12話「お掃除大作戦」

 日曜の朝。カーテンの隙間から差し込む光が、うっすらと部屋を照らしていた。


 彼のスマホに設定されていたアラームは、すでに五度目のスヌーズを経て、ようやく布団の中の咲真に勝利する。


「……んだよ、うるせぇな……」


 枕元を探るように手を伸ばし、画面を雑にスワイプしてアラームを止めた咲真は、まだ半分眠気の残る顔で、布団にくるまったまま天井を見つめる。


 自分の温もりがこもっていて、ひときわ気持ちがいい。朝の気温がそこまで高くないのまじ気持ちがいいポイントだ。


「日曜くらい、寝かせろよな……」


 そんな独り言をこぼしながら、もそもそと上体を起こす。乱れた寝癖のついた髪を片手でぐしゃぐしゃとかきあげ、口を開けて大きくあくびを一つ。


 スマホを確認すると、すでに11時を回っていた。


 どこかぼんやりしたまま、ベッドの縁に腰を下ろし、薄暗い部屋を見回す。薄手のカーテン越しに入ってくる陽の光が、室内の空気をほんの少しだけ温めている。


 いつもと変わらない、だらしないけど落ち着く空間。


 だけど──そのとき。


 ふと、昨日の記憶が脳裏に蘇った。


 「……あ」


 短く呟いた咲真の目が、一瞬で冴える。


 「……今日、七瀬が来るんだった」


 その瞬間、身体中に緊張が走った。


 寝ぼけていた頭が急速に現実に引き戻され、まるで警報でも鳴ったかのように、脳内が一気に騒がしくなる。


 がばっと跳ね起きて、咲真は部屋を見渡す。


 視界に飛び込んでくるのは、まごうことなき男子高校生の生活感だだ漏れの空間。


 洗濯かごのそばに崩れ落ちている洗濯前の衣類の山。机の上には食べかけのお菓子袋に飲みかけのペットボトル。使いかけの教科書と雑誌類、漫画がごっちゃに積み上がり、床には無造作に投げ出されたゲーム機器と衣類が広がっていた。


「……うわ、終わってやがる」


 自分でもそう思うほどの惨状だった。


「掃除を手伝ってもらうとはいえ、これは……人を呼べるレベルじゃねぇな」


 顔をしかめながら、とにかく手近な服から拾い始める。どれもこれも、すぐには洗濯に出せないようなぐちゃぐちゃな状態に、咲真はため息をつきつつ、軽く広げて洗濯カゴに放り込んだ。


 そして、今度は机の上へ。


「……お菓子は捨てて、ペットボトルは……とりあえず後回しだな」


 分別も適当なまま、とりあえずゴミ袋に押し込む。もう一袋、二袋と膨れていくゴミの山。

 

「これは燃えるのか??燃えないのか?分からんな。頼むから燃えてくれ……」


 そうぼやきながら、広告や新聞、よくわからないメモ用紙の類、謎の容器をまとめてゴミ袋に突っ込む。


 そのままの流れで、床にある漫画やラノベ、雑誌などを本棚に入れ込む。

 が、既に先客がいたようで、入れ込んだはずの一冊が手前から落ちてきて、「おっと」とあわてて拾い上げる。


 だが、部屋は全く綺麗になる気配すらない。


 時刻は、12時をすぎていた。


 眞白はお昼と言っていたが、何時に来るとは明言されていない。今すぐ訪問されてもおかしくない状況。これはまずいぞ。


 そう判断した咲真は、結局、どこに何を片づけたのか自分でも把握できないまま、最後の手段として押し入れの襖を開けた。


「……行ってこい、全部」


 そのまま、畳むのを諦めた洗濯済み服の山と色々な雑貨類を力任せに押し込んで、バタンと戸を閉めた。


 「よし……見えなきゃセーフだろ」


 肩で息をしながら部屋を見回すと、一応、所々床は見えるようになっていた。机の上も前に比べれば量も減ったし、ソファーのクッションも整えた。

 見栄えだけなら――なんとか最低限の状態にはできただろう。

 まぁ、ゴミ袋は部屋の端にまとめてあるけど。


(まぁ、前来た時に汚部屋はみられているんだけど……)


 心の中で呟きながら、それでも、寝癖を直すために洗面所へ向かう自分がいた。


(……これで、少しは掃除が楽になるだろう)


 鏡の中の自分に言い聞かせるようにぼやいて、咲真は手櫛で髪を整える。


 そのとき、ふいにインターフォンの電子音が鳴った。


 午後1時を少し回った頃だった。


「……来たか」


 思わず背筋が伸びた。掃除(結局、押し入れに詰め込むだけ)という名の格闘の成果が、今まさに試される瞬間だった。


 心の準備を整えてドアの前へ。ゆっくりとノブをひねり、扉を開けると――そこに立っていたのは、落ち着いた雰囲気の私服姿の眞白だった。

 

「こんにちは、八神さん」


 黒い半袖Tシャツの上にカーキ色のエプロンを纏っていた。そのエプロンは胸元から膝上あたりまでを覆い、やや厚手の生地でしっかりとした作り。サイドには小さなポケットが二つ。


 下は、濃紺のスキニーデニム。足元には、運動性の高そうな紫色のスニーカー。赤と黒のライン入りソックスがちらりと覗く。


 全体的に色味は落ち着いていて、派手さはない。けれど、清潔感と誠実さがにじみ出ているような雰囲気。


 その手にはエコバッグが二つ握られている。


 ――まるで、掃除に臨む決意をそのまま服装にしたような姿だった。


 咲真はそんな彼女を見て、思わず口元を引きつらせた。


 「……マジで、やる気満々だな」


 呆れとも感心ともつかない声でそう呟く咲真を見て、眞白はわずかに首を傾げる。


「当然です。お礼と言ったからには、ちゃんとやり切りますから」


「……いや、そこまで気合い入れられると、逆に恐縮するんだけど」


 それでも、彼女の真剣な眼差しに負けて、咲真はドアをゆっくりと開いた。


「ま、とりあえず入ってくれ。――汚いけど、あんまり引くなよ」


「大丈夫です。前にも見ましたし、覚悟はできてますから」


 まるで戦場に赴く兵士のような顔で、眞白が一歩、室内に足を踏み入れる。


 以前、彼女がここに来たのはほんの短い時間で、成り行きで夕食を作ってもらったという状況だった。


 だからこそ、こうしてきちんと訪ねてくるのは、今日が“初めて”と言ってもいい。


 そっと靴を脱ぎながら、眞白はあたりを見回す。


 一度見たはずの空間なのに、目の奥に映る景色はどこか新鮮で──それが、妙にくすぐったく感じられた。


「……お邪魔します」


 丁寧な口調で一礼したあと、彼女は静かに歩を進める。


 その所作の一つ一つに、咲真はどこか落ち着かない気分になる。何も変わっていない自分の部屋なのに、そこに眞白がいるだけで、空気が少し違って感じられた。


「……奥までいいぞ」


 咲真がそう言いつつ手で奥の方をさすと、眞白は数歩進んだところで立ち止まり、改めて部屋の中をゆっくりと見渡した。


「……前に来たときと、少しは印象が違いますね。床が所々見える程度には掃除されたみたいで……」


「少しな。掃除してみた」


「そうですか」


 思わずそう答えながら、咲真は苦笑いを浮かべる。

 押し入れの中に詰め込んだ“現実”には触れずに──。


「では、始めましょうか」


 眞白がそう告げた瞬間から、咲真の部屋は“戦場”と化した。


 まず彼女が片方のエコバッグから取り出したのは、透明なゴミ袋を三枚。床の上で広げて一つずつ分類していく。


「こちらが可燃ごみ、こっちがプラスチック、そしてこれが紙類です。八神さんが適当に入れたゴミ袋から出して、分けてください。まとめて出すと収集日に迷惑になりますから」


「……マジかよ、そんな細けぇの?」


「細かいのではなく、常識です。ほら、そこの飲みかけのペットボトルをこちらに持ってきてください。ちゃんと洗ってからこの袋に入れますので。必ず、収集日に出してください」


「洗うの!?」


「当たり前です。そのままだとリサイクルにしくいし、何より虫が湧きますので」


 眞白はそう言いながら、流しに向かい、使い捨てのゴム手袋をさっとはめる。ペットボトルを軽くすすぎ、水を切り、まるで長年のルーティンかのような無駄のない手つきでゴミ袋に入れていく。


 一方の咲真は、口を半開きにしながら指示に従い、言われた通りにゴミ袋の中から、ゴミを分け始める。


 その作業が済むと、次は机の上からプリントや漫画、レシートに混じった未開封の手紙などを引っ張り出しては眞白の判断を仰いでいた。


「これは……学校の提出物ですよね?」


「え、あー、たぶん……そう、かも?」


「“かも”で分類できるなら苦労しません。提出期限が過ぎていても、必ず先生に出しましょうね」


「ご、ごもっともです……」


 眞白は、仕分けしたプリント類を丁寧にクリアファイル(持参)に収めていく。部屋の隅に山のように積まれていた教科書とノートは、科目ごとに分けられ、床の上に重ねる形で並べられていった。


 そして、靴下やタオル、広げきれていない服が詰め込まれた洗濯カゴを発見した、眞白は洗濯機の前で咲真に向き直り、静かに問いかける。


「白いものと色物、分けてありますか?」


「え、いや……俺、ぜんぶまとめて突っ込む派なんだけど……」


「それは派ではなく怠慢です。色移りしても知りませんよ?」


「ですよね……はい、次から分けます……」


 反省する咲真の横で、眞白は、ぱぱっと衣類を仕分けてして洗濯機へ入れていく。


 学校のカッターシャツは裏返しにして丁寧にたたんでから、ネットに入れて洗濯機へ。眞白は洗剤、柔軟剤の量までしっかり確認して、静かにスイッチを押した。


「洗剤や柔軟剤は思ってたよりちゃんとしたの使ってるんですね」


「そこは親父のこだわり品をもらってきたんだ……って、なんでちょっとだけ感心してんの?」


「ごめんなさい。でも、良いものを選ばれているあたり……お父様はきっちりとされている方ですね」


「あー、そうかも。たぶんいいものもらっただけで満足してしまった記憶あるわ。それで俺の生活力が鍛えられなかったのか……」


 ぼやく咲真の横で、眞白はすでにトイレとバスルームへと向かっていた。洗面台のぬめり、浴槽の水垢、床の汚れにまで目を光らせる。


「八神さん、トイレブラシって……ここですね」


「う、うん……使った記憶、あんまないけど」


「でしょうね。見ればわかります」


 ガサリ、と掃除用の洗剤を取り出すと、手早く便器の内側に泡を行き渡らせ、くるくるとブラシを動かす。


 その手つきが妙に慣れていて、咲真は思わずぽつりと漏らす。


「……マジでプロなんじゃね?」


「家庭の教育です。母が厳しかったので」


「七瀬のお母さん、すごいな……」


 そんな会話をしながら、部屋はみるみるうちに形を取り戻していく。


 床には本来の色が戻り、空気はほこりの匂いから柔らかな洗剤の香りへと変わっていた。陽射しが差し込むバルコニーには、洗濯を終えた衣服がゆらゆらと揺れている。


 咲真は、手に持っていた古い雑誌をゴミ袋に詰め終えたあと、ふぅと一息ついた。


「……俺の部屋、こんなに広かったっけ?」


 その言葉に、バルコニーから洗濯物を干し終えて戻ってきた眞白が手を洗いながら、少しだけ口元を緩める。


「汚れていただけです」


 まるで当然のように。


 けれどその言葉には、ちょっとだけ誇らしげな響きがあった。


 咲真はそんな彼女の横顔を見つめながら、曖昧に笑う。


 部屋は、見違えるほど綺麗になっていた。床には何も落ちていないし、机の上も整頓され、ソファーの周囲すら余白がある。


「そういえば、なんですけど」


 眞白がふと口を開いた。


「はい?」


「この部屋、最初来たときは……もっとひどかったですよね」


「うっ……」


 咲真の肩が、ほんの少しだけぴくりと跳ねる。


「なのに今朝は、床が所々見えるくらいにはなっていました。それって……」


 ちらり、と眞白の視線が一点に向く。


 ──押し入れ。


 咲真は、とっさに目をそらした。


「あー……いや、それは……まぁ……」


「……なるほど」


 眞白は無言のまま、一歩押し入れへと近づく。咲真は慌てて手を伸ばすが、彼女の動きは一瞬早かった。


「ちょ、やめ──」


 引き戸が、軽やかな音を立てて開いた。


 その中には、見事なまでに詰め込まれた服と雑貨が、ひとつの空間に凝縮されていた。それはもちろん、床が所々見えるようになった分が全て。


 まるで、整理整頓の墓場。


 眞白は、数秒間だけ押し黙って中を眺めたあと、ゆっくりと振り返った。


「“見えなければOK”方式ですか?」


「……うぐ……」


「では、最後にここを片づけましょう」


 有無を言わせぬ口調だった。


「え、今から……?」


「今からしかありません」


 淡々と言い放ち、眞白はまた手を動かし始めた。


 咲真は頭を抱えながらも、押し入れの荷物を一つずつ引っ張り出していく。


 箱の中からは、数年前のプリントや、何本も空になったペン、使用済みの付箋、そしてどこかのタイミングで消えたはずの片方のイヤホンまで出てきた。


「八神さん。これは?」


「……4月くらいのプリントだ。捨てていい」


「了解しました」


 まるで役所の窓口のように淡々と応じる眞白。


「これ、何ですか?」


「……あ、それは、さすがに捨てないで……」


 懐かしいゲームの攻略本だけは、そっと彼の手元に戻された。


 押し入れの奥の奥まで手を入れ、冬用布団やら段ボールをきれいに畳み直して収納し直す頃には、もはや“墓場”ではなく、きちんとした収納スペースへと生まれ変わっていた。


 咲真は、呆然とした顔でその光景を見つめる。


「……すげぇな、七瀬」


「お母さん仕込みですから」


 にこりと笑った眞白の手は、すでに次の作業に移ろうとしていた。





♦︎♢


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