ポンコツ使い魔、返品不可!?

@haruto_to_yuu

第1話 ポンコツ使い魔、異世界デビュー!?

 ――冷たい。


  頬を打つ空気が、妙に澄んでいるのに、どこか湿っていて、肌にまとわりつくような感触だった。


 ミカはゆっくりとまぶたを開けた。


 視界に広がったのは、見たことのない高い天井と、石の床一面に浮かび上がる青白い模様だった。


 柔らかい光を放つ魔法陣――というよりも、“なにか不思議なもの”としか言いようがない螺旋の紋様が、じわじわと脈打つように光っている。


 


(……え? なにこれ……)


 


 頭がぼうっとしている。身体を動かそうとしたが、手足の先がじんわりと痺れていた。あまりに現実離れした光景に、夢の中にいるのではないかと錯覚しそうになる。


 けれど、冷たい石の感触と、自分の呼吸音がやけにリアルに響いていて――


 


(夢……じゃない……?)


 


 じわりと不安がこみ上げてきた。思わず身体を起こし、辺りを見回す。


 石造りの広間。重厚な柱。天井からぶら下がる鉄製の燭台。どこかの映画で見たような、中世風の……いや、それすら超えている。


 


「……っ」


 


 知らない場所。知らない空気。そして、聞き慣れないざわめきが耳を打った。


 


「ʃen…ka dre va miton…?」


「ʃena-fal?」


「ʃire ʃire……?」


 


 どこか遠くで、誰かが何かを話している。けれど、まったく意味が分からない。言語は聞いたこともない響きで、音としては綺麗だが、頭には何も入ってこない。


 


 言葉が通じないというだけで、世界は一気に壁になる。


 


(え? え? どこ? ここどこ? 言葉、わかんない……なんで? 外国? どこ?)


 


「すみません! ここ、どこですか!? えっと、あの……ジャパニーズ!? イングリッシュ!? ノー!? ノン!? うわ、だめだ、パニック!」


 


 焦りで声が上ずる。


 その瞬間――


 


 足音が、ゆっくりと近づいてきた。


 


 コツ……コツ……と、硬い床を叩く重たいブーツの音。


 


 ミカが振り返ると、そこには黒衣の人物が立っていた。


 


 背が高く、肩幅があり、長いローブのような衣をまとっている。そのフードは深く、顔の上半分を影で隠していた。


 ただ――わかる。目が合った。


 その視線が、自分に向けられていると、肌が感じ取った。


 


(や、やばい……!)


 


 その圧に、思わず息を呑む。逃げようと一歩下がろうとしたとき、男が片手をゆっくりと上げた。


 


「え、ちょ、なに!? なにされるの!? 近っ……!」


 


 その手が、自分の額の前で静止する。


 触れない。けれど、近い。呼吸が聞こえる距離だった。


 


 ――瞬間。


 


 何かが頭の奥に流れ込んできた。


 あたたかい光のような、淡い熱。


 耳の奥がふっと開いて、世界が再構築されるような、不思議な感覚に包まれた。


 


 そして――


 


「……聞こえるか?」


 


 男の声が、はっきりと、日本語で耳に届いた。


 


「えっ……!? え!? 日本語!? 今、日本語って言いましたよね!? え!? 聞こえる!? 聞こえる聞こえる!!」


 


 ミカは混乱のまま、叫び続けた。


 なにがどうなってるのか全然わからない。さっきまでの異国語が、急に理解できるなんてありえない。


 男は静かに言った。


 


「言語同期魔術だ。これでおまえと会話が可能になる」


 


「……マジか、魔術って言った!? 今、魔術って!? ていうか、誰!? あなた、誰!? どういう状況!? ここどこ!? ていうか私、死んだ!? 異世界転生!? ってことはイケメン!?」


 


「……ラセル」


 


「え?」


 


「俺の名だ。ラセル・ディヴァルト。契約者。おまえの“主”になる者だ」


 


「…………自己紹介……されてる……?」


 


 ぽかんと口を開けたまま、ミカは言葉を失った。


 


「当然だ。召喚契約において、使い魔との意思確認は基本事項だ」


 


「……は? 使い魔? 誰が? 私が!?」



 


 「使い魔って、あの……ペットみたいな……そういうアレのことじゃないんですか!?」


 


 ミカの声が、やけに広い石の空間に反響した。


 


 ラセルは微動だにせず、冷静な口調で言う。


 


 「そうだ。魔術師が召喚し、契約により従わせる存在。それが“使い魔”だ」


 


 「いや従わせるって! だいたい私、人間だし! 動物でも精霊でもないし! ていうか意思確認っていつの間に済ませたの!?」


 


 「魔力反応を確認した。陣に呼応した時点で契約成立だ」


 


 ラセルが言うたびに、ミカの思考はますます混乱していく。言っている意味はわかる。言葉としては。


 でも、どう考えても納得できない。というか、理解よりも納得が追いつかない。


 


 「いやいや、何? 魔法陣の真ん中で寝てたら、ハンコ押したことになる系!? そんな理不尽アリですか!?」


 


 「通常、使い魔は召喚時に術者の魔力に反応し、自動的に契約へ移行する」


 


 「自動契約!? オート更新!? ヤバすぎんだろ異世界システム!!」


 


 ラセルは相変わらず無表情で、淡々とミカの抗議を受け流している。


 怒っているわけでも、戸惑っているわけでもない。ただ――とにかく不器用な人なんだな、とはわかった。


 


 「とりあえず……落ち着け。今は魔力の乱れも大きい。無理に動けば具合を崩す」


 


 「いや、その命令口調! それそれ! なんかイラッとするの!!」


 


 ミカは思わず地団駄を踏みそうになる。が、よろけてそのままへたり込んだ。


 


 ぐったりと地面に座り込んだミカを見て、ラセルは一瞬、ほんの一瞬だけ、眉を寄せた。


 


 その小さな変化に、ミカは気づかない。


 


 


◆ ◆ ◆ 


 


 数分後。


 ラセルに半ば抱えられる形で、ミカは屋敷の中へと移された。


 


 通されたのは石造りの廊下。天井が高く、照明代わりに設置された魔石が淡い光を灯している。


 空気はひんやりしていて、何もかもが重厚で、静かすぎる。


 


(……ホテルというより、なんかお城? でも人の気配がしない……)


 


 ラセルの後ろをついて歩きながら、ミカは周囲をきょろきょろと観察した。


 壁には誰の肖像画も飾られていない。家具も最小限。生活感が、ほとんどない。


 


 「この部屋を使え。着替えと毛布は棚に入れてある。必要な道具があれば補充する」


 


 通された部屋も同様だった。シンプルな木製のベッド、棚、机。カーテンは一色の布。冷たくはないが、どこか“人が住んでいる”という空気が薄い。


 

 「食事は保存庫にある分を使え。調理はしていないが、口に入るものは揃っている」


 


 「料理してないんだ……」


 


 返事がない。どうやら、それが本当に“当たり前”らしい。


 


 「はあ……」


 


 部屋に荷物もないのが、逆に現実を突きつけてくる。


 スマホもない。Wi-Fiもない。明日の予定も、着替えのスーツも、会社のメールもない。


 


(いや、そもそも私……会社に行く途中で事故に遭って……)


 


 ――その先の記憶が、どうしても思い出せなかった。


 


 ラセルは扉の前でふと立ち止まり、こちらに視線を向ける。


 


 「当面はここで暮らしてもらう。契約が完全に安定するまで、単独行動は控えろ」


 


 「……やっぱり命令口調だよね?」


 


 「……そう聞こえるなら、気をつける」


 


 その言葉は少しだけ、柔らかかった。


 ミカは一瞬だけ「……あれ?」と不思議な気持ちになりながら、黙ってうなずいた




 扉が閉まった瞬間、ミカは大きく息をついた。


 


(……あれ、マジでやばいとこに来ちゃったのかもしれない)


 


 見知らぬ世界。知らない契約。言葉は通じても、気持ちは通じない。

 そして主だの使い魔だの、まるでファンタジー小説の中に飛び込んだような設定ばかり。


 


 「……いや無理でしょ……こんなとこで一生過ごすとか、絶対無理でしょ……!」


 


 部屋をぐるぐる歩きながら、ミカは頭を抱えた。


 


 そして――ふと、窓の外に目をやる。


 まだ陽は沈みきっていない。石垣の向こうには、うっすらと緑が茂る林が広がっていた。


 


 (もしかしたら、どっかに“出口”があるかもしれない。ちゃんと調べれば、元の世界に戻る方法だって……)


 


 希望というより、ほとんど願望にすがるようにして。


 ミカは部屋を抜け出した。


 


 


◆ ◆ ◆


 


 裏門の鍵はかかっていなかった。


 


 重たい鉄の扉をぎいっと押し開け、ミカは敷地の外へ出た。足元は硬い石畳から、やがてぬかるんだ土に変わっていく。


 


 周囲は静かだった。


 風が木々の葉を揺らし、かすかな草の匂いが鼻をくすぐる。聞いたことのない鳥の声もした。


 


(なんか、普通の森みたい……怖くない……かも)


 


 そう思ったのも束の間。


 


 ――ザッ。


 


 茂みの奥から、何かが動いた音がした。


 


 ミカはぴたりと足を止める。


 ただの動物だろうか? いや、それにしては……音が重たい。地面を擦るような、不規則な気配。


 


「……あの、もし……ネコさんとかだったら、歓迎します……」


 


 冗談めかして呟いてみたが、返事はない。代わりに、茂みが揺れた。


 


 ――ガサッ、ガサガサガサ!


 


 次の瞬間、低い唸り声とともに“それ”は姿を現した。


 


 体長は犬ほど。だが、その皮膚は黒い鱗で覆われ、目が三つ。口元には鋭く長い牙が並んでいた。


 


「…………えっ」


 


 脳が、認識を拒否する。


 でも本能は叫んでいた。


 


 ――コレ、やばいやつだ!!


 


「うわあああああああっっ!!?!」


 


 ミカは全力で踵を返して走り出した。


 だが、森の地面は滑りやすく、根がむき出しになっている。


 


 ほんの十数歩走ったところで、足を取られて盛大に転んだ。


 顔を打った。泥が口に入る。


 


「いった……! や、やば、やばいやばいって……!」


 


 慌てて立ち上がろうとしたとき、背後から鈍い唸り声が迫った。


 振り向くと、化け物のような魔獣が、牙を剥いて飛びかかろうとしていた。


 


 刹那。


 


 ――ドン、と空気が爆ぜた。


 


 空間が歪むような風圧。


 目の前に、黒いローブが翻った。


 


 


◆ ◆ ◆


 


 「……下がれ」


 


 聞き覚えのある声だった。


 


 振り返ると、そこにはラセルが立っていた。


 右手をゆっくりと上げ、掌に淡い紫の魔力が渦巻く。


 


 「ディル=ファレ・ノヴァ」


 


 低く呟かれた呪文。


 その瞬間、魔物の身体が光に包まれたかと思うと――パキン、と音を立てて砕け、黒い霧になって四散した。


 


 風が止んだ。


 空気が、しん……と静まり返った。


 


 ミカは地面に座り込んだまま、目を見開いていた。


 


 


 ……助かった。


 


 でも、怖かった。


 本当に、怖かった。


 


 涙が出そうだった。


 


 


◆ ◆ ◆


 


 「……言ったはずだ」


 


 ラセルがゆっくりと顔を向ける。


 その表情には怒りも責めもない。ただ、疲れたような目をしていた。


 


 「召喚直後のおまえは、魔力が不安定だ。そういう存在は、魔獣の“標的”になる」


 


 ミカは、ぽかんと口を開けたまま、ただ聞いていた。


 


 「この辺りはまだ“薄い”が、それでも気配を感じ取られれば襲われる。ここは……そういう世界だ」


 


 そういう世界。


 


 その言葉が、胸にずしんと響いた。


 


(本当に、現実なんだ。ここは“異世界”で、私、召喚されちゃって、魔物に襲われて……)


 


 膝が震えていた。


 それを見て、ラセルが一歩だけこちらに近づいた。


 


 「……もう動くな。」


 


 そう言って、ミカの肩にそっと手を添える。


 その手は、魔術師らしく冷たいかと思ったけど、不思議と、あたたかかった



 


 火の音が静かに響く部屋で、ラセルは一人、暖炉の前に腰掛けていた。


 


 夜が深まるにつれ、魔力の流れが落ち着いてくるのを感じる。

 空気は静かで、部屋も寒くはないはずなのに、内側だけが妙にざわついていた。


 


 (……予想より、ずっと“普通の人間”だったな)


 


 召喚の術式自体に問題はなかった。

 人間型の個体を、異世界より引き寄せる――想定内の処理。


 


 ただ、来たのが“ああいうタイプ”だとは、思っていなかった。


 


 声が大きくて、動きも読めない。


 警戒心も、無謀さも、どちらも極端すぎる。


 


 だが、それでも。


 怯えながらも、正面から問いかけてきたときの顔は――まっすぐだった。


 


 (……思ったより、脆くはないかもしれない)


 


 使い魔、という呼び名にしては、あまりに人間すぎる。


 だが、感情を持ち、思考し、自分の立場を理解しようとしているのは明らかだった。


 


 こちらの意図が伝わりづらいのは承知の上だったが……

 やはり、話し方は少し改めるべきかもしれない。


 


 


 (……言い方が、強すぎたか)


 


 ミカが出ていったとき、怒りというより、判断を見誤った自分への苛立ちの方が大きかった。


 


 今まで、使い魔にここまで気を配る必要はなかった。


 でも――今回は、“人間”なのだ。


 


 だから。


 


 (……余計な感情じゃない。必要な観察だ)


 


 そう自分に言い聞かせて、ラセルは立ち上がる。


 


 そして、静かに銀のポットに茶を注ぎ、そっと扉の前に置いた。


◆◆◆


 部屋は静かだった。


 石の壁に囲まれた空間は、少しだけひんやりしているけれど、毛布はちゃんとあたたかい。


 


 湯気の立つポットと、ふわふわの布タオルが、部屋のテーブルに置かれていた。


 


 ――誰が、なんて考えなくてもわかる。


 ラセルだ。


 


 ぶっきらぼうで、やたら命令口調で、全然人の気持ちとか気にしなさそうなのに。


 でもあの人、きっと本当は――すごく不器用なだけなんだと思う。


 


 助けてくれたときだって、怖かったはずなのに、黙って前に立ってくれて。


 怒ってるふうだったけど……なんとなく、違った。


 


 


 「ほんとは、ちょっとだけ……心配してくれてたのかな」


 


 そう口に出してみたら、胸の中が、ほんの少しだけ軽くなった。


 


 知らない世界で、知らない人と暮らすなんて、怖くて仕方なかったけど。


 今日の終わりに、あんなふうにしてくれる人がいるなら――


 


 (……ちょっとだけ、がんばれるかもしれない)


 


 小さな声で、「おやすみ」とつぶやいて、ミカは目を閉じた。


 


 暖かさが、体の奥までしみこんでいく気がした


 

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