死神少女は恋をしない

ソコニ

第1話 新しい制服と、数字のない少年



春の朝日が、真新しい制服を照らしていた。


神園ルナは校門の前で立ち止まり、深く息を吸った。転校初日。新しい学校、新しいクラス、新しい――嘘。


胸の奥で、冷たい何かが脈打つ。死神の血。それは祝福でも呪いでもなく、ただ、彼女を人から遠ざけるもの。


「今度こそ、誰とも関わらない」


小さくつぶやいて、ルナは一歩を踏み出した。


教室のドアを開けた瞬間、世界が赤く染まった。


『15,842』

『8,395』

『23,901』


生徒たちの頭上に浮かぶ赤い数字。残された日数。死までのカウントダウン。ルナは俯いた。見たくない。知りたくない。でも、見えてしまう。


「転校生の神園ルナさんです」


担任の声が遠い。クラスメイトたちの視線が痛い。ルナは機械的に頭を下げた。


「神園ルナです。よろしくお願いします」


声は震えていなかった。練習通りだ。感情を殺して、ただの音として言葉を発する。それが、死神の血を引く者の生き方。


「じゃあ、席は――」


担任が席を指差した時、ルナの視界に異変が起きた。


窓際の席。そこに座る男子生徒。栗色の髪、少し眠そうな目。そして――


数字がない。


ルナは息を呑んだ。頭上に何もない。赤い数字が、存在しない。


ありえない。


十六年間、一度もなかった。赤ん坊から老人まで、誰の頭にも数字は浮かんでいた。それなのに――


「おい、大丈夫?」


声がした。数字のない少年が、こちらを見ていた。


「顔色悪いぞ。保健室行く?」


屈託のない笑顔。人懐っこい声。ルナは首を横に振った。


「いえ、大丈夫です」


「そっか。俺、天野レン。よろしくな」


レン。天野レン。


ルナは小さく頷いて、指定された席に向かった。レンの二つ後ろの席。振り返れば、彼の姿が見える距離。


授業が始まっても、ルナの意識はレンに向いていた。


なぜ数字が見えない?

死神の力が効かない?

それとも――


「神園さん」


担任の声で我に返った。


「自己紹介、もう少し詳しくお願いできる?」


クラスメイトたちの期待に満ちた視線。ルナは立ち上がった。


「前の学校は県外で――」


当たり障りのない情報を並べる。趣味は読書。特技はない。休日は家で過ごす。全部、本当だけど、全部、嘘。


本当は、人の死が見える。

本当は、死神の血が流れている。

本当は、誰とも仲良くなれない。


「へぇ、読書好きなんだ」


また、レンの声。


「今度、おすすめの本教えてよ」


ルナは頷いた。返事をしてしまった。いけない。関わってはいけない。でも――


数字が見えない人と話すのは、初めてだった。


休み時間になると、女子たちが集まってきた。


「ルナちゃんって呼んでいい?」

「前の学校はどんなところ?」

「彼氏とかいた?」


質問の嵐。ルナは曖昧に微笑んで、適当に答えた。心ここにあらず。視線は自然とレンを追っていた。


レンは友達と話していた。よく笑う。声が大きい。そして――


「ルナちゃん、もしかしてレンのこと気になる?」


一人の女子生徒の言葉に、ルナは慌てた。


「いえ、そんなことは」


「レンね、モテるんだよ。でも彼女作らないの」


「なんでか知らないけどさ」


女子たちの噂話が続く。ルナは適当に相槌を打ちながら、レンを見た。


普通の男子高校生。

特別なところは何もない。

ただ、数字が見えないだけ。


それだけで、こんなにも気になってしまう。


昼休み。ルナは一人で屋上への階段を上った。人のいない場所で、一人で食事をする。それが日課。


屋上のドアを開けると、そこに先客がいた。


レンだった。


「あ、神園さん」


レンは手を振った。


「ここ、いいよな。静かで」


ルナは立ち尽くした。他の場所に行くべきだ。関わるべきじゃない。でも――


「一緒に食べる?」


レンの誘い。断るべきだ。でも、口から出た言葉は違った。


「はい」


なぜ頷いてしまったのか。ルナは自分でも分からなかった。ただ、数字の見えない人と一緒にいることが、不思議と怖くなかった。


レンの隣に座る。フェンス越しに見える空は青く、春の風が頬を撫でた。


「転校初日って緊張するよな」


レンが話しかけてくる。


「俺も転校経験あるから分かるよ」


「そうなんですか」


「うん。中学の時。最初は友達できるか不安だった」


レンは屈託なく笑った。


「でも、案外なんとかなるもんだよ」


ルナは弁当を開いた。祖母が作ってくれた、いつもと同じお弁当。でも、誰かと一緒に食べるのは、いつぶりだろう。


「神園さんって、いつも一人?」


レンの質問に、ルナは手を止めた。


「はい」


「なんで?」


なんで、と聞かれても。

人の死が見えるから。

近づけば近づくほど、その人の最期が分かってしまうから。

死神の血が、人との繋がりを拒むから。


「人と一緒にいるのが、苦手なんです」


嘘ではない。でも、本当の理由ではない。


「でも、今一緒にいるじゃん」


レンの言葉に、ルナは顔を上げた。


確かに、一緒にいる。

数字の見えない少年と。


「不思議ですね」


思わず、本音が漏れた。


「何が?」


「あなたといると、普通でいられる気がします」


レンは首を傾げた。


「普通って?」


ルナは慌てて首を振った。


「いえ、なんでもないです」


でも、レンは笑った。


「まあいいや。これからも一緒に昼飯食べようぜ」


だめだ。

関わってはいけない。

でも――


「はい」


また、頷いてしまった。


午後の授業。ルナは窓の外を見ていた。


レンとの昼食。

たったそれだけのことなのに、心がざわつく。

温かいような、苦しいような、不思議な感覚。


これは、いけないことだ。


死神の掟。人と深く関わってはならない。

祖母の教え。感情を持ってはならない。


でも――


「おい、また顔色悪いぞ」


振り返ると、レンが心配そうにこちらを見ていた。


「保健室行った方がいいんじゃない?」


「大丈夫です」


「無理すんなよ」


レンの優しさが、胸に刺さる。


なぜ、あなたには数字が見えないの?

なぜ、あなたは普通に接してくれるの?

なぜ――


放課後。ルナは急いで教室を出ようとした。これ以上、レンと関わるわけにはいかない。


「神園さん」


呼び止められた。レンだった。


「明日も屋上で昼飯な」


「でも――」


「約束」


レンは笑って、手を振った。


「じゃあな」


ルナは立ち尽くした。


約束。

普通の高校生がする、普通の約束。

でも、死神の血を引く者には、許されない約束。


家に帰ると、祖母が待っていた。


「どうだった、新しい学校は」


「問題ありません」


ルナは嘘をついた。


大問題だった。

数字の見えない少年。

断れなかった昼食の誘い。

明日の約束。


「そう。それならいいけど」


祖母の鋭い眼差し。死神の長老の一人。すべてを見透かしているような目。


「ルナ、忘れないで。私たちは――」


「人と深く関わってはいけない。知っています」


ルナは自室に向かった。


ベッドに倒れ込む。天井を見上げる。


天野レン。

数字の見えない少年。

普通に笑う少年。


なぜ、数字が見えないのか。

なぜ、断れなかったのか。

なぜ――


胸が、痛い。


これは、なんという感情だろう。

死神には、許されない感情。


窓の外。春の月が昇っていた。


明日も、レンに会える。

いけないことだと分かっているのに、その事実が、ルナの心を温かくした。


死神の血が、警告を発している。

関わるな。

離れろ。

これ以上、近づくな。


でも――


「明日も、屋上で」


小さくつぶやいた言葉は、春の夜風に溶けていった。


転校初日。

それは、死神の少女にとって、運命の歯車が動き出した日だった。


数字の見えない少年との出会い。

それは、始まりに過ぎなかった。

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