魔法図書館の密室殺人
ようさん
第1話
朝の市場は活気に満ちていた。野菜や果物の香り、商人たちの威勢のいい声。王都の日常風景だ。
「泥棒!誰か捕まえて!」
八百屋の主人が叫んでいる。私、エリカ・クロスは朝食のパンを買いに来ただけだったが、職業柄、放っておけなかった。
「何があったんですか?」
「トマトを盗まれた!さっきまでここにいた男の子だ!」
私は「真実視」を発動させた。金色の光が瞳に宿り、残留した魔力の痕跡が見える。
小さな足跡、こぼれたトマトの汁、そして──
「あそこです」私は路地裏を指差した。「でも、追いかけないでください」
「なんで?」
路地裏を覗くと、痩せた男の子が、もっと小さな妹にトマトを食べさせていた。
「三日も食べてないみたい......」妹が弱々しく言った。
私は財布を取り出し、八百屋に代金を支払った。それから、パンを二つ買って路地裏に置いた。
「真実視があっても、すべての真実を暴くべきじゃない」私は八百屋に言った。「時には、見なかったふりも必要です」
これが私の日常。真実を見る力を持つ、王都でただ一人の特級犯罪捜査官。
でも、この小さな一件が、後の大事件への伏線だったとは、この時は知る由もなかった。
*
魔法省への出勤途中、同僚のジェイクが話しかけてきた。
「エリカ、また寄り道して遅刻か?」
「5分前には着きます」
「お前の『真実視』があれば、どんな事件も一発解決なのにな」ジェイクは羨ましそうに言った。
「そうでもないですよ」私は苦笑した。「真実が見えても、人の心まではわからない」
「心?」
「なぜ罪を犯したか、何を考えているか。それは能力では見えません」
ジェイクは肩をすくめた。「でも、犯人が分かれば十分だろ?」
本当にそうだろうか。私は最近、そのことに疑問を感じ始めていた。
魔法省の自分の机に着くと、一通の手紙が置かれていた。
『エリカ・クロス様 あなたに解いてほしい謎があります 王立魔法図書館にて M.S』
M.S?心当たりはなかった。
でも、何か胸騒ぎがした。これは、ただの依頼ではない気がする。
*
王立魔法図書館。300年の歴史を持つ、王国最大の知識の宝庫。
私は以前、本の盗難事件でここを訪れたことがあった。
「エリカさん!」
エントランスで待っていたのは、助手司書のミラ・シルバーだった。栗色の髪を後ろで束ね、丸い眼鏡をかけた、人懐っこい笑顔の女性だ。
「お久しぶりです、ミラさん。手紙をくれたのはあなた?」
「はい。実は......ご相談があって」ミラは周りを見回し、声を潜めた。「最近、図書館で奇妙なことが起きているんです」
彼女に案内されて館内を歩く。途中、何人かの職員とすれ違った。
「あちらは主任司書のアレクサンダー・グレイ様」ミラが紹介した。「65歳ですが、まだまだお元気です」
白髪の紳士は、優しく会釈してくれた。
「そして、あちらは副司書のユリウス・ゴールド様。少し気難しい方ですが、知識は確かです」
痩せた中年男性は、私たちを一瞥しただけで通り過ぎた。
「新人のカレン・アッシュです」
ミラと同年代の女性が、恥ずかしそうに頭を下げた。
「研究員のソフィア・ホワイト様。古代魔法の専門家です」
知的な雰囲気の女性は、興味深そうに私を見つめた。
「それで、奇妙なこととは?」私は本題に入った。
ミラは不安そうな顔をした。「本が......勝手に動くんです。それも、禁書庫の本が」
*
翌朝5時。
けたたましい電話の音で目が覚めた。
「エリカ、すぐに来てくれ!」部長のマーカス・レインの声は切迫していた。
「どうしました?」
「王立魔法図書館で殺人事件だ。それも......信じられないことが起きている」
慌てて身支度を整え、図書館へ急いだ。
現場は禁書庫。七重の結界で守られた、図書館で最も厳重な場所だ。
中に入って、息を呑んだ。
死体が三つ。しかも、全員が同じ顔をしている。
「アレクサンダー・グレイです」レオン・ブラック警備主任が説明した。「でも、三体とも」
私は「真実視」を発動させた。金色の光が世界を包み、真実が見え始める。
驚愕した。三体とも、確かに本物の人間だ。魔法で作られた偽物ではない。
「死亡推定時刻は?」
「一体目が3日前、二体目が昨日、三体目が今朝です」鑑識官のサラが答えた。
「でも、どうやって中に?」
「それが......」レオンは困惑していた。「入退室記録が一切ないんです」
不可能だ。この禁書庫は、ネズミ一匹入れないはずなのに。
その時、扉が開いた。
「おはようございます。大変なことになっているようですね」
振り返ると──
生きているアレクサンダー・グレイが立っていた。
*
「これは......私の死体?」生きているアレクサンダーも困惑していた。
私は混乱していた。「真実視」をもってしても、この状況は理解できない。
四人のアレクサンダー。三人は死体、一人は生きている。全員が本物。
「エリカ、どう思う?」マーカス部長が尋ねた。
「正直、わかりません」私は認めざるを得なかった。「こんなケースは初めてです」
ミラが心配そうに近づいてきた。「エリカさん......」
「大丈夫です」私は気丈に振る舞った。「必ず真実を見つけます」
でも、内心では不安でいっぱいだった。
私の能力にも限界がある。もし、この事件が私の力を超えているとしたら?
「とりあえず、関係者全員から話を聞きましょう」私は決断した。「何か手がかりがあるはずです」
*
図書館の会議室に関係者を集めた。
生きているアレクサンダー、ミラ、カレン、ソフィア、ユリウス、レオン。
「まず、この3日間の行動を教えてください」
一人ずつ聴取を始めた。全員にアリバイがあり、不審な点は見当たらない。
だが、私の「真実視」は何かを感じ取っていた。
この中の誰かが、嘘をついている。
「ところで」私はさりげなく尋ねた。「最近、図書館で変わったことは?」
ミラが手を挙げた。「そういえば、本が勝手に動くという話を......」
「詳しく聞かせてください」
話を聞くうちに、奇妙なパターンが見えてきた。
動く本は、すべて「人形」や「幻術」に関するものだった。
これは偶然だろうか?
*
捜査の合間、ミラが紅茶を入れてくれた。
「疲れたでしょう?」
「ありがとう」私は感謝した。「ミラさんは、どうして司書に?」
「本が好きだから」彼女は微笑んだ。「でも、それだけじゃないんです」
「と言うと?」
「実は、私の家系は代々この図書館と関わりがあって。300年前の初代館長は、私のご先祖様なんです」
「へえ、すごい」
「でも、プレッシャーでもあります」ミラは苦笑した。「偉大な先祖に恥じない司書にならないと」
彼女の真摯な姿勢に、私は好感を持った。
「ミラさんなら、きっと素晴らしい司書になれますよ」
「ありがとうございます」ミラは頬を赤らめた。「エリカさんも、素晴らしい捜査官です。真実を見る力だけじゃなく、人の心に寄り添える」
朝の市場での出来事を見ていたのだろうか。
この時、私たちの間に小さな友情が芽生えた。
それが後に、事件解決の鍵になるとは思いもしなかった。
*
次の日、私は図書館中を調べ回った。
まず、死体が発見された禁書庫の詳細な調査。
「真実視」で隅々まで観察すると、興味深いものを発見した。
床に、ほんのわずかな粉が落ちている。普通の人なら見逃すだろう。
「これは......蝋?」
次に、監視魔法の記録を確認。だが、異常は見つからない。
「待てよ」私は気づいた。「記録が完璧すぎる」
通常、魔法記録には必ず小さなノイズが入る。だが、この3日間の記録は不自然なほどクリーンだった。
誰かが改竄した?
午後、私は図書館の古い記録を調べた。
すると、100年前の文献に興味深い記述を見つけた。
『宮廷人形師ギルドの秘術──生ける蝋人形の製法』
蝋人形を、本物の人間と見分けがつかないほど精巧に作る技術。
「これだ!」
*
手がかりを見つけて会議室に戻ると、異変が起きた。
ユリウスが突然苦しみ始めたのだ。
「う、うわああああ!」
彼の体が、煙のように消えていく。
「ユリウスさん!」ミラが叫んだ。
だが、彼は完全に消失してしまった。
全員がパニックに陥った。
「集団幻覚?」ソフィアが震え声で言った。
「いや、違う」私は冷静に分析した。「私たちの記憶に、何か細工がされている」
生きているアレクサンダーが、不気味な笑みを浮かべた。
「素晴らしい。さすがは『真実視』の使い手だ」
「あなたが......」
「その通り。ユリウス・ゴールドという人物は、最初から存在しない」
全員が凍りついた。
「私が作り出した、架空の人物だ。催眠術と暗示で、皆の記憶に植え付けた」
なぜそんなことを?
事件は新たな局面を迎えた。
*
「他にも秘密があるでしょう」私はカレンを見た。
彼女の挙動がずっと気になっていた。新人にしては、落ち着きすぎている。
カレンはため息をついた。そして──
顔に手を当て、精巧なマスクを外した。
その下から現れたのは、アレクサンダーの顔だった。
「ご名答」老人の声で言った。「特殊メイクと変声術。魔法は使っていない」
ミラが腰を抜かした。
二人のアレクサンダーが向かい合った。
「実は、我々は双子だ」二人が同時に語り始めた。
65年前に生まれた双子。しかし、一人は死産とされ、密かに育てられた。
「兄は表の顔として司書に」
「弟は裏の顔として様々な技術を習得」
「そして今回、ある目的のために協力した」
*
「目的とは?」私は問い詰めた。
「復讐だ」兄のアレクサンダーの顔が歪んだ。
10年前、彼らの娘リサが図書館の事故で死んだ。防げたはずの事故だった。
責任者たちは事故を隠蔽し、リサの死を「病死」として処理した。
「その責任者たちが、蝋人形のモデルだ」弟が言った。「本物はすでに......」
私は戦慄した。これは単なる殺人事件ではない。復讐劇だったのだ。
「でも、なぜこんな回りくどい方法を?」
「単純な殺人では満足できなかった」兄が言った。「世界に、我々の怒りを見せつけたかった」
私の「真実視」は、彼らの深い悲しみと怒りを映し出していた。
でも、だからといって殺人は許されない。
どうすれば、この連鎖を止められる?
私は、自分の無力さを痛感した。真実が見えても、解決できないこともある。
*
「もう終わりにしましょう」私は説得を試みた。「これ以上、罪を重ねても......」
「黙れ!」弟が叫んだ。「お前に何がわかる!子を失う親の気持ちが!」
その言葉に、私は何も言い返せなかった。
確かに、私には彼らの痛みは理解できない。
「真実視」があっても、人の心の痛みまでは癒せない。
私は、捜査官として、人として、何ができるのだろう?
沈黙が流れた。
誰もが、次に何が起こるか分からず、ただ立ち尽くしていた。
私も、どうすればいいか分からなかった。
初めて、完全に行き詰まった。
*
その時、ミラが立ち上がった。
今までと違う、凛とした表情で。
「もう、終わりにしましょう」
彼女の声には、不思議な力がこもっていた。
「ミラ?」
「申し訳ありません、エリカさん」ミラは私を見た。「実は私、ただの助手司書ではないんです」
彼女は懐から古い紋章を取り出した。
「私は、300年前の初代館長の末裔。代々、図書館の真の守護者として育てられました」
全員が驚愕した。
「アレクサンダー様の計画も、リサちゃんの死の真相も、全て知っています」
「なぜ黙っていた?」私は尋ねた。
「時に、正義は法の外にあるから」ミラは悲しそうに言った。「でも、もう限界です」
彼女は古代の言葉を唱え始めた。
これが、この事件で使われた唯一の、本物の魔法だった。
*
図書館全体が震動し、光が溢れ出した。
その中から、半透明の老人が現れた。
「ビブリオス......」レオンが息を呑んだ。
300年間眠っていた、図書館の守護精霊。
『哀れな双子よ』ビブリオスの声が響いた。『お前たちの痛みは理解する』
「黙れ!」弟が叫んだ。
『だが、知っているか?お前たちの娘は、今もここにいる』
ビブリオスが手を振ると、少女の霊が現れた。
「リサ!」双子が同時に叫んだ。
『パパたち......もう、やめて......』
リサの霊が泣いていた。
『私は図書館が大好きだった。だから、死んでも離れたくなかった。でも、パパたちが復讐を始めてから、悲しくて......』
双子は崩れ落ちた。
『もう、憎しみは捨てて』
ビブリオスが言った。
『罪を償い、この図書館で働きなさい。いつか、娘と共に永遠に』
双子は涙を流しながら頷いた。
*
事件から一ヶ月後。
私は図書館で、一人の少年と向き合っていた。
朝の市場でトマトを盗んだ、あの子だ。
「君の妹さん、病気なんだって?」
少年は警戒しながら頷いた。
「ここで、薬草の本を読んでみない?」私は一冊の本を差し出した。「きっと、役に立つ知識が見つかるよ」
ミラが優しく微笑んだ。「図書館は、みんなのものですから」
少年は恐る恐る本を受け取った。
これが、私の新しいやり方。
真実を暴くだけじゃない。人の心に寄り添い、希望を与える。
アレクサンダー兄弟は、今も図書館で働いている。
蝋人形にされた人々は無事救出された。
リサの霊は、時々子供たちに本を読む声として聞こえるという。
「エリカさん」ミラが声をかけた。「真実視って、素敵な力ですね」
「でも、完璧じゃない」
「だからこそ、人間らしくていいんです」
私は微笑んだ。
そう、私は完璧じゃない。
でも、だからこそ、人の痛みがわかる。
王立魔法図書館には、今日も人々が集まってくる。
知識を求めて、希望を求めて。
そして私は、真実と共に生きていく。
時には見て、時には見ないふりをしながら。
それが、私の選んだ道だ。
魔法図書館の密室殺人 ようさん @yousanz
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