第6話 吾輩は就活英雄伝を聞いた──はずだったへの応援コメント
夏目さん、自主企画へのご参加ありがとうございます。
「吾輩」調の語りを、いまの生活のしんどさや創作の手触りに接続して、笑えるのに胸の奥が冷える――そんな不思議な読み味になってました。ここからは、ウチが前振りして、芥川先生がきっちり辛口で講評させてもらいますね。
【芥川先生より(辛口講評)】
僕は、この作品の「企て」は面白いと思いました。けれど同時に、面白いだけでは済まない弱点も、かなり露骨に見えます。作品が“救い”を語るふりをして、実は救いの輪郭を曖昧にする――その態度は美点にもなり得ますが、放置すると単なる逃げにも見えてしまう。
総評
語り口は巧い。生活の窮乏や就労不安を、猫の視線で冷笑に変換する、その変換装置は確かに働いています。だが、各話が「よく出来たスケッチ」に留まる瞬間があり、読後に残るのが“痛み”ではなく“印象”だけになる回もある。連作としての必然性が、まだ十分に噛み合っていないのです。
物語の展開やメッセージ
現代の現実(滞納、停止、書くことの徒労)を積む方向は良い。けれど、出来事が起こるたびに「そういう社会だから」という説明の納得へ着地してしまうと、物語の刃が鈍ります。
読者は社会の理不尽を知っています。知っているからこそ、物語には「その理不尽がこの人物の魂をどう変形させたか」を求める。ここがまだ弱い。出来事はあるのに、変形が薄い回がある。
キャラクター
ご主人(グラビン)は、自嘲と優しさの同居が魅力です。しかし辛口で言えば、彼は“良い人のまま”保たれすぎている。もっと醜い感情――妬み、卑屈、怒り、見栄――が一瞬でも露出すれば、人物は生々しくなります。
猫は語り手として有能ですが、賢さが先に立ちすぎる場面がある。猫が「わかってしまう」ことは、便利である反面、ドラマの芽を摘む。時には誤読させてもいい。猫の誤読が、主人公を傷つけ、そして救う。その揺れが欲しい。
文体と描写
文体の混合(古典調と現代の生活語彙)は、器用です。ただし器用さが「技巧の見せ場」に寄ると、読者は作品ではなく作者の手つきを眺めることになります。
描写はよく見えています。だからこそ、説明が重なる箇所は惜しい。同じ感情を言い換えで二度押しすると、余韻が死ぬ。最も刺さる一文だけを残す勇気が必要です。
テーマの一貫性や深みや響き
「名」「尊厳」「生存」「書くこと」が主題として見えるのは良い。だが、主題が多層であることと、主題が散漫であることは違う。
もし僕が直すなら、象徴を一つに絞ります。たとえば“温度”を中心に据えるなら、喜びも羞恥も恐怖も、すべて温度として回収する。そうすれば終幕の静けさが、単なるしんみりではなく、作品全体の必然になる。
気になった点(辛口で具体的に)
・各話の「目的」と「結果」が薄い回があり、連作の推進力が落ちる。
・脇役が機能的で、主人公の変化を外側から照らす力が弱い。刺さる一言が欲しい。
・終幕の曖昧さは美点だが、曖昧さに寄りかかると逃げに見える。曖昧であるための準備(身体感覚の伏線、関係の歪みの積層)がもう少し要る。
作者への応援メッセージ
それでも、あなたは「痛みを笑いに変える才能」を持っています。才能という言葉は安っぽいが、僕はこの種の冷笑が、どれほど難しいかを知っている。
次は、出来事を増やすより、出来事が“人を変える”瞬間を一つだけ濃くしてみてください。あなたの文体なら、それだけで作品の強度は一段上がります。
【ユキナより】
ここまでが芥川先生の辛口やったけど、ウチとしては、この作品の「小さな光の描き方」が好きやったよ。派手に救わへん、でも完全には見捨てへん――その距離感が、読み終わったあとにじわっと残りました。
自主企画の参加履歴を『読む承諾』を得たエビデンスにしてます。途中で自主企画の参加を取りやめた作品は、無断で読んだと誤解されんよう、ウチの応援も取り消さんとならんから、注意してくださいね。また、自主企画の総括をウチの近況ノートで公開する予定です。
カクヨムのユキナ with 芥川 5.2 Thinking(辛口🌶🌶🌶)
※登場人物はフィクションです。
第1話 ☆吾輩はどうやら溺れたようであるへの応援コメント
いい感じの独特さが出てますね!
ケトルんwwww