その口元はにこやかでも、目が笑っていない。

黒い瞳で見つめられたカグラは、顔を赤くし、何か言いかけた口をなんとか閉じて、不機嫌さも露わに席を立った。


「藤井さん!!」

「なあに?聞こえてるわよ」


繰り返し叫びかける俺に、容子はくすりと笑った。その余裕ある様子に、俺は唖然として、また次の言葉が出せなかった。


(シャンパンなんて、高いのに……!!)


しかもさっき容子が黒服に伝えていたのは高級銘柄だ。それを価格表も見ずに下ろすだなんて正気の沙汰じゃない。


「藤井さん、価格帯、分かってますか?」


長時間の打ち合わせで疲れていて判断が鈍っているに違いない。

俺は焦りを押し殺して、諭すように言ったけれど、容子は得意げに笑うだけだった。


「大丈夫よ。言い忘れてたけど、フードコーディネーターって、案外稼げるのよ」


ああ、この人には敵わない。

そう思わせるほどに、自信に満ちた、かっこいい笑顔だった。













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