クール・エンディング・アンチ・ロマン
辻タダオ
バース・オブ・ザ・クール
「クール」という語句を題名に含む小説がこれからスタートするのだが
ではそのクールの語句の定義を厳密に決めているのかというとそうでもない。
ま、なんとはなしにそうしてみただけである。深い意味はない。
単に『ソウル・イントロ・ビルドゥングスロマン』という題名の小説をこの前書いたので真逆な風味のものにしてみようと思ったわけなのだった。
で、その『ソウル・イントロ・ビルドゥングスロマン』のなかの「ソウル・イントロ」なのだが、これはジャコ・パストリアス作曲『ソウル・イントロ~ザ・チキン』というビッグバンド曲があって、ジャズ界隈、学生ビッグバンド界隈、吹奏楽界隈ではそこそこ有名な曲なのであるが、幅広くあまねく国民全般に知られるレベルの「有名」さではない、というものであって、≪『ソウル・イントロ』?あーはいはいあれね、あのことね≫とサッと気づくような者の総員数は日本国において多く見積もって15万人いくかいかないか、ってところか。そういった語句をタイトルに入れ込むということはそのことに敏感に気づく層を読者として想定して書いたところも多少あったが、では15万人の読者を獲得したのかというとそんなことは起こりもしなかった。
で、「ビルドゥングス・ロマン」なので、そこはなんとなく看板に偽りのないように中1から中3にいたる男児の日々、っていうような流れになった。
そして今回は『クール・エンディング・アンチ・ロマン』だ。
とりあえず「言葉の真の意味での(柄谷行人調)」アンチ・ロマンを目指すものではない、とだけ言っておこう。
なにはともあれ最早中1でも中2でも中3でもなければ高1でもないし高2でもない。
それどころか還暦なわけだ。
2025年現在齢60、の者の心の奥底で、世に数多ある曲、それら曲のなかでも、「曲終わり」を特にきりわけて考察してみようではないか、と、そういう機運が高まった。
きっかけは2025年6月22日戸建て住宅の自室にて、CS放送を録り貯めてたものをあれこれ観てるうちに中森明菜出演大分野外音楽フェス、小室哲哉と共にこなしたステージの模様に行き当たったことであり、自分よりひとつ年下で、同世代において最も「大物」感がある現役スターで、なおかつリアタイ全盛時の頃、最新盤リリースのたびに購入して付属のポスターをアパートの部屋の壁一面に貼ってた「ガチ」なファン歴を持つ者でもあるので、いろいろと感興を覚えたのである。
1982年から86年くらいにかけては「何故か中森明菜と学友になっている」夢を見たものであった。自分としては「ガチ恋」的なファン心理だったと断言できるんだが、それにしては中森明菜出演の夢は「学友」な感じで止まっていて、淫夢はなかったのであった。どうしてそうだったのかは最早わからないしわかろうとも思わない。
とにもかくにも中森明菜ナンバー、デビュー曲『スロー・モーション』から自傷に至る直前の『LIER』までは全EPを発売日に購入していたし、大概の曲は唄おうと思えば唄えるし、なんならそれこそ「イントロ」から口ずさめるわけだが、そんなことを考えてるうちに中森明菜のむしろ曲終わりになにか印象的なものはなかったっけか?と思い、いろいろあれこれ曲名を頭のなかでぐるぐる回していたら『難破船』に行き当たる。
『難破船』は自分としてはどちらかと言うと苦手な部類の曲なのだが、それでもイントロから口ずさめる。で、エンディングなのだが、なにしろ「エンディングっ!」って感じで「エンディング」そのものがかなり押し出しが強くなっているのだ。
唄の部分が全部終わったのちに、あらためて、これからインスト、つまり楽器のみなんですけどまだ曲続きますよー、まあそりゃすぐ終わりますけどねー、って雰囲気で曲終わりが構成されているのであり、これはヒットチャートに入るような曲にしてはなかなかに珍しいパターンだと思う。
悲痛なストリングスの上下する旋律がだんだん遅くそして静かになって終わる。
となるとこの小説の題名である「クール・エンディング」という感じでなく、いかにも悲しいさまをそのままストレートに表現しているわけで、つまりは「アンチ・ロマン」な風味でもなく、むしろむちゃくちゃロマンチックな終わり方だ。
このひたすら悲しい曲を歌って間髪入れずにあの自傷があった、と2025年6月現在齢60の自分は思い込んでいたのだが、あらためてウィキみたら『難破船』のリリースは1987年9月30日で、自傷は1989年7月11日とほぼ2年弱の間があったのか、と記憶の修正を迫られることになったわけだが、それだけこの『難破船』悲しすぎる印象が強いということだ。
実際、ベストテン番組などみていて、ほぼ泣いてるじゃん、と思ったこともあったようななかったような。
そんなこともあって、自分の「思い込み」回路においては、中森明菜は『難破船』のような暗い歌を唄っているうちに私事ともリンクして暗い気分が助長されて発作的に自傷に至った、というようなストーリーができあがっていたのだが、やはり史実を冷静に振り返るとそれは違うよなあ、となる。歌い始めから自傷まで2年弱の月日があるのであれば。
それにだ。つい最近のことだが、X(旧ツイッター)をつらつら眺めていたら、よくある昔日のTV番組切り取り動画投稿に、中森明菜atミュージック・ステーションの一場面、タモリとのトークのものがあり、その内容は「歌詞ど忘れ」エピソードであって、中森明菜はその回では従来比5割増しで「喋り」の方は軽やかで笑顔も交え、スラーっと話していたのだが、ど忘れした曲が『難破船』だ、ということだった。
冒頭から歌詞が出ず、客席から「たかが、たかが、たかが」の連呼があって、あーはいはい、って感じで「たかが恋なんて」と唄い出したと言う。
中森明菜ナンバー随一の暗い曲の扱いにしては実に明るく軽く語っていたわけだ。
しかも「歌詞ど忘れ」の失敗エピソードを。
このたかがSNS上の一投稿をみて長年の自分の考え違いを悟ったのである。
結論:『難破船』歌唱と後の自傷は直結の出来事でもなんでもなかった。
さて、それを踏まえあらためて『難破船』のあのベタにロマンなエンディングについて考えると、あれはあれで一周回って「クール」なのではなかろうかと思えてきた。
編曲は歌謡曲編曲のプロ中のプロ若草恵が手掛けており、しかも中森明菜に関してはセカンドアルバム『変奏曲<バリエーション>』の冒頭の「(イントロダクション)」歌無しインストそれも弦楽合奏モノを手がけていたから付き合いもそこそこ長く、いろいろと勝手もわかっている状態での仕事であっただろうと思うし。
そんなようなことをつらつら考えているうちに、昨今の中森明菜リヴァイバルの盛んな動きのなか、他音楽家によるカヴァー・アルバムもリリースされたりする情勢のさなか、自分もちょっと企画を考えてみた。こうなったら世界発信も視野に入れ。
『難破船』、イントロは電子キーボード音で同音刻みで始まるわけだが、それに似た始まり方をする曲に関し海の向こうに目を向けると、そう、あれがあるではないか!?とハタと気づく。
そう、シューベルト作曲の歌曲集『冬の旅』の冒頭1曲目『おやすみ』がそれである。
あー、なるほどその境地もいいかもしれない、と。
ってことで、『難破船』、直ちにドイツ・リート版製作にとりかかるとよいと思う。
無論アレンジはピアノ伴奏一択である。そしてエンディングに関しては若草恵作曲の旋律を崩すことなくそのまま踏襲してもらおう。
歌手はバイロイト等で実績のあるアルト、もしくはバリトン声域のベテランに頼むのがよいだろう。
実現すればかなり「クール」な仕上がりになるのではないか?と今からワクワクどきどきが止まらない。
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