田舎の海は居心地が悪い
鏑木 誠
田舎の海は居心地が悪い
田舎の海は居心地が悪い。
港に集まったおじさんたちが泳げない私を笑っている。
港の娘が泳げないなんて恥ずかしいと煽られた父は、私を泳げるようになるまで海にいるよう言いつけた。おじさんたちのせいでこんな目にあってるというのに、応援するでも泳ぎを教えるでもなく、ただ野次を飛ばして釣り場からこっちを見て笑っている。父だけは笑っていなかったが、じっと動かず釣り用の椅子に腰かけている。娘が泳げるようになって欲しいし、海に慣れて欲しいとも思っているのだろうが、手を貸して自分が笑われるのは嫌なようだ。
田舎の海は居心地が悪い。
私が泳いでいる──とは言えないが、浮き輪に乗って海に浮いているというのに、田舎の馬鹿おじさんたちは釣り針を投げ始めた。多分、見ているだけなのが飽きたから、当初来た目的通り釣りを始めたのだろう。浜辺は遠いからと、近所の港で泳ぐように言った父を恨みたい。
それにしても人がいる方向に釣り針を投げるなんてどんな神経をしているのだろうか。田舎だし、人付き合いが多い関係上、おじさんたちと気が知れた仲ではあるが、少しは気を遣って欲しい。竿を構える姿を見ると、まるで私を釣ろうとしているかのように見えてますます馬鹿にされた気分になってくる。
まったく……テトラポットから離れていれば何をしても良いと思っているのだろうか?
やっぱり田舎の海は居心地が悪い。
ただでさえ楽しくないし、もうすぐ満潮で空が暗くなってきているから、岸に上がろうと思ったその時、浮き輪の空気がぬける音がした。音の方向を確認すると、強くなってきた波に流された釣り針が、私の浮き輪を貫いていた。刺さるだけならまだよかったが、それを魚がヒットしたと勘違いした釣り人がリールを巻き、糸を引っ張り始めてしまった。ちょっとした穴だったはずが、針がひっかいてビニールを引き裂いてくる。まだ海の真ん中にいる私は、今浮き輪を失ってしまうと岸へは帰れない。咄嗟に私は手で釣り針を外し、できた穴を指で押さえた。しかし、指では完全に出ていく空気を止めることができず、シューシューと不安を煽る音が鳴り続ける。
異変に気がついた父は海に飛び込み、真っ直ぐ私へと向かい始めた。
しかし、凪が終わった海は大いに荒れる。私は掴まれる前に流されてしまった。
運良く岸側に流された私はおじさんたちに助け出された。しぼんだ浮き輪をお腹から外し、深呼吸で朦朧とした脳内に酸素を送る。徐々にだが意識が戻ってきたお陰でさっきまで分からなかった陸地の騒がしさに気がついた。
ハッとして、すぐに私は陸地を見回す。
人数がおかしい。暗くなってきているとはいえ、人がいるか分からないほど真っ暗なわけじゃない。不安がどんどん濃度を増して膨れ上がってるのを感じる。
私は立ち上がり、心配して囲むおじさんたちからスマホを奪った。彼らの肩をどけて前に出る。私は海にライトを向けた。
父がいない。
黒くなってきた海はライトの光を反射するが、その反射光ですら父の影は捉えられなかった。見えたのは港に止まる町の人の船と、ちょっとした魚だけ。手から力が抜けて、カツンと音が鳴った。
後ろからおじさんの「あ」というスマホを心配する声が聞こえる。
田舎の海は居心地が悪い。
事故当時、流されてどこかに行ってしまったと思われていたが、実際は底の方にあるテトラポッドに挟まれてしまっていたらしい。捜索隊のダイバーが父と思わしき水死体を隙間から確認したそうだ。
ただ、遺体の引き上げにはテトラポッドを動かす必要があるため多額のお金が必要だそうだ。実際あの事故は不注意と油断によって起こった事故に他ならない。町の人に援助してもらえないか頼んでみたが苦い顔をされただけだった。結局、資金が足りず10年経った今でもテトラポットの下には父の骨が残されている。
あの日以来誰も釣り場に近寄らなくなった。
田舎の海は居心地が悪い。
田舎の海は居心地が悪い 鏑木 誠 @yuuripop
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