緋色のアバター

神在月八雲

第1話 デジタルな死の通知

ロンドンのベーカー街221B、霧が窓ガラスに滲む薄暗いフラット。シャーロック・ホームズは、3台のモニターに囲まれ、指がキーボードを疾走していた。画面には、グローバル企業のファイアウォールをテストするペネトレーションテストのログが流れている。ホワイトハッカーとして、彼はサイバーセキュリティの脆弱性を暴く仕事を請け負っていたが、平凡な依頼には目もくれなかった。コードの隙間を突き、システムの奥深くに潜り込む瞬間だけが、彼の退屈を紛らわせた。

「ジョン、コーヒーを頼む。エスプレッソ、ダブルで。ミルクはなし、温度は85度。」

ソファでノートパソコンに向かうジョン・ワトスンは、顔を上げて眉をひそめた。「シャーロック、僕は元軍医で、君のバリスタじゃない。毎回同じ注文なのに、なぜそんな細かく指定するんだ?」それでも彼はキッチンに向かい、エスプレッソマシンのスイッチを入れた。アフガニスタンでの従軍経験を持つワトスンは、今は医療系スタートアップのブログを執筆するフリーランスだ。ホームズの「雑用係兼記録係」として、彼は半ば諦めつつも、この奇妙な同居生活に魅了されていた。

その時、ホームズの暗号化されたチャットアプリが鋭い通知音を鳴らした。送信者はグレッグ・レストレード、元Scotland Yardの刑事で、現在は政府のサイバー犯罪対策チームのコンサルタント。ホームズは画面を一瞥し、口角を上げた。

「シャーロック、急ぎだ。メタバースで『死体』が見つかった。興味あるか?」

ホームズの目が光った。「ログと詳細をよこせ。5分以内に。遅れたらブロックする。」

レストレードが送ってきたのは、最新のメタバースプラットフォーム「オアシス」内の異常ログだった。オアシスは、VRヘッドセットとニューラルインターフェースを介して、ユーザーが仮想空間で仕事や娯楽を楽しむプラットフォームだ。あるユーザーが、廃墟エリアと呼ばれる荒廃した仮想空間で突然ログアウト。そのアバターの周囲に、「RACHE」と赤いピクセルで書かれた文字が浮かんでいた。問題は、ユーザーのリアルな肉体が、ロンドンの安アパートで心停止状態で発見されたことだ。

ホームズはログをスクロールし、検死報告に目を通した。被害者はジェファーソン・ホープ、38歳、フリーランスの暗号通貨トレーダー。死因は不明だが、VRヘッドセットのニューラルインターフェースに、外部からの不正アクセス痕跡が確認された。警察のサイバー犯罪部門は、ハッキングによる意図的な殺人の可能性を疑っていた。

「ジョン、VRヘッドセットを用意しろ。現場に行く。」ホームズは立ち上がり、黒いフーディを羽織った。ワトスンは驚いた。「現場って、仮想空間だろ? 現実に死体があるなら、警察に任せればいいじゃないか。」

ホームズは冷たく笑った。「警察はログの表面しか見ない。僕が見るのは、コードの奥に隠された真実だ。これはただのバグじゃない。ゲームの始まりだ。」

二人はVRヘッドセットを装着し、オアシスにログイン。認証プロセスを終え、廃墟エリアに降り立った。目の前には、崩れたビルと点滅するネオンの残骸が広がる。中央に、ホープのアバターが凍りついたように立ち尽くし、周囲に「RACHE」の赤いピクセルが浮かんでいる。ホームズは仮想コンソールを呼び出し、ログを解析し始めた。

「ジョン、ドイツ語の『復讐』だと思うか? RACHEはミスリードだ。」彼はキーボードを叩き、ピクセルのメタデータを抽出。「これは書きかけのコードだ。メッセージか、あるいは意図的な痕跡。誰かが僕たちに見せたかった。」

ワトスンはアバター越しに首を振った。「シャーロック、こんなところで何がわかるんだ? ただのグリッチかもしれないぞ。」

ホームズは答えた。「グリッチはランダムだ。これは意図的だ。ホープの死は、サイバースペースと現実の境界を越えた殺人だ。」

フラットに戻ったホームズは、ホープのデジタル足跡を追跡。オアシス内の取引ログから、彼が暗号通貨ウォレットで高額な送金を行っていたことを突き止めた。「ホープはダークウェブで詐欺を働いていた。仮想空間でのマネーロンダリングだ。誰かが彼を追っていた。」

ワトスンはコーヒーを差し出し、言った。「詐欺師が狙われたってことか? でも、なぜこんな派手な方法で?」

ホームズはモニターを見つめた。「派手さはメッセージだ、ジョン。殺した相手は、ホープに恐怖を与えたかった。そして、僕に挑戦状を叩きつけてきた。」


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