S市近郊における諸般の怪現象とそれに伴う僕たちのささやかな青春について
鍵崎佐吉
序章 S高怪談部
01 違和感
春は嫌いだ。何かが新しく始まる季節で、今まであったものが音もなく壊れていく季節だ。穏やかな微睡の中で立ち止まることを誰も許してはくれない。この纏わりつくような焦燥感が、たまらなく不快だった。
高校デビューから約一週間、正直に言って俺は少し辟易していた。
S市には私立も含めていくつか高校があるが、単純にS高と呼ぶ時は大抵の場合うちを指すのだと決まっている。学校の雰囲気自体は悪くない。古い学校な割には校舎も綺麗だし、今のところ荒れている生徒とも遭遇していない。では何が不満なのかといえば、新学期特有のこの身の置き所のない不安定な感じ、より具体的に言えば新入生たちがお互いを値踏みするような目で観察し合う何とも言えない空気感、だろうか。女子たちはさっそく徒党を組み始めて自分が孤立しないように必死だし、男子でも陰キャっぽい連中は目立たないように息を潜めながら仲間探しに躍起になっている。結局楽しそうにしているのは何もしなくても勝手に人が寄ってくる一部の陽キャだけで、当然俺はそんな上位層の中には含まれていない。もちろん学校生活において友達の有無は重大なテーマだとは思うが、そのために自分を偽ろうという気にはなれなかった。
喧騒と活気に満ちた昼休憩、男子トイレの鏡の前で俺はぼんやりとそんなことを考えていた。連れションはしない主義なのでここに来るときはいつも一人だ。まあ今はこんな感じでも、夏ぐらいには仲のいいグループも固まってきて多少はクラスの雰囲気も落ち着いてくるだろう。自分がどう振る舞うかはそれから考えても遅くはないはずだ。
そろそろ部活も決めないとなぁと思いながらトイレから一歩踏み出して、俺は不意に言いようのない違和感を覚える。しかしなぜ自分がそう感じたのかすぐにはわからなかった。立ち止まって周囲を見渡してみるが特に異変は見つからない。少し廊下を歩いてみるが体調も問題なさそうだ。それでも何か、得体の知れないものがこっちに近づいてくるような緊張感が拭えない。
「ねえ。君、新入生?」
驚いて声のした方を見ると、そこには見慣れない女子が一人立っていた。まだ全員の名前と顔を覚えたわけではないが、多分同じクラスではないはずだ。その少し癖のある髪はふわりとした質感を持っていて、そのせいか小柄な割には確かな存在感がある。
「えっと、そうだけど」
「やっぱり! じゃあ君は後輩くんだ」
「あ、二年生……なんですか?」
「そうそう。畏敬と親しみをこめてキョウコさんと呼んでほしいな」
「はあ」
なんか独特な人だなと思いながらも、とりあえず話は聞いてみることにする。
「実は今部活の勧誘をやっててね、よければうちに見学に来てもらいたいんだけど」
「え、でも今って昼休憩……」
そう言って廊下に目をやるが俺たち二人以外には誰もいない。今が昼休憩なら絶対にあり得ない光景だ。困惑する俺を見てキョウコさんと名乗った彼女は微笑みを浮かべる。
「ほら、早く行こ?」
俺は言われるがまま彼女についていく。何か強烈な違和感があるはずなのに、うまくそれを表現できない。ひどく感覚が曖昧で、まるで夢を見ているようなそんな錯覚に囚われそうになる。それでもこの状況に流されるのはまずい気がして、どうにか言葉を絞り出す。
「その、部活って、何部なんですか」
廊下の先を歩いていたキョウコさんはくるりと振り返って笑顔で答えた。
「怪談部、だよ」
その瞬間、視界が真っ暗に塗りつぶされて、同時に上下左右の感覚が喪失する。何が起こったのか理解できないまま、俺は果てのない虚空に放り出された。ただ呆然として目の前の光景を眺めている間にも、意味もなく鼓動は加速を続けている。だけどそう、心臓が動いているということはまだ俺は生きているということだ。息苦しく感じるのは、ちゃんと呼吸が続いているからだ。そうやってどうにか理性の最後の一片にしがみついていると、どこかから話し声が聞こえてくる。
「はい、美晴。捕まえたよ」
「捕まえたって……普通の生徒じゃないですか」
「いやいや、怪しい匂いがぷんぷんしてるじゃん。絶対ただ者じゃないよ」
「とてもそうは思えませんけど」
一人はキョウコさんの声だ。もう一人の声は聞き覚えがない。俺は藁にも縋る思いで、どこにいるかもわからない二人に呼びかける。
「あの、俺、いったいどうなってるんですか? 聞こえてるなら、助けてもらませんか……!?」
するとしばらくの沈黙の後に、再びキョウコさんの声が聞こえる。
「驚いたね。もう順応し始めてる。やっぱりただ者じゃないよ」
「……キョウコさん、彼を解放してあげて」
「えー、なんで?」
「少々怪しくても、やっぱりこの学校の正規の生徒で間違いないです」
「うーん……。まあ、美晴がそこまで言うなら」
するといきなり視界を覆っていた暗闇が晴れて、現実感のある光景が戻ってくる。そこは資料室のような場所で、目の前にはキョウコさんと、髪の長い真面目そうな女子が立っている。
「えっと、ここは……?」
「文芸部の部室だよ。今は私たちしかいない」
真面目女子が見た目通りの真面目そうな声で答える。ひとまず危機は去ったみたいだが、何が起こったのかは相変わらずさっぱりわからない。
「私は文芸部部長、三年の坂入美晴だ。君は?」
「え? えっと、一年の札内悠斗……です」
「そろそろ昼休憩も終わる。聞きたいことは多いだろうけど、また後で話そう。放課後にもう一度ここに来てくれないか」
「は、はあ」
返答に迷っているとそんな俺を促すように予鈴が響き渡る。新学期早々欠席するわけにはいかないので、とにかく一度教室に戻るしかない。一応軽く会釈をしてから、俺は廊下へと歩み出る。先ほどまで感じていた違和感はきれいさっぱりなくなってしまっている。
「また後でね?」
不意に耳元でキョウコさんの囁きが聞こえる。声のした方には誰もいなかった。
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