愛情というナイフを持つ僕の先輩

AOI

第1話 放課後の水無月・始まりの皐月



うちは普通の家だったと思います

父がいて、母がいて、兄がいて

けど、愛情っていうものが僕には分からなかった。

見えない、触れない。
なのにあるって言われるもの。
なんだかそれが気持ちが悪くてたまらなかった。
普通の家だったから、愛されている、愛されていた"はず"です。

でもそれを、向けられるということがいつからか怖くて気持ちが悪いものに変わっていった。




『ねーねー知ってる?』


『んー?なになに』


『学園の王子様と付き合うためのテスト』


『知ってる知ってる!!』


『それって御伽噺でしょ〜?内容誰も知らないじゃん。』


『そりゃそうだよ!だって、参加条件は内容を誰にも話さない事、なんだよ?』


『なんなんだろうねー…古泉くんの試練ならウチも受けたい!!愛の試練なんてさー…ロマンチックー…』


『出たよ、恋愛脳。いるよねー女子高生って素敵な出会いできると思ってる子。お前もそのタイプかー?』


『いたっ!…んー、いいじゃん別にさー夢見たって』


『大体その試練っての怪しすぎじゃん?マジで誰も話してなくて内容分かんないなら尚更さー。よっぽど変な内容って事じゃんか。それに、その試練受けた人はどこにもいないのは実際のとこ消えてるんじゃないかって…』


『うそ!そういうのむりー!!!ロマンチックな内容かもしんないじゃんかー!夢がないなー全くもー…』

「あ!古泉くんはーっけん!てか皆その噂好きだねー?」

『高梨先輩じゃん!おつでーす』

「杏奈ちゃんおつー。ってほら、今日美子ちゃんと茜ちゃんは委員会あるんじゃね?ウチの委員会のやつが言ってたけど。それから杏奈ちゃんは顧問が鬼みたいな顔してたぞー、ほら急げー」

『『『あ!やばい!!!』』』

慌ただしさと喧騒の中でも、あの人は僕を見つけて探し出して、それから捕まえようとする。

「古泉くん、今日も屋上でしょ?一緒行こ。」



_________________________


【放課後の水無月】



至って普通の高校である我が校には王子様と呼ばれる人が各学年にいる変わった学校らしい。
そしてその中の1年生。人とつるむのを嫌う一匹狼で、何時もイヤホンをつけ外界から遮断された一人の世界を楽しむ変わり者。文武両道成績優秀、立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花。本来美しい女性へと送られる賛美が良く似合う美しい少年。まさに美少年。

というのが、僕の周りからの評価らしい。くだらないしそれで騒がれるのもうんざりだ。けれどそのお陰で平穏が保たれるなら、それも構わないと思っていた。
然し、それを飛び越えようとする男が1人。

「あんだけ有名でもさぁ、皆知らないもんなんだね。学年ごとにいる王子様の試練を乗り越えれば、その王子様と結ばれるだろう…ってのが真相なのに。」

「……」

「アレ?古泉くんも知らない?なんかね、ウチの学校って必ず居るんだって、毎年王子様。で、その子たち毎に試練がーって、いうのがウチの正確な七不思議の1つ、"王子様を射止める試練"」

フェンスを軋ませる音と相反する様に軽やかにかつ慣れた声音で話す男と、それに対してイヤホンをつけたままで全くの無反応を貫く"王子様"。男はそんなのは関係ないと言わんばかりに口が止まることは無いわけで。


「まあ3年の王子様は生徒会長サマだし、ていうか女の子だしね。それを乗り越えたと噂の幼馴染さんとお付き合いしてるって話だから女の子達的には関係なし。2年の王子様は天才だけど病弱で学校にいないわけで…1年の王子様しか話題が上がらないのは当然っちゃ当然なのかも?ね、どー思う?」

「……知りませんよ。ていうか、なんでイヤホンしてるのに話しかけてくるんですか、高梨先輩」

「えー?だって音楽聴いてても結局今日俺の話聞いてくれてるじゃん、古泉くん。ほんっと、素直じゃないし可愛いよねー」


朗らかに笑った高梨先輩は手に持っていた紙パックのコーヒー牛乳に刺さったストローを咥えながら言ってのけた。
この人のこと、矢張り好きになれないしむしろ嫌いまである。
一定に保って、けれど決して僕から遠ざかることはなくまるで手の内に入れておきたいみたいな距離感。相変わらず変な感じがする。
そう思いながら、近頃いつも聴いていたお気に入りの音を止めれば、喧騒が耳から流れ込んでくる。女子生徒達の噂話、部活中の生徒たちの声や教師の上げる声、グラウンドの砂が舞う音。

そして、ニッと笑みを深めた目の前の先輩の息遣い。

僕がいつも居る屋上にいつの間にか着いてくるようになった、高梨湧先輩。
僕が彼について知っていることというのは存外に少なくて、明るくて人付き合いの上手いタイプだろうということ、1つ上の2年生であるということ、いつも同じコーヒー牛乳を片手に放課後屋上に来るということ、そして

「今日もクラシック?相変わらず好きだよねぇ…ま、そんな所も好きだけどさ。」

「いい加減にしてください。貴方のその軽い言葉、僕嫌いです。」

「俺は好きだよ?古泉くんのこと。それにいいよ?嫌ってくれて。むしろ大歓迎。だって、君の嫌いは興味があるの裏返しで恐怖心から来てるものでしょう?」

ビー玉みたいに鈍くけれどがらんどうにも見える瞳を輝かせながらこういうことを言い放つ人。僕に対して、あけすけにそして土足で踏み入るみたいに "好きだ" と告げてくる人。
僕の一番信頼できない、好きだという言葉を分かっていて投げつけて来る人。

「意味がわかりません。…帰ります」

鞄を持ってイヤホンを付け直して。立ち上がろうとするとフェンスに背を預けていた影はまたフェンスを軋ませて立ち上がり片手で使い込まれた革のバッグを下げれば直ぐに僕の隣へやってくる。そして耳元で一言




「帰りたくないのに帰るんだ、お家に」




表情と全く不釣り合いな声で囁いた。
ゾワッとくるような不快感。ハッと隣を見れば矢張り全く不釣り合いに"綺麗に"笑っている。


「は…?」


「ん?そんな気がしただけだよ。さっ、送ってくよ王子様。って言っても、いつものとこまでだけど。」

綺麗な笑顔のままで僕を振り返る先輩は、夕焼けに照らされて普通ならまさに青春の1ページなのだろう。
この人は、こうも普通なのに、何故
こんなにも歪な感じがするんだろうか。

分からない、そう。この人は気持ち悪いんだ。なんでかなんて、そんなことは知らないけれど。




_________________________




「せんせー、さよならー」

「高梨!お前昨日出せって言われてたプリント出したか?鈴木先生怒ってたぞー」

「げっ、思い出させないでよ。ちゃんと出してこってり絞られましたー"やれば出来るのに高梨くんはいつもうんぬんかんぬんー"って長時間コース」

「ははっ、鈴木先生の言う通りだろーが。気をつけて帰れな、最近不審者でるって話だから。古泉、お前も気をつけてな」

「はーい、センパイとしてしっかり送ってきマース」


体育の小川先生の声はよく響く。それにイヤホンをしていてもお構い無しに話しかけてくる。会釈だけしてそのまま歩き去ろうとすれば先生と話していた高梨先輩もそれに続いてくる。

「オガせんせーばーいばーい。部活ふぁいてぃんっ!」

「はいはい。さようならー。」


何故だろうか。大きな声を出しているからじゃない、高梨先輩の声が耳に響くのは。まるで、沈みこんでくるみたいな。


「あ!ユキちゃんメイクキメて彼氏とデート?気をつけてー、お持ち帰りされないようにねー?」

「わぁってるって!高梨もばいばーい」

「あ!高梨、ちょっと次の課題写させてくんね?現国の課題分からなすぎて無理なんだってー!」

「はーいはーい、島はちゃんと自分でやることを覚えな?今ならまだ図書室空いてるでしょー!!」


次々と声をかけられそれに応えていく。
普通の、学生生活の1ページ。集団生活の常なのは分かっているけれど、入ってくる音の情報量に目眩がする。
声をかけられないようにしている僕とは違って、先輩はかけられた声に返して、それにまた返事が返ってきて。普通の光景。

なのになんだろう。この違和感。

この人といるといつもこうだ。
明るく人気者の高梨湧と、僕の前で綺麗に笑う高梨湧は、まるで別のダレかで、僕の知っている先輩との乖離で混乱してくる頭にはまるでノイズがかかって行くみたいな


「っとぉっ!」


突然後ろに引っ張られて体制を崩しそうになる。背後に感じる温もりに寒気がした。


「あっぶない…古泉くん大丈夫?」


足元を見れば床の補修作業で区切られた目の痛くなりそうな赤いコーンで老朽化で修復するからと大袈裟なまでに囲われている。しかしそれよりも、今はこの体勢のほうが問題なわけで。
やめて、こわイキモチワルイ

「危ないとこだったねー。ほら、考え事?気をつけなきゃダメだよ?」

僕の思考を読みとったかの様に僕を再度立たせて怪我がないかを確認してくる先輩は妙に優しくて。その視線が気持ち悪さを増すのだけれどとは言えないままに


「ありが…」


人としてお礼ぐらい言おうかと音を紡ごうとした瞬間、肩に先輩の手が触れて息を飲んでしまう。



「"俺の"大事な古泉くんに、俺が怪我させる訳ないでしょ?」



顔を近づけ耳元で囁く声は先程までの"普通の男子高校生"ではなく、冷たくけれど生暖かくどろっと溶けたチョコレートみたいな声で。



また、先輩が綺麗【歪】に笑った。




_________________________



【始まりの皐月】



それは突然だった。

僕が学校に入学して、それこそ1月立たないぐらいの頃。

先輩が、僕の前に現れた日。

この日から、変わっていったのだろうと思う。


僕の普通は


____________________


桜は散って葉っぱが青々としてきて暑さが顔を出す頃。委員会だ部活動だと騒がしさが増してノイズが酷くなっていく気がしてイヤホンが手放せなくなったのがこの頃。

授業終わりの喧騒から抜け出したくて、荷物を纏めてからイヤホンをして、屋上へ向かう。

人が入ることはなく、ドラマでも始まりそうな屋上はグラウンドの声や、教室の音、誰かの話し声は聞こえるけれど過ごしやすい場所だった。


何時の間にか王子様、という奇妙なあだ名を付けられて遠巻きに見られることが増えた。よく聞けば学園には何かしらそういう伝説?みたいなのがあるらしくそれの今年の該当が僕らしい。…下らない。けれど、その分話しかけられないだけマシだと思っていたからそれすらどうでも良かった。


屋上へ上がると風が吹き抜ける。この時間にちょうど陽があたる所に腰を下ろして壁にもたれる。遠巻きな音、声、グラウンドの砂が擦れる音、風で軋むフェンス。それを巻き込みながらクラシックがイヤホンから流れれば風と共に音が全てを流してくれるようで、安心出来る。

目を閉じて、本物では無い電子音に変換された、けれど確かにピアノの音を聴きながら目を瞑る。それが、僕の救いの時間。


傾く太陽が仄暗く瞼を照らしている、それとピアノだけがある世界は"普通"の日常から少しだけ離れた、けれど柔らかな世界で。


「見つけた」


その世界を壊す人は、いないと思っていた。


突然片耳から音が遠ざかる

閉じられた世界をこじ開けるように


「見つけた、王子様。」


「…は?」


目を開けて眩しさに僅かに目が眩んで、けれど直ぐに慣れた視界には影がひとつ伸びていた。その影が持つ手には僕のイヤホンがコードと共に伸びている。誰?


「…返してくれませんか」


「ふはっ、思った通りの子だ。」


途端にしゃがみこんで屋上の壁にもたれるように座ったままの僕の顔を覗き込んできた。


ビー玉みたいな目だと思った。

それから、きっと見てはいけないナニカだと思った。


目の前に居るのは、綺麗に笑う男が1人。

片手に僕のイヤホンを、片手に使い込まれた革の鞄を持った学生服の男。ただの生徒、学生。

その筈なのにその綺麗すぎる笑顔に背筋が凍りそうになった。


「こんにちは、古泉くん。俺、2年の高梨湧。ねぇ、俺ね君のことが好きになっちゃったみたい。」


全部見透かしそうなビー玉のような目は、爛々と輝いて、何も入っていない空っぽの瞳で僕に好きだと告げてきた。


冷たくて、けれどまとわりつくような生暖かく綺麗な声で。




____________________




あの日から、先輩は何時も僕の前に現れるようになった。


「古泉くん、今日も屋上でしょ?俺も着いてく。」


「…着いてこないでください。」


「ふはっ、その顔いいねぇゾクゾクする。ほんっと、"綺麗"」


先輩はいつも僕を何かしら褒めて、好意を隠そうとはしなかった。それを伝えることをやめなかった。何故?僕の嫌がる顔が見たいからでしょうね。ほんとに思考回路の分からない人で、気持ち悪い人。

僕の隣ではなく少し後ろを歩いて、周囲に声をかけながらあとを着いてくる。屋上まで、必ず。


「今日は空が綺麗で気持ちいいねぇ」


言葉を返す気も起きない。

着いてきてほしいなんて言った覚えもなければ、むしろ不快なんだけれど。気づいて無いの?


いつもの通り、お気に入りの場所に座ってそのまま目を閉じる。それに僅かに笑った音がして、それからフェンスの軋む音。先輩の定位置みたいになっているフェンスにもたれた音。


僕の世界に、勝手に入ってくるみたいに。

それが日常になっていくのに時間はかからなかった。さして関心を示す訳でもないのに最初は話しかけられ続けた。それが多分2日。

「ねぇねぇいつも何聴いてんの?」

「古泉くんはここ好き?」

「学校で何が楽しいよ」

「ね、好きだよ」

「ほんっと、昼寝しそうなぐらいの天気だねぇ」

こんな内容をおよそ2時間。それが2日。


で、それから3日目、僕と距離を取りながら定位置と化していくフェンスにもたれて本を読んでいた。なんの本かなんて知らない。

けれど、何故かページをめくる音と、時折いつも持っているコーヒー牛乳がストローを通って行く音、それから先輩の息遣いはイヤホン越しにすら聞こえてきそうで怖かった。


不思議なのは、先輩は僕といる時は普段の高梨湧では無いということ。

普段のあの人は明るく人たらしと呼ばれる人気者。だけど、僕は初対面からそんな印象は持てなかったから。

その乖離がまるでノイズみたいで気持ちが悪かった。

ふと目を開ければ、目が合った。


ページをめくる音はしている、けれど確かにあのビー玉みたいな目と目があって


あの目は、ダメだ。


逸らそうとするとふとまた綺麗に笑ってページに視線を落として。それだけで無意識に入っていた体の力が抜けたような気がした。

なん、なのだろう。


僕が立ち上がろうとすれば先輩も立ち上がる。


「さ、帰りますか古泉くん。」


「…いつも勝手に着いてくるんじゃないですか、気持ち悪い」


そう言うと、少し驚きが空気の震えで伝わった気がした。振り返ることもなくそのまま歩きだそうとすると、喉を鳴らすような笑い声と共に声が、音が流れていく。


「大歓迎だよ古泉くん。ねぇ知ってる?君の嫌いの方が、俺にとっては他のどんなものより価値があるんだから。」


その音は、歪で


けれど、僕の知りたくない何かを乗せた2回目の音だった。

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