持続不要なるまんまんちゃん

@isako

前編

 ぼくんちには幽霊が出る。こないだ死んだおばあちゃんの幽霊だ。初めのころはぼんやりと霞んだ、ザ・幽霊的ヴィジョンのおばあちゃんが夜中に冷蔵庫開けてたりするだけだったのだが、いつの間にかいよいよ怪物的様相を獲得し、メチャ怖のクリーチャーになってしまっている。妹の史子は不眠症になってしまったし、父さんは恐怖のあまり神経症(チックと円形脱毛の併発)に。母さんはもともと悩まされていた更年期障害とストレスの相乗効果でなんにでも0秒でブチ切れるモンスターになった。ぼくは特に影響ないな……と思っていると、悲しきかなEDになってしまった。まずまずの大きさと、素晴らしい硬さ、そして息をのむほどに美しいフォルムをしていたぼくのペニスはまるで機能を失い、おかげでそろそろ半年になるはずの彼氏とも別れてしまった。ぼくらの関係はセックスだけだったの? ハズム君にとってはそうだったらしい。あー、でもぼくにとってもそうかも。射精したあとって、けっこううざくて早くこの時間終わんないかな?って思うこともあるもんね。ぼくの勃起障害は勃起できないというより性欲の減退に因るものらしく、そもそも「出したい」がなくなってしまったので特になんとも思わない。さみしいけど、欲求自体がないからね。てなわけで別に(ハズム君への失望と失恋は例外として)ダメージないのだけど、やはり妹が不眠症になってつらそうにしているのには耐えかねた。ぼくはゲイで、隙あらばどこででも男とセックスするし、運動音痴だし、性格は悪いし、夢はないし、友達はいないし(彼氏も)、社会的にみて男としてあんまいいとこないのだが、それでも妹が苦しんでるのは嫌じゃん?という情だけはちゃんとある。なんとかしなくては、と思う。たとえこの先のぼくがセックスすることがなくとも、父さんがつるっぱげの悲しきおじさんになっても、母さんがいよいよ家族だけでなく、お隣さんやスーパーで出会うひとびとに切れ散らかして、警察にお世話になったとしてもあららで済ませるが、妹が寝不足で心もお肌もぼろぼろで学校に行こうとしているのを、黙って見ているわけにはいかなかった。


 てかおばあちゃんがなぜ成仏していないのかというのがまず第一にある。おばあちゃんは母さんのお母さんで、86歳で亡くなった。まぁ、ええんちゃう?と思うわけでもなく、実はここには残念ながら人間の悪意、というか弱さが顕れている。つまりおばあちゃんは未練たらたらで死んでしまったのだ。しかもそれは、まだ生きていたい、というよりか少し斜め下の伸びた未練だった。うらみはらさでおくべきか……。おばあちゃんは殺された。というか介護放棄で、うどんを誤嚥して窒息死してしまった。責任はだれにある?ぼくはまず母さんが悪いと思った。なんでおばあちゃんがご飯食べ終わるまで一緒に見てなかったの?と思う。おばあちゃんが食べ物をミスって気管に流し込んでしまうのはそれが4回目だった。お医者さんにも気を付けてと言われていたし、実際母さんはかなり食事に気をつかっていて、おばあちゃんの朝昼夕すべての食事を完全に管理していた。なのにその日の食事は、おばあちゃんの最後のご飯は、びしっと腰の入った冷のぶっかけうどんで、いつものように麺を短く切る工夫は施されていなかった。わざとだったのだ。責任うんぬんではない。故意だった。幸い(?)母さんが公権力のもとに裁かれる事態にはならなかった。警察が見逃してくれたのか、あるいは故意と判断できる材料を見逃してしまったのかわからないが、とにかくおとがめなし。でもぼくら家族はそうはいかない。ぼくは聞いた。「おばあちゃん、わざとでしょ」母さんは言った「うどんにしようって言ったのはお父さんよ」そう……そうか父さんもか……。あのチンポ野郎!と思うやいなや、母さんはぼくをにらむ。「おばあちゃんの介護、あんたら手伝ったこと一度もないでしょうが」泣いてた。あぁ。それ言うんだ。でもそうだなぁ~ぼく手伝ってなかったもんな~なんとなく高校生だからまだいいのかな、なんて思ってたな~。ぼくはそれに何も言えなくて、母さんは泣きながら部屋から出て行って、そのあと仕事から帰ってきた父さんが、たぶん母さんからいろいろ聞かされた結果をぼくに出力する。「姥捨て山って知ってるか」おい!お前ほんまにチンポ野郎やな!姥捨て山は知ってるけど、あくまでそういう話がしたいなら自分の意見として言えよ!昔話にもあるみたいにな~って。なんか社会的総意としてまとめんなよ!言いたいことはわかるけども、結局ぼくらはこの罪を背負って生きていく~しかないのかもしれないけど!(ただ実際のところ本当にそれしかない。だってそうでしょ?おばあちゃん死んじゃったんだから)。という感じでぼくのなかでいろいろ噴きあがったが、やはりぼくの中で一番熱くゆだっているのは母さんの「手伝ってなかったでしょ」で、これがある限りぼくの言葉はすべてきれいごととして一切が無価値になってしまうのだった。


 だからぐっと黙って、父さん母さんとは口を利かない日々がはじまりだしたと思ったら、妹が泣きながらぼくの部屋に飛び込んできて(そろそろシコるつもりだったからちょっとやばかった)、「おばあちゃん洗面所におるぅ~~!」と叫ぶ。妹は風呂入ってるところから猛ダッシュでぼくの部屋までやってきたらしく全裸。久々に裸をちゃんと見てしまったが、乳首はまあまあでかく、陰毛ははっきり生えている(だから何?本当に)。なんやねんそれ~といいつつちょいビビりで洗面所に行くと当然おばあちゃんはいない。でもおばあちゃんの部屋に入った時の、線香と加齢臭のまざった時みたいな匂いがマジで一瞬して、あ、ガチかも。と思う。いったん強がって妹をなだめて話を聞くと、風呂場で鼻歌歌いながら頭洗ってると、洗面所(兼脱衣場)からおばあちゃんの声で「チョン人の歌やめぇ~!」って声がしたらしい(ほんとうに誤解してほしくないのだが、ぼくは韓国人差別とかは絶対してないし、K-POPは別に好きではないが、キムチもサムギョプサルも韓国冷麺もかなりうまいと思うしという立場なのを把握してほしい。おばあちゃんは昭和10年代のひとなので許してあげてほしい。いや、決して許されることではないが、まぁ死んでるし……)。というわけで我が家は改めて幽霊になったおばあちゃんを迎えたわけである。これからは介護不要、食費光熱費もろもろの負担もなしでおばあちゃんの精神だけは今も家で反韓精神をまき散らす!でOKとはならない。死んだ人間はあくまで死に続けるべきだ。たとえ殺された人間であっても。どんなに惜しまれた死であっても……(『ペット・セマタリー』で子供を生き返らせようとした親は? その気持ちを否定できるだろうか? 愛する子供が10歳くらいで死んでしまって、どんな手を使ってももう一度あの子に会いたいと思う〔思ってしまう〕のは仕方ないことなのでは? いやいやちょっと待てよ。『ペット・セマタリー』の架空の子供と、ぼくんちのおばあちゃんは話がちがうじゃん。おばあちゃんは生きてた頃から昭和精神全開でかなりうざく、認知症で母さんに暴言をなげかけることしばしばで介護も大変だったし、その、結構きつい存在だったのだから……、いやいや、とはいえ家族だろ。それだと事実上、「死んでよかったやん」になってしまうわけで……。それはちがうのでは。とも思う。いや、まてよ。「死んでよかったやん」は、間違ってはない。ぼくは〈事実〉と〈気持ち〉を区別できていないとふと思う。「おばあちゃんが死んでもよかった人間である」という〈事実〉はない。ただ、ぼくを含めた家族のなかに「おばあちゃんは死んでもよかった」という〈気持ち〉はある。そしてそもそも「死んでもよかった」という命題を正として〔つまり〈事実〉として〕証明するすべはない。なぜなら「よかった」という評価、この述語を〈事実〉の世界で分解することにほとんど意味がない。「よい」は多義に過ぎるのだ。誰にとって?どんな風に?いちいち確定して、導き出した〈事実〉は、味のまとまらないカレーライスみたいにダサいだろう……)。


 という具合に哲学的考察(?)を重ねたとしてもそれはあくまでぼくの内面の話で、おばあちゃんの悪霊化はますます進行していく。一番最悪だったのは誰もいないはずの家で彼氏といちゃいちゃしていたときに、物陰からぼくをにらんでいた時だった。股間にむしゃぶりつくハズム君の頭を両手で抱えていたところ、ぼくは思わず叫んでしまう。「おばあちゃん!」あ……破局の理由ってもしかしてこれかも。ぼくはおばあちゃんにセックス見られました~でへらへらできるが、妹は腋毛剃ってるところを見られてちょっとノイローゼ気味になるし、母さんは冷蔵庫の扉が開いているとか、お風呂の栓が抜けているとか、こまごまとした家事的障害を与えられてイライラしている。チンポ父さんはなんか禿げ始める。ぼくは彼氏と別れる。あ~ええことないやんね~。そろそろ「ごめんねおばあちゃん」をやって「さよならおばあちゃん」→家族の絆が深まる、をやるべきでないか(意訳)と夕食の場で告げてみるとまさかの妹が大反対する。……お前かい!妹による主張はまず二つ。①謝るべきではない。残された家族に原因があったとしても死んでなお家族に迷惑をかけ続けるおばあちゃんに謝るのは筋違いである。②謝ったからといって状況が改善するとは限らない。生前のおばあちゃんはしょっちゅう人に謝罪を求め、こちらが折れて謝るとさらに加速して負い目を追及してくるという、レスバ大好きばぁちゃんだったのだから。妹の主張はぼくら家族にとって実に馴染みやすいものだった。というわけで謝ってなんかまるく収まるだろうというぼくの楽観的なアイデアは却下された。というかこの状況にいたるまで大人二人が大した意見も出せず、子供たちに家庭の行く末を任せきりになっているのは、やはり殺害の主犯格という負い目があるからだろう。殺意を以て硬いうどんを提供した。暴力による殺害でもなく、言葉によって精神を殺したわけでもない。あくまで死に近づくような環境をセッティングしただけだ。だがそれは殺害であり、明確な殺意があった。しかも自分たちの母親(義母)だ。母さんも今でこそ殺すことを決意したわけだけども、子供のころからの思い出がある。簡単に殺せるわけがないのだ。そう思うと、ぼくは単純に両親を否定することはできない。殺人は犯罪であり、殺人犯なんて社会から排除すべきだとは思うけども、ぼくはふたりを拒む気になれない。それはぼくが介護に参加していなかった、という負い目のせいなのだろうか……と妹に相談してみたところ、「いや、お兄ちゃんがパパとママのことが好きで、おばあちゃんはそうでもなかっただけなんじゃない?」とか言ってボコしたろかこいつと思うが妹はフットサルのユースチームに通うくらいのスポーツ・ガールで、太ももとかぼくの倍くらいあり、体当たりされただけで吹っ飛ぶくらいのガタイの差がある。身長も同じくらいだし……「でもわたしも同じなんだよね。なんか責めるつもり気になれないっていうか」だよなーって話をぼくの部屋でしていたら、ドアの外からむせび泣く声がする、チンポ父さんが泣いていた。聞かれてたか。まぁ悪口ではないしいいかと思ってると、バツンとブレーカーが上がる音がして部屋が真っ暗になる。普通なら、え?という困惑が訪れるのだろうが、ぼくら家族には共通の原因がすぐに思い浮かぶ。キッチンから母さんの叫ぶ声がする。ぞぞぞと鳥肌が立つ。大人が本気で叫ぶ声というのは普段聞くことはほとんどなく、それが母親ならなおさらだ。妹だけが素早く部屋を飛び出してキッチンへ向かう。あいつすげーな。この切り替えの早さというか、スイッチの入りが……スポーツに人生レベルで取り組むというのはある面において人間的強さをはぐくむのだろうか、とか考えながらぼくも追いかけると母さんが本当に泡を吹いて倒れている。冷蔵庫が開いていてその明かりが母さんと照らして白い泡が口からぶくぶくぶく……次第にそれは赤くなっていき、血! 妹が抱き起すと舌を噛んで痙攣しているらしい、チン父が叫ぶ、タオル噛ませ!タオル!なんとか口に皿拭き用のタオルをねじ込んで呼吸はできている状態に。救急車呼ぶ。チン父と母さんが救急車で病院に行く。ぼくと妹だけが家に残る。いったいなんだったのか……と呆然とする。ブレーカーを戻して、とりあえずお茶飲むかーって感じに冷蔵庫を覗き込んだ妹がぎゃッ!と叫ぶ。おいおいおいとぼくも様子をうかがうと、冷蔵庫の中におばあちゃんの骨壺が入っていて、それが真っ二つに割れている。白黒い燃えカスと一緒に出てきたのはなんかちっこい木箱?草書体でなんか書いてあるが読めない。昭和四十年?なんじゃこりゃ?妹がめちゃくちゃ嫌そうな顔で言う。


「これ、おばあちゃんとママの――臍の緒」そりゃきめぇわ。


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