アクティアス・アルテミス

有馬千年

第1話

 シックなハイブランドのシャツと純金でふち取られたサングラス。

 高価な装飾品に身を包んだ眼前の彼は、その奇跡的な美貌に笑み一つ浮かべず、憮然と腕を組んでいる。

 鷹野隼平たかのしゅんぺいは、相手の機嫌を損ねないよう、低姿勢を崩さぬまま精一杯の作り笑顔でへつらった。

「まさか先生ほどの大人物にお越しいただけるなんて、がたい限りです。今や最も人気の若手作家ですもんね」

 見え透いたおべっかに彼の機嫌は上昇も降下もせず、ダークブラウンのレンズ越しにちらりと一瞥をっただけだった。

 依然、心地よくお話しいただく空気感はできあがっていない。なんとか話を繋ごうと、隼平は無理して言葉を紡ぎ出す。

来栖賞くるすしょう、というのは人文系小説の賞の中でもとりわけ実力が問われる狭き門と聞きます。そこで今回、大賞をお取りになった先生は、名実ともに、間違いなくトップクラスの小説家ですね」

 小さく息を吐くと、"大作家先生"は、ようやくひとひらの言葉を呟いた。

「知りもしないくせに」

 ははは、隼平は乾いた笑いで誤魔化したが、内心しくじったかと冷や汗をかいた。

 彼相手には、失礼な言動も、浅はかな称賛も許されないのだ。


 志倉冥しくらめいは、二年ほど前に突如とつじょ彗星のごとく現れ、以来重版を連発する新進気鋭の作家だ。人間模様の目まぐるしい変化と感情の機微の繊細な描写が特徴で、ヒット作品の中には既に早々の映像化が決定したものもある。若くして、人気実力ともに文壇界において無視できない存在となっていたのだった。

 そんな彼が今年、文学賞の中でもとりわけ硬派で選考基準が厳格だとされる来栖賞の大賞に選ばれた。中性的で端正な顔立ちの「美男子小説家」は瞬く間にメディアでも話題となり、文芸界のみならず一般に広く知れ渡ることとなった。これにより彼の地位も名声も新人ながら確固たるものとなり、注目度はますます上がっていく一方だろう。

 隼平が代表を務めるビジネスコンサルを主業務とした会社は毎月社内誌を発行しており、今をときめく話題の人物へのインタビューがコラム欄の定番だった。社長である隼平自身の人脈や高額な依頼料によって、通常ではありえないような人物の招聘しょうへいも可能にしており、毎回誰が登場するのかは社員たちの間でも話題になっている。

 そうして今回も、隼平自らの打診によって、今後さらに多忙を極めるであろう人気作家をいち早く押さえることに成功した。

 それでも当初、条件だけで見れば志倉が承認する望みは薄かった。「かなり偏屈で神経質、おまけに途轍とてつもなく傲慢」と噂される志倉の性格に加え、インタビューの仕事自体を受諾したことがないらしい。

 通常であれば限りなく困難な企画ではあったものの、隼平にはある勝算があった。二人が同郷の同い年であったという事実に加え、志倉が首肯せざるを得ない事情を、隼平は握っていたのだ。

 こうして呼び出された志倉は今、隼平のオフィスの応接室で、インタビューの開始を待たされている。


 開始前、ライターやカメラマンが準備をする中で、志倉が気難きむずかしい面持ちのまま空調の温度と湿度を指示したり、フリージアの香りがないなどと不満を漏らして急遽生花を用意するなどといった場面があったが、インタビュアーである隼平が真正面に座り、ぎこちなく始まった対談は、進むにつれて思いのほか和やかな様相を呈していった。

 志倉はその実、高級ファッションと肩書きで己を武装のように着飾っていただけの小心者だということが早々に明らかとなり、隼平の上滑りしたような軽薄な表面的質問の数々がかえって志倉の緊張を解いたらしい。

「では志倉先生は、普段いったいどのようにして作品に対するインスピレーションを得ているのですか?」

「自分自身がしてきた経験と、直感。"インスピレーション"って言うぐらいだから、理屈じゃないのは当たり前だろう?君は本当に、おろかしいな」

「あはは、おっしゃる通りで。どうにも情けないです」

 志倉の舌鋒は変わらず鋭かったが、せせら笑いを浮かべているのは心を閉ざしていない証拠だ。隼平は計算する。ここでは道化どうけでいこう。話を聞くというミッションさえ達成できれば、こっちの勝ちだ。

「今回、大賞をお取りになった『オオミズアオの顛墜てんつい』という作品は、どのようなストーリーなのですか?」

「なに、読んでないの?」

「いえ、もちろん拝読しました。ですが社内誌の読者向けに、改めて先生の口からご説明いただけたらと…」

「オオミズアオってのは、日本に生息する中でも最も美しいとされる蛾。幼虫の頃から青青あおあおとしていて、派手さでは群を抜いている。そんなオオミズアオのように、子供の頃からちやほやされてきた順風満帆な主人公が、とある人物との出会いをきっかけに凋落ちょうらくしていく、って話なんだけど」

 ここで志倉は、意味ありげにサングラスをずらすと、隼平の目を見据えた。

「思い当たること、ない?」

「そうですね…確かに誰しもが、人生にそういった試練を迎えるというのはあるかもしれません」

「そうじゃなくて」

「?なんの、ことでしょうか…」

 隼平は困惑を隠さずに言った。

「そ、なら、いい」

 志倉はそれ以上のことは言及せず、続きの質問をうながした。

「受賞の前と後で、仕事の状況は目まぐるしく変わったかと思いますが、私生活にも変化はありましたか?」

「どうでもいいけどさ、下らない質問ばっかりだよね。元の頭も悪いんだろうし、育ちがしのばれるよ。だからこそ気楽に喋れるけどね。

 まぁ、受賞に限らず、本が売れてからはいい暮らしをさせてもらってるよ。正直、君なんかよりもずっと収入はあるんじゃないかな。この程度の会社なら社長ったって、タカが知れてるだろうしね。社長がバカなら社員もバカだろう、はははは。

 若者の本離れだとか出版業界の不況なんて言われてる昨今において、もちろん仕事は作家業だけじゃないけど、文筆で暮らせてる、ましてや豪奢な生活ができているのは奇跡だね。けどそれもぼくが天才だったから。加えて小さい頃からの慣習がようやく実を結んだ、とも言えるかな」

「子ども時代から小説を?」

「そうだよ、学校でも隠れて毎日書いてた。友達とも馴染なじめず、何の取り柄もないぼくが唯一没頭できたものだったからね」

「では幼少期から、長年努力した甲斐あっての成功なのですね。素晴らしいです」

「ふん、まあね。君みたいな、そこらへんのしょうもない一般人よりかは輝かしい人生を歩めてると思う。ぼくぐらいの栄光すら掴めずに一生を終える人々が、哀れでならないよ」

 隼平は先ほどから、同年代ながら一方通行な敬語を話す関係性の歪みと、志倉の上から目線での罵倒に違和感を抱いていたものの、おそらくコンプレックスの裏返しであろうと思うことにした。このパターンの大物ゲストは、過去にも存在した。志倉が楽しげになればなるほど険の鋭さは増したが、隼平があえてわざとらしいほど下手に出ることで、雰囲気は剣呑けんのんさをうち隠していた。

「見てよ、これ。イタリアのブランドの、今夏のコレクションで出たシャツなんだけど。こんだけで50万するんだよ。それからこの指輪。3.2カラットのダイヤモンドだ。全身総額だといくらだろうな。君たちにこんなもの、買える?買えないよね。

 欲しいものをお金で手に入れられる自由も得たし、見た目のおかげで女にも困らない。寄ってくる中から選ぶだけでいいんだから。おまけに周囲の低脳どもは皆び諂って先生、先生とおだてるようになった。君も含めてね。愉快でならないよ」

「そりゃあ、結果も出してらっしゃるし、立派な先生ですから。こうしてお話を聞けるのは、本当に光栄です」

「ほらね、そうやって、下賎げせんな人間が揃ってかしずいて来るんだ。まさに成り上がったとはぼくのことだよ。灰皿」

 突然、志倉はタバコを取り出すと了解も得ずに火を付けた。

 本来この部屋は禁煙だったが、ヘソを曲げられると困るので、隼平は慌てて社員に指示して灰皿を用意させた。

 隼平の見立てはおそらく当たっている。フリージアの生花を所望するほど匂いに敏感な人間が、同じ場所でタバコなど吸うはずがない。どちらもキャラ付けだろう。きっと志倉はこうやって、「不遜な作家」のキャラクターを無理して作り上げているのだ。


 インタビュー終了後、隼平は思いきった投げかけをしてみることにした。

「志倉先生、よろしければですけど…今度、ご飯でも行きませんか?

 もちろん、お眼鏡めがねに適うような、ちゃんとした個室のレストランにお連れしますから。

 作家の志倉冥だけでなく、あなたという個人そのものに興味がある。

 もっと深く、お話してみたいんです」

 インタビューの構成を思案していたライターも、機材の片付けを始めていたスタッフたちも、隼平の申し出を聞き、これには手を止めて一斉に見やった。今回のこの感じからして、扱いづらさにおいてトップクラスであろう高飛車な彼が、食事の誘いに乗るとは思えない。

 しかし彼らをより驚かせたのは、あっけないほどの快諾を見せた志倉その人であった。

「いいよ。それなら、うちで話そうじゃないか。

 君とは今回に限らず、何か次の仕事も一緒にできたらと思っている。打ち合わせも兼ねて、ってのはどうかな」

 こうして志倉は、隼平の誘いに乗っただけでなく、自宅への招待とビジネスの逆オファーまでもをおまけで付けて返答したのであった。

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