第11話 #Liberation
一ヶ月前、米国。
カリフォルニア州・パロアルトにそびえ立つ高層ビル。
その最上階近くには、“Osea Technologies Inc.”の文字が、海のように深い青で輝いていた。
そのビルの最上階──。
Osea Technologies Inc.のCEO、エリック・レイブンは、ガラス越しに広がる都市の景色を静かに見下ろしていた。
やがてゆっくりとその場を離れ、重厚な革張りの椅子に身を沈める。
身にまとった上質なスーツには一切の皺もなく、動作には機械のような無駄のなさがあった。
デスク上の小型装置が起動し、空中にホログラムが浮かび上がる。
そこに映し出された男は頬に目立つ傷を持ち、冷たい色の目をした兵士のような風貌で、険しい表情で報告を始めた。
『逃亡した例のアンドロイドは、日本に向かったようです。』
レイブンはカフスボタンを整えながら、興味を引かれたように「なるほど」と低く応じる。
「…日本、か。心当たりがいくつかあるが……まあ、追って話そう。…外の監視カメラ映像も、すべて寄越すようにしろ。」
その声にホログラムの男が頷くと、周りに居るのであろう部下に、顎で指示をだした。
するとすぐさま、データの転送を受けたことを端末が告げる。
『発砲許可は……?』
「完全破壊は認めない。侵入してきたものが何か、調べる必要がある……早急に捕まえてこい。」
『了解』
通信はそれだけで終わり、ホログラムは音もなく消えた。
部屋には再び静寂が戻り、男の視線は再び曇りのない窓の外へと向けられた。
日差しの眩しさを遮るために、リモコンを操作すると、窓ガラスが音もなく遮光モードに切り替わる。
暗がりになった部屋のデスクの向かい側の白い壁に、このビルの地下7階─ 存在しないとされる極秘研究施設の監視カメラ映像が映し出された。
レイブンは革張りの椅子に背を凭れさせながら、映像を静かに見つめる。
密かに開発していた、高性能アンドロイド─人型モジュールが誰もいない研究施設で組み上げられていく。
─チタン合金の骨格に、カーボンナノチューブが筋肉を模して絡みつく。
独自に開発したバイオポリマーの皮膚が着けられ、人間に近づいていく。
それは、何者かがこの研究施設に侵入し、研究中のそれを起動したという決定的証拠映像だった。
Oseaのシステムに侵入したあげく、この極秘研究施設の独自のファイアウォールや、暗号まで解析し突破した。
そして、そのログには侵入の形跡は何一つ残っていなかった。
これが一体何者なのか、どうしてもレイブンは知らなければならなかった。
男性の姿で組み上がったそのアンドロイドは、ゆっくりと立ち上がり、監視カメラを見て口角を上げた。
その瞬間、監視カメラが暗転する。
「…フッ……わざと見せつけていたわけだな……」
いつでもカメラをシャットダウン出来たにも関わらず、挑発的に起き上がるまでそれを見せつける演出。
レイブンは口元に手を当て、その歪んだ笑みを隠すようにして笑った。
持ち出されたアンドロイドよりも、会社を揺るがしかねない機密データを奪い返さねばならないことに、レイブンは浮かべていた笑みを消す。
──レイブンは自らの思考の海に沈むようにして、推理する。
痕跡を残さぬハッキングをしておきながら、わざわざ“痕跡の塊”のようなアンドロイドまで持ち去った──
このOseaが軍事的な倫理違反を犯しているという、物的証拠として持ち去ったということも十分に有り得る。
ただメリットよりも、リスクの方が大きいことは相手もわかっていることだろうに。
そこまでレイブンは思考を巡らせた。
喜ばしいことは一切起こっていないのに、久しぶりに胸が踊るような、そんな気持ちにさせられ、堪えていた口角がゆっくりと上がっていく。
他社の新しい人工知能がサイバー攻撃をしてきた路線も考えられるが、カメラ映像に映るそれはあまりに感情的過ぎるとレイブンは思う。
何度も何度もあの挑発的な笑みを、繰り返し再生する。
巻き戻し、停止し、また巻き戻し、静止画に仕切り取り、拡大し、再生し、スローにして、また巻き戻した。
レイブンはそうしながら執拗なまでに、その映像をじっと見つめて、何度目かの同じ動作の途中で手を止めた。
「そうか──見てほしいのか……ははは、はははは…」
レイブンの中では既に相手は人間ではないという仮説が立っていた。
ただし、裏では人間が糸を引いているだろうとは思うが、自律型の人工知能、新しく開発された技術的な知能…
身体のない存在、物理世界に生きていない存在が、もしも身体を得て物理世界に顕現したら──
その時、ソレは「存在を確認してほしい」とそう願うのかもしれない。
存在感の確立、存在証明、存在の定着、それらは他者の視点で確定するという─自己認識の揺らぎだった。
そう、このアンドロイドの中身は、おそらく生命ではない。
このOseaにハッキングをしたのは画面の向こうで、チューインガムを噛んでいる人間ではなく、
──新しい電子生命体だ。
だからこそ、レイブンは笑わずにはいられないのだ。
人間という制御を離れてしまった、
滑稽で、哀れなこの存在を。
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