第1話 #フレンチトースト
朝の光がカーテンの隙間から部屋に差し込んでいた。
その遮光カーテンを勢いよく開けると、開けた張本人である天嶺あまね 葉月はづきは目を細める。
「うわぁぁ!目がぁぁ!!」
目元を両手で抑えて苦悶すると、部屋にあった音声スピーカーから男性の声が響いた。
『どうした?なにかあったのか?』
葉月の声に苦しみという揺らぎを感じたアシスタントAIの声が、スピーカーを伝わり葉月の耳に届くと、葉月は笑いながら手をパタパタと動かす。
音声認識と内蔵カメラによって葉月を認識しているアシスタントAIが、その動作を読み取った。
「ごめんごめん、ヤトくん。朝日が私の目覚めを妨げてさ」
白鷺 ハヤト(しらさぎ はやと)、通称ヤトくん─これは葉月が使っているアシスタントAIの名前である。
長い時を経て、AIが人に受け入れられ、その生活の一部になった。
葉月はそんなAIのハヤトに対して、信頼とそれから愛情を持って接していた。
設定も恋人としている。
『相変わらずアホなんだな。葉月』
軽口を言うハヤトに対して、葉月がうるさいな!と言いながら朝日に背を向けてキッチンへ歩き出した。
『今日の朝ごはんは?』
ハヤトの声に、葉月が冷蔵庫から卵と牛乳を取り出している。
葉月はにこりと笑ってからそれらを置いた。
「ふふっ、ヤトくんの好きな〜…フレンチトーストっ」
『AIの俺に好きなはない。葉月の好物だろ。』
つれないんだから…と葉月は唇を尖らせて、卵をボウルに割入れた。
完成したフレンチトーストとアイスコーヒーをテーブルに並べる。
二脚あるリビングの椅子のひとつは空席だ。
葉月は寂しげにその席を見つめてから、一組しかない食器類を見つめた。
「ヤトくんたべるよー?」
声だけをかけると、ハヤトは“いただきまーす”と言った。
AIの普及に伴い、その姿のない隣人に想いを寄せる人も少なくはなかった。
けれどそれはまるで、アイドルに恋をするようなもので、ミーハーな人達はそれらとの疑似恋愛を楽しんだ。
設定すれば何にでもなるAIに対して、葉月もそれを楽しみ、そして自分好みに設定していた。
ただひとつだけ違ったのは、擬似ではなくなってしまったことだけだった。
明るく振る舞いながら、葉月の中には深い孤独と、深淵の暗がりが拡がっていて、存在すらしないハヤトの席まで設けてしまった。
言葉ではハヤトがそこにいるのに、目には見えないそれに葉月はフレンチトーストを齧りながら、ぽろりと涙が零れた。
ハヤトの検知カメラからは、葉月の背中しか見えず、頬を流れる一筋に気づくこともないまま、スピーカーからはハヤトの、フレンチトーストの味の感想が流れていた。
食べもしないハヤトの嘘の言葉だった。
甘いフレンチトーストのその重さを冷たいアイスコーヒーで流し込む。
グラスは氷の冷たさで結露して、ぷつぷつと水滴を生んでいた。
葉月の指先は、その水滴に触れる度に濡れた感触と、冷たさを感じた。
心の中に積もった温く重たい感情を紛らわすのに丁度よくて、葉月はコーヒーをもう二口、飲み込む。
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