宮廷染料師ラーリは、知恵比べで負けません

冬野トモ

第1章 〝青〟が消えた!

「……ない! 『青』がない!」


 せんりょうラーリの表情は、みるみるうちにあおくなった。


 三日後に、女王陛下の大切な国事がある。


 エジプトの命運を左右する場に、ラーリの作る『青』は欠かせない。


 それが今、忽然こつぜんと消えている。


(一体誰が……)


 保管室の鍵は工房の者にしか渡っていない。とすれば——


(犯人は、わたしと同じ染料師か!)


 ラーリの脳裏に、同僚カミラの姿が浮かんだ。


 彼女は日々自分の腕前をねたみ、嫌がらせをしてくる。


 先月も大切な調合レシピにインクをこぼされ、パピルスを台無しにされた。


 ラーリの心の中で、どぎついメイクのカミラが高笑いする。


「またあの女は!」


 彼女は唇を噛んだ。



 ♢ ♢ ♢



「で……。つまり、どういうことなの?」


 友人ハピが、小麦のパンケーキを千切りながら首をかしげた。


 彼女の黒髪に編み込まれた金の装飾が、朝日に照らされて壁に小さな光の斑点はんてんを作り出している。


「『青がない』だけじゃわからないわよ、ラーリちゃん。もうちょっと説明してくれる?」


 彼女は菓子を蜂蜜はちみつに浸し、一口ほおり、恍惚こうこつの表情を浮かべた。


 ハピは、服職人の工房で働く気心の知れた友人だ。


 友人のあいも変らぬ能天気さに、ラーリは目を一層いっそう細くする。彼女はやれやれと机に向かった。


じゃくいしられたのです」


「孔雀石?」


「青の原料です。女王陛下のアイシャドーには、ナイルの青が欠かせません。じゃくいしが消えるのは、エジプトからピラミッドが消えるようなものです」


「赤や黄じゃ……ダメなのよね?」


 ハピは反対方向に小首を傾げた。彼女はいつも声色が軽い。


「当たり前じゃないですか!」


 ラーリは思わずテーブルを叩いた。


 その音に、彼女の飼い猫までが尻尾しっぽをピンと張る。


 ラーリは黒のあいびょうを抱き寄せると、いくらか声のトーンを下げて続けた。


「青はエジプトで最も神聖な色です。瞳のゆうさは、その人のオーラを決します。


 明日の国事が成功するかは、じゃくいしを取り返せるかにかかっていると言ってもいいでしょう」


「もし、石が見つからなかったら、ラーリちゃんは……」


「首ちょんぱですね。間違いなく」


 彼女は血の気のない表情のまま笑った。



 ♢ ♢ ♢



 宝石保管庫へ続く通路は薄暗く、湿った空気に満ちていた。


 ハピが『保管室』と書かれた扉を開けると、その向こうには、まるで王家の墓のような気味悪い階段が伸びている。


「お化けでも出ますか」


「ぎゃっ!」


 彼女をおどかしたのは、背後霊のように現れたラーリだった。


「もう! ラーリちゃん、びっくりさせないでよ!」


「ごめんなさい。鉱石は日光に弱いんです。だからこうして、地下に保管部屋があります。明かりをどうぞ」


 ラーリは、口のとがったオイルランプを彼女に手渡した。





 火が揺れ、二人の影を壁に大きく映す。


 石段は真ん中がくぼみ、すべりやすくなっていた。


 二人が壁伝いに通路を進むと、階段の先に、ヒエログリフと壁画でいろどられた保管室が見えてきた。



「すごい……。これが全部キレイなお化粧品になるのね」


 ハピの興奮したこわ


 ランプの明かりは、棚にびっしりと並べられた宝石たちを一つひとつ照らしていった。





 やがて。


「あるじゃない!」


 彼女は一番奥の棚に向けて指をさした。


 あさ袋には『じゃくいし』の文字。


『石を借りてましてよ。お返ししますわ。カミラ』


 ご丁寧にパピルスまで添えられている。


 中には、紅海こうかいの底から引き上げたような深いあい色の石が、静かに光を放っていた。


 ラーリは小さく息を吐き、首を振る。


「それはガラスです。最近じゃ吹上ふきあげ技法の発明で、ガラスの値段が下がってますからね。ガラスじゃ化粧は作れません。アクセにはもってこいですが、染料として使いどころのないタダの〝石ころ〟ですよ」


「ニセモノ……!」


「こんなすり替えまでして、あの女はわたしの目が節穴ふしあなだとでも言いたいんですか!」


 目の前の友人が鼻息はないき荒く言い切るので、ハピはついほおゆるんでしまった。


 ラーリが熱くなるときは、大抵たいていド忘れがオチと決まっている。


 先週だって、家にあるレモンを忘れ、新しくかご一杯に買い込んできたのだから。


 あの時も同じように「レモンが消えた」と騒いでいた。





「……その顔は、……わたしを疑っているんですね?」


 友の口数が減ったので、ラーリはジト目で彼女に寄った。


 その瞳には本気の怒りがともっている。


「疑ってるわけじゃないけど。可愛いラーリちゃんのことだし……勘違いってコトも……ね?」


「いいでしょう! そこまで言われちゃ、この石が贋物がんぶつだと証明して差し上げますよ!」


 ラーリはあさ袋を抱えると、プンスカとほおを膨らませて階段を上っていくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る