31話「海へ行こう」
期末考査の順位発表が終わった週末、咲斗達6人は、電車に揺られていた。メンバーはもちろん、アミューズメント施設で遊んだあの6人だ。
電車に乗り込んでから、もうすぐ一時間。
車窓の外にはビニールハウスが点在する田園風景が広がり、その先にぼんやりとした水平線がちらちらと見え隠れしている。
「なぁ、まだかなぁ……」
窓際の席で、柳田が額を窓にぺたりと押し当てた。
鼻息でガラスが白く曇るたびに、指で意味不明な落書きをしてはため息をつく。
だが、その目はまるで遠足に浮かれる子どものようにきらきらと輝いていた。
「もう少しで海が見えてくるってとこだな」
咲真が軽くスマホを確認しながら応える。
気だるげな声の奥には、どこか楽しみにしている雰囲気が滲んでいる。
「おっ、なんか潮の香りがしてきてねぇか?」
柳田が鼻をくんくんさせて言うと、柳田の隣に座る國木田がふっと吹き出した。
「気が早いね、柳田くん。窓、開いてないし、まだ目的の駅まで3つあるよ」
「いや、気持ちの問題なんだよ!潮風ってのは、心で感じるものなんだ!」
「なるほどねぇ」と苦笑しつつ、國木田はペットボトルの麦茶を一口飲んだ。
電車は海水浴場が近い観光路線。車内には同じような目的をもっていそうな客がちらほらといて、海水浴がそのままできそうな格好をしている親子や、浮き輪を抱えた中学生たちが見える。
「いやぁ、マジで楽しみだなぁ。な、八神、國木田」
「そうだな」
隣でわくわくとしている柳田を横目に、咲真は軽くあしらうように答える。
全く、朝からこの調子だ。
まぁ、今日の小旅行の目的は、「柳田、赤点回避記念・夏の先取り海水浴祭り」なので、気持ちは分からなくないが……。
柳田の「濡れてスッキリ!頭も心もリフレッシュしたい!」という謎理論に、咲真たちが乗っかる形で決まった日帰りの遊びだった。
「それにしても、今日は私たちまで誘ってくれてありがとうね♪ 柳田」
柳田のもう片方の横隣の席から、天音が軽く身を乗り出して声をかける。
首元のサマースカーフを整えながら、自然体の笑顔を見せた。
「そりゃ誘うでしょ?遊びはみんなで行きたいって期末のときにも言ったしな」
そうやって笑う柳田を見て、誰よりもホッとしているのは実は國木田だった。
(柳田くん。本当に良かった………)
苦手な分野に真剣に取り組む柳田の横顔を思い出しながら、そっと目を細める。
そんな中、隣に座る眞白が、咲真の耳元に顔を寄せた。
「楽しみですね、咲真さん」
囁くような声。
咲真は一瞬目を細める。
「あぁ。海なんて……もう、何年ぶりだろうな。思いっきり楽しもうぜ」
「はい!」
眞白ははちきれそうな笑顔で、勢いよく頷いた。
その笑顔に、咲真の胸が自然とふわりと温かくなった。
⭐︎
電車がホームに滑り込む音と同時に、ドアが開く。
肌を撫でる温かい風が、先ほどまでの車内の冷気をさらっていった。
陽射しはすっかり夏のそれで、ホームに降り立った瞬間、太陽の光が頭上から容赦なく降り注いだ。
潮の香りが確かに漂ってきて、遠くには白い波がきらきらと瞬いている。
「かーっ!!待ちくたびれたぜ!さぁ、海水浴に行こうぜぇぇ!!」
柳田が満面の笑みで叫び、両手を広げて意気揚々と前を歩き出す。
まるで少年のようなはしゃぎっぷりに、思わず周囲の旅行客がちらりと視線を送った。
「ちょ、ちょっと!待ってよ、柳田!!」
天音が慌ててスカートの裾を押さえながら、トートバッグを肩に揺らして追いかける。
その後ろ姿にはどこかあどけなさがあり、柳田の後を追いかける足取りも楽しげだった。
残されたメンバーは、ゆっくりと改札を抜ける。
「……僕たちも、行こうか?」
國木田が柔らかな笑みで振り返り、肩にかけたスポーツバッグを軽く持ち直してそう言った。
彼の視線の先には、藤宮雛の姿。
藤宮は少し眩しそうに目を細めながら、短く「………うん」と頷いた。
その声音には緊張よりも、どこか安心したような柔らかさが滲んでいた。
二人は自然と横に並び、静かに歩き出す。
國木田が少しだけ歩幅を合わせているのに気づいて、咲真は小さく笑みをこぼす。
そして、その隣には――眞白がいた。
麦わら帽子を手に持ち、陽射しを浴びた髪が金糸のように揺れている。
その頬に柔らかな笑みを浮かべたまま、目を細めて、前を行くふたりを見つめていた。
「……あのふたり、なんだかいい感じですね」
ふいに、眞白がぽつりと囁く。
「……ああ。國木田の気持ち、ちょっとは伝わるといいけどな」
「……藤宮さん、分かってますよ。ちゃんと、彼を見てます」
眞白の声には確信のような優しさが宿っていた。
そして咲真は、その言葉にこくりと頷く。
並んで歩く國木田と藤宮の影が、夏の白いアスファルトに重なって、揺れていた。
その少し後ろを、咲真と眞白が並んで歩く。
砂混じりの風が頬をかすめ、遠くから子どもたちの歓声がかすかに届く。
この日、この瞬間が、後に続く夏の記憶の中で――
きっと特別なものになることを、誰もがまだ知らないまま。
⭐︎
更衣室の扉が閉まる音がした直後、ジュースと山盛りのかき氷を両手に抱えた柳田が、海の家の前でどんと腰を下ろしていた。
目の前には波音。奥に広がるのは、白い砂浜と青い空。
「………泳ぐより先にそれかよ……」
後ろから出てきた咲真が、呆れ混じりに柳田の横顔を見やる。
「いいじゃねぇーかよ、八神。目に入ったら買うだろ?な?」
スプーンで氷を掬いながら満面の笑みを浮かべる柳田の言葉に、もうひとり――國木田がくすっと笑った。
「まぁ、いいじゃない八神くん。彼のためのイベントだし、好きにさせてやりなよ」
「そうだそうだ!!」
両手を上げて主張する柳田に、咲真は肩を竦めながら小さく笑った。
「いや、べつにいいんだけどさ……」
そんなやりとりの中、背後から涼やかな足音が響いた。
「おまたせしました〜!」
その声に、三人の視線が一斉に振り返る。
目に飛び込んできたのは、まるで雑誌のグラビアのような光景だった。
天音は真っ赤なビキニに白いパーカーを羽織り、髪をゆるくまとめている。
藤宮はシンプルで引き締まった黒のワンピース型。清楚さの中に秘めた艶やかさが、眩しく映る。
そして――
眞白は、ふわりと風を受けて、白のワンピース風水着を着ていた。
薄く透けるような肩の布地、腰まで流れる髪、そして素肌を撫でる陽射しが、その存在をまるで幻想のように際立たせていた。
「さいっこう!!全員似合ってるぜ!!」
柳田が歓声をあげて、天音の水着に親指を立てる。
「天音、その赤、映えてる!さすがって感じ!」
「やだぁ、ありがと♪でも視線がちょっと恥ずかしいな〜」
彼女が身につけていたのは、真紅のフリル付きビキニ。
肩から胸元にかけて控えめなフリルが波のようにあしらわれており、元気で明るい天音の雰囲気にぴったりのデザインだった。
柳田は目をきらきらと輝かせながら、拳をぎゅっと握る。
「恥ずかしがることなんてないさ!!自信持って!!」
「ありがとう♪」
褒め終えた柳田は、近くにあったゴミ箱に空になったかき氷とジュースを捨てる。
「柳田、もう食べ終えたのかよ………」
「たりめーだ!!さぁ、行こうぜぇ!!海はすぐそこだ!!」
そう言って、元気いっぱいに砂浜へ走り出す。
「ちょっと待ってよ、柳田ー!」と天音が追いかけるように駆けていく。
その背中を横目に、國木田は藤宮の姿を見た瞬間、思わず息をのんでいた。
普段は整った制服の着こなしと、冷静で落ち着いた物腰が印象的な少女。
その彼女が、今は黒のワンピース型の水着に身を包み、肩から胸元、そして素肌のラインを柔らかく陽光に照らされていた。
大胆すぎず、けれど自然に視線を引きつけてしまう。
その姿には、どこか近づきがたい凛とした美しさがあった。
「……っ」
胸の奥が、一瞬だけ音を立てた。國木田は、深呼吸をして気持ちを整える。
それでも、彼女に向き合うその瞬間、どこかぎこちない歩幅になってしまっているのが自分でもわかる。
咳ばらいを一つ。
そして、思いきって口を開いた。
「藤宮さん……」
國木田の瞳を捉える藤宮。
普段よりも、どこか不安げに揺れる瞳。それもそのはず。自分のことを他人にどう見られているか、気にならないわけがない。
國木田は、目線を逸らさず、真っ直ぐに言葉を届けた。
「その、水着……すごく似合ってるよ。黒色、すてきだね」
数秒の沈黙。
「……正直、目のやり場に困ってる」
言ってから、彼自身が照れくさくなったのか、視線をふと逸らす。
すると藤宮は、少しだけ肩をすくめて、口元にうっすらと微笑みを浮かべた。
「……そう言ってくれて……嬉しい」
その頬は、耳のあたりまでほんのりと赤く染まっている。
普段はクールな彼女が、少しだけ無防備な姿を見せる――その一瞬の柔らかさが、國木田の胸にふわりと温かな波紋を広げた。
目を伏せながらも、指先がぎゅっと水着の裾を握るようにしているのが見えた。
恥じらいのなかに、少しの安心と、確かな喜びが宿っている。
國木田は小さく息を吐いて、柔らかく笑んだ。
「……じゃあ、僕らも柳田くんたちのところに行こうか」
すこし足を前に出しながら、優しい声でそう告げる。
藤宮は無言で頷いた。けれど、その横顔はほんのわずかに緩んでいて、どこか嬉しさが隠しきれていないようだった。
「……八神くん、七瀬さんも早くね」
國木田は後ろの二人へ軽く声をかけてから、そっと藤宮と歩を並べる。
海風がやさしく吹き抜ける。潮の香りと、遠くで響く波の音。
空には、夏の陽射しが高く昇っている。
――そして、その場に残されたのは、咲真と眞白のふたりきり。
しばらく、言葉もなく、ただ静かに視線が交錯した。
さざ波のような沈黙が流れる中、ふと、眞白が小さく息を吸った。
「……その……咲真さん。どう……ですか?」
声はとても控えめで、かすかに震えていた。
けれど、その響きには、彼女なりの精一杯の勇気が込められていた。
純白のワンピース型の水着は、少女の繊細な輪郭をやさしくなぞり、日に透けるような肌の白さを際立たせている。
眞白は恥ずかしそうに両手を前で組みながら、視線を泳がせ、けれどちらりと咲真を見上げた。
頬は、まるで熟れた桃のように淡く色づいていた。
咲真は、なぜか息を呑んだ。
言葉が、出てこない。
(……とても綺麗だな………眞白……)
普段の服とはまた違った印象。
眞白は、ただ咲真の反応をじっと待っている。
(……はわわわ……咲真さんに……水着姿、見られてます……!)
心臓が飛び跳ねそうだった。
けれど、怖くても、照れても、逃げなかった。
大好きな咲真に――“今の自分”を見てほしかったから。
沈黙のまま、数秒。
咲真はようやく我に返ったかのように、そっと顔を手で覆った。
「……やべぇ……」
呟いた声は、かすれていた。
「めっちゃ似合ってるよ……直視できねぇ……」
そう言って顔を隠したまま、赤くなった耳を風に晒している。
その仕草があまりに誠実で――不器用で――
(……咲真さん……可愛いって思ってくれたのですか……?)
眞白の心が、ドクンと波打つ。
一瞬きょとんとしたあと、彼女は小さく微笑んだ。
それは、いつもの控えめな笑みではない。
ちょっと得意げで、どこか小悪魔じみた――けれど、咲真にしか見せない、特別な笑顔だった。
「……満足です。ふふっ」
そっと、彼の前に手を差し出す。白くて細い指先が、やさしく伸ばされる。
「じゃあ、行きますよ。咲真さん」
眩しさに目を細めながら、咲真はその手を取った。
彼女の掌は、少しひんやりとしていて――でも、その温もりは確かだった。
引かれるままに足を動かす。自然と、彼女の後ろを歩いていた。
「咲真さん」と呼ばれたときの音が、心の奥にやさしく響いている。
振り返った眞白の笑顔は、
太陽の光を受けて、まっすぐに――
そして、眩しく、可憐に、輝いていた。
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