抱きつき癖のあるお嬢様は家庭菜園に目覚める
唯木羊子
第1話 壁に抱き付く令嬢
私は今壁に抱き付いている。ドアが二つ並んだ間の壁がちょうど私の肩幅より少し長くてギュッと抱き付くのにちょうどいい感じなのだ。壁の向こうは真ん中に壁が垂直に交わっているので、ぐるっと腕を回せないのが少し残念である。でも壁は私の身体をぐらつくことも無くしっかりと支え、ひんやりとした表面が頬にあたって気持ちいい。私は、「はぁーーー」っとため息を吐き目を瞑る。ため息とともに肩に乗っていた不安や心にたまった寂しさ、その他もろもろを壁が吸い取ってくれたようで、少し身体も心も軽くなる。
「お嬢様どうされましたか?」マリリーズが慌てた様子でこちらに向かって走って来た。
「気分が悪くなりましたか?それとも体調がお悪いのですか?」心配そうに尋ねながら私の背中をさすっている。
「大丈夫よ」と笑顔でマリリーズに答えようとしたが、完全な笑顔になる前に身体から力が抜けてずるずると壁に沿って座り込みそのまま意識を失ってしまった。
「お嬢様、しっかりしてください!」と叫ぶようなマリリーズの声が遠くに聞こえた。
「うーーん」という自分の声に驚いて目を覚ました。どうやらうなされていた様だ。
「お嬢様、大丈夫ですか?私が分かりますか?」
「あぁ、マリリーズ、ごめんね」
「心配いたしました。丸一日目が覚めなかったんですよ。すぐにお医者様を呼んでまいりますね。それからお水をお持ちいたしますので、このまま少しお待ちください」そう言って布団を肩まできちんとかけて、部屋から出ていった。
長い夢を見ていた。東山有紗(ひがしやまありさ)という女性がこことは違う世界で37歳で亡くなるまでの夢を。有紗という女性は、勉強が好きだったようで中学受験をして女子高に入学し、中高一貫校なのでそのまま高校に進み、大学も女子大に通う事となった。
就職先には男性ももちろんいたが、なぜか配属されたのは部長以外は女性しかいない部署だった。
勿論仕事で男性と話すことはある。仕事なら大丈夫なのだが、社内のイベントごとなどで、男の人とフランクに話すことは難しく、
「あの子は年下なんだから敬語使う必要ないよ」と周りに言われる始末だ。
そうして男性と親しく付き合う事も無く37年の人生を閉じることになった。本人は楽しい人生だと思っていたが、客観的にみると少し寂しい人生だったのかもしれない。
夢の中の女性の事を思い返して、あぁ、彼女は私の前世なんだわとストンと腑に落ちた。亡くなったのは交通事故だったようなので、その後の人生に心残りはあったのかもしれない。気が付くと涙が頬を濡らしていた。
「お嬢様、どうされましたか?苦しいのですか?」涙を流している私を見てマリリーズが心配して駆け寄った。
「大丈夫よ」今回は笑顔でこたえることが出来た。頬に涙は伝っていたが、もう大丈夫だ。
「マリリーズ、お医者様をご案内していたのではなくって?」
「はっ、すみませんでした。先生こちらです。お願いします」マリリーズはやればちゃんと出来るのよ。ちょっとあわてんぼうなところはあるけれどね。
丁寧にお医者様をご案内して椅子を勧める。そしてサイドテーブルに私には水を先生には紅茶を置いてドアまで下がって行った。
「先生すみません、少しのどが渇いているので先にお水を頂いてもかまいませんか?」
「水分不足は体に悪いからね。遠慮せず飲んで下さい。私も紅茶を頂こう」
私はお言葉に甘えてお水をごくごく飲みほした。あぁ生き返ったようだわ。そう、東山有紗から、私アドリーヌ・マルゴワールへと生まれ変わったのですから、生き返ったというのもあながち間違いではないのかもしれませんわね。
水を飲み一息ついた私を先生はゆっくりと診察して下さった。特に悪い所は見当たらないようだ。
「今までもこのような事が?」
「はい、何度かありましたが、今回のように長い間目を覚まさなかったのは初めてです」
「そうなんです。いつもはすぐに、長くても十分ほどで意識が戻っていましたから。だから心配で、本当に大丈夫なんでしょうか」
「今は悪い所は見受けられません。多分生活環境が変わって疲れがたまっていたのでしょう。少し無理をしていたのかもしれませんね。暫くはゆっくりとして、環境に体を慣らしていってください」
先生は、お薬を出すので後でとりに来るようにと言って帰って行った。
「お嬢様はこのままゆっくりしていてくださいませ。先ずは何か召し上がれるものをお持ちしますね。その後お薬を貰ってまいります」マリリーズはそう言って静かに出ていった。
そういえばこれまでも何度か倒れたのだったわ。その度にさっき見た夢を断片的に見ていた気もするけれど、今までは起きた時にはすっかり忘れていた。まだ受け止める準備が出来ていなかったのかもしれないわね。でも私も学園を卒業して、こうして嫁ぐことが決まり、この家にやって来たのですから、もう大人なのですわ。過去の事もしっかり受け止めて見せますわよ。とぐっと手を握り意気込む。
そこでハッと気づく。そうでしたわ。私嫁ぐのですわ!まだ旦那様になる人と顔も合わせていないですけれど・・・。
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