File.12 ただ、またレインボーがかかる空を見るために
ルーシーは触手を引きずりながら、俺達に突っ込んだ。触手が重いせいか、バランスを崩した鈍い動きだ。
「お前、ローレンスの敵! 殺す!」
感情のままに悪罵が止まらないルーシー。教育によろしくない言葉ばっかり覚えてやがるな。ロゼッタの方がよっぽど大人だぜ。ルーシーは俺達目掛けて両肩の触手を振り下ろす。ロゼッタは怯えて足がすくんでいる。俺はロゼッタを抱えながら、ルーシーの懐をくぐり抜けた。触手の爪が床を砕く。ルーシーは新しい身体に慣れていないのか、大きくよろけた。
「ロゼッタ、しっかりしろ! このままじゃアイツに殺られるぞ!」
「で……でも……私……人を……」
ロゼッタは小刻みに呼吸をし、乾いた血がついた自分の腕を見る。指先に残った肉の感触に、ロゼッタは怯えていた。俺は血がつくのも構わず、ロゼッタの手を握りしめる。
「生きたいんだろ!? だったら俺と一緒に行こう!」
俺は胸が熱くなり、ロゼッタの手を強く握った。ロゼッタは驚き、俺の顔を見る。心なしか、冷たかった手が温かくなったような気がした。乾いたロゼッタの頰に、涙が伝う。ロゼッタは必死に涙を抑えようとする。俺はロゼッタの頰についた涙を拭った。温かい涙は、人間の証だ。ロゼッタは拳を握りしめ、茨を纏う。
「どうして? どうしてお前は人間と一緒にいるの? 否定したくせに……。新しい人類になる事を拒んだくせに……」
急激に知能が発達したルーシーは、嫉妬が宿った黄緑色の瞳でロゼッタを見た。辿々しかった言葉は、羨望が籠った言葉に変わる。ヒトの形からかけ離れた新しい人類は、触手の先の爪で床を引っ掻いた。
「私は、晴れた空の下でデビットといたい。デビットは私に生きろって言ってくれた。だから私もデビットのために生きるの!」
ロゼッタは吼え、ルーシーの胸元に触手を突き刺した。棘が返しとなり、ルーシーがもがくほど触手は深々と食い込む。ルーシーは触手を掴み、逆にロゼッタを自分の元へ手繰り寄せようとした。圧倒的な体格差に、ロゼッタは引き寄せられていく。触手の繊維がブチブチと切れる音がして、ロゼッタは低く唸った。ルーシー手招きするように、もう一方の腕を振りかざす。5本の鎌のような爪が、赤黒く光った。俺はロゼッタの触手を掴む。茨が皮膚をズタズタに切り裂いても、俺は掴み続けた。力が拮抗し、触手が悲鳴をあげる。俺は片手で銃を構え、ルーシーの眉間目掛けて撃った。眉間を撃ち抜かれ、ルーシーは触手を離す。俺とロゼッタは触手を引っ張り、シリンダー目掛けてルーシーを投げ飛ばした。ルーシーの身体はシリンダーのガラスに串刺しになる。
「さっきのお返しだ」
ルーシーは怒り狂い、ガラスが食い込んだまま立ち上がった。傷ついた細胞が再生しようとするが、ガラスに切られて傷口が広がっていく。初めて覚えた痛みに、ルーシーは叫んだ。ルーシーは触手を床に突き刺した。触手は地面を抉り進み、蛇のように這い回る。俺とロゼッタは触手を躱すも、ルーシーの猛攻は止まらない。床のタイルが剥がれ、装置の配線が露わになった。剥き出しになった配線は僅かに放電している。……一か八かだな。俺は感電するのも構わず、配線を拾い上げた。
「ロゼッタ! 触手に配線を突っ込むんだ!」
俺は触手にしがみつき、配線を巻きつけたナイフを突き刺した。電流が迸り、触手から体液が弾け出る。ルーシーは悲鳴をあげ、触手ごと俺を地面に叩きつけた。離すもんか。俺はナイフで触手を抉り、さらに奥へ捩じ込む。ルーシーはしぶとくしがみつく俺を、何度も地面に叩きつける。ロデオか。付き合ってやるぜ。ロゼッタも腕に配線を巻きつけ、触手を貫いた。2本の電流がルーシーの身体を駆け巡り、身体の節々から緑色の液体が吹き出る。
ルーシーはもがき苦しみながら、触手を振り回す。電流が触手を食い破り、俺達は地面に放り出された。体内に残る電流に蹂躙され、ルーシーはなおも暴れ回る。眼球が弾け飛び、体内の臓器が破裂し、口から大量の血を吐き出す。ついには触手を引きちぎり、ルーシーは身体中の白薔薇を散らせる。ルーシーは両目の穴から緑色の血を流し、電流で痙攣する唇を牙で噛み締めた。
「なん……で……。お前は……選ばれていないのに……。なんで……側に誰かいるの? ずるいよ……」
虚ろな両目に、羨望の対象を映すルーシー。身体こそは大きいが、放たれる言葉は子供の願望のそれだ。子供は寝る時間だ。そろそろこの悪夢からも醒めてもらわなきゃな。ボロボロになったルーシーの胸元に、俺は銃を向ける。
「消えろ……。お前なんか……消えてなくなれぇぇっ!」
ルーシーは焦げ臭い匂いを放ちながら、歪んだ片腕を振り上げる。崩れ落ちていく表皮に足を取られ、緩慢な動きで突進する。思考も策もない。生まれ出た感情のみが、ルーシーを突き動かしていた。あばよ、ルーシー。夢の続きはあっちで見な。俺は躊躇う事なく引き金を引いた。
弾丸がルーシーの身体を貫く前に、何かがルーシーの胸元を貫いた。虚空に見開かれたルーシーの目。ロゼッタの腕が、ルーシーの胸元を貫いていた。腕を抜くと、ロゼッタの手には緑色の血に染まった白薔薇がある。銃弾が白薔薇を貫き、花びらを散らせた。ロゼッタは憐れむように、ルーシーを見る。ルーシーはボロボロの表皮がへばりついた手を、白薔薇目掛けて伸ばす。
「いいよ、私の事はいくらでも恨んでも。だけど、デビットを傷つけるのは許さない」
ロゼッタは白薔薇を握りつぶす。ルーシーは崩れ落ち、灰色の天井を見つめた。薔薇が散った瞬間、ルーシーの身体は白く朽ちていく。
「ローレンス……」
崩れゆく中、ルーシーはうわの空で生みの親の名前を紡いだ。シリンダーから出たての頃と同じ状態の今のルーシーは、何を思っているのだろうか。新たな人類として生まれた生命は、研究所の外を見る事なく消滅した。
地下には、俺とロゼッタしかいない。新しい人類になることを拒んだ俺達。雨を止ませようとする俺達。そんな俺達に抗議するように、大樹は鳴動し続けた。大樹の中の水流は止まらない。毎日雨予報はもうごめんだ。俺は地面に刺さったナイフを引き抜き、拳銃を大樹に向けて構えた。ナイフに絡みついた配線は、まだ電気を帯びている。
「ロゼッタ、離れてろよ」
「えっ……?」
驚くロゼッタを尻目に、俺は大樹目掛けて発砲した。薄い皮膜は破け、大樹は激しく蠢く。俺はすぐさま大樹にナイフを突き立てた。ナイフは激しく放電し、大樹が白く発光する。水流が沸騰し、両手に焼け付くような痛みが走った。地下全体が揺らぎ、天井が崩れていく。
「ロゼッタ! 崩れるぞ! 逃げろ!」
俺の呼びかけに、ロゼッタは答える気配はない。それどころか俺の元に駆け寄り、大樹の裂け目に腕を突っ込んだ。
「バカ! 何やってんだ! 早く逃げろ!」
「嫌だ! 私はデビットと一緒にいる! そう決めたの!」
ロゼッタは首を横に振り、大樹から離れない。大樹は更に発光し、激しく動いた。……こりゃあ何言っても無駄か。じゃあ付き合ってもらうしかねぇな。俺はロゼッタを手を握り、ナイフを刺し続けた。これで見納めだ。この雨も、俺の悪夢も、全部覚める。眩い光の中に、俺とロゼッタは消えていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます