マイ・スウィート・リトルブラザー〜弟がビッグになりまして〜

空須モトハル

第1話

弟がビッグになりまして

何故こうなってしまったのか。

おそらくいろんな要因が悪い意味で奇跡的なタイミングで重なったのだろうとは思うけれどどうあがいても私の責任は免れない。

今私は暗い部屋で事の経緯を書かされている。

何故このような事態に陥ったのかを反省の意も含めて書くよう指示を受けたので忘却へと消えゆく記憶の川を必死に遡っている途中なのだ。


あれはおそらく4時間ほどまえのことだ。

その日の魔法薬学の授業で「成長促進薬」を習った。

これは植物などに使用するものらしく間違っても絶対に人間に向けて使ってはいけないと担当教員が鬼の形相で説明した。


「人間にも効果はあるのですか先生?」


「あります。ですが使用するのは厳禁です。なぜかわかりますか?」


「えっと、生物の命の操作の禁止に違反するから?」


「そのとおりです」


生物の命の操作の禁止、とは魔法学院入学時に一番最初に教えられる厳守しなければいけない法律の一つだ。

命を縮めたり延ばしたり死なせたり蘇らせたりしてはいけないというものだ。

植物は生命ではないのかという議論はあるが一応植物は合法とされている。

違反すれば地の果てにあるという魔法使いの監獄に収監され厳罰を受けること必至である。


「そういうわけで今回課題とするのは効果のかなり低いタイプの成長促進薬の制作です。せいぜい種から数秒で発芽する程度の代物ですが、それでも生き物に使ってはいけません。使ったら何かしらの恐ろしい罰が待っていると心得てください」


そういった脅しの一言で授業は終わった。

生徒たちはさっそく次の授業へ向かう。

私も今日の講義が終わったらすぐに材料を取り扱っている薬草店に向かう予定だった。

しかし放課後に緊急で委員会の仕事が入ってしまい私はかなり出遅れる形になったのだ。

召喚魔法で想定より大量に呼び出してしまったネズミの捕獲に奔走し疲れきった足で薬草店に向かう。

そこでふと甘い魅力的な香りが鼻を擽った。

派手な店構えの菓子店の店先では出来たての菓子が私を食べてと言わんばかりの芳香と美しさで客を呼び込んでいる。

その中で私の目を引いたのはピンクのチョコレートがかかったドーナツだった。

疲れ切った私の目にその糖と油のキメラは非常にそそられるものがあったが、今の手持ちでは一つしか買えない。

私には年の離れた弟がいて、懐いてくれていてとてもカワイイ。

そんな弟の好物がドーナツなのである。

弟がかわいい姉としては一つでも弟のためにと買っていくべきなのだろうが、残念ながら今の私もドーナツが食べたい。

仕方ない、ドーナツは見なかったことにしようと渾身の鋼の意志をもって陰気でたくさんの薬草の香りが混ざった複雑怪奇な臭いの充満した薬草店のドアを開けた。


幸いというか、目当ての薬草は売り切れているということもなくまだ十分に在庫はあった。

薬草の植わったポットを持ってレジに向かおうとしたとき、店の片隅に特売と書かれたコーナーを見つけた。

覗いてみるとそこにはなんとなく元気のない、枯れかけの薬草が集めて置かれていて、その中に私が買おうとしている種類の薬草があったのだ。

みたところ、青々としていて通常価額のものと変わりはない。

ひょいとそのポットを掴んで店員になぜ半額なのかと聞く。

顔色の悪い中年の男性店員はポットを一瞥してこう言い放った。


「ああ、これね。これは風邪ひいてるの。たまにくしゃみするけど効能自体は普通のものと遜色ないよ」


店員が薬草の花弁を擽ると、はくしょんと確かにくしゃみをした。

しかしこれくらいのくしゃみなら気になることはない。

私は風邪を引いた半額の薬草を買い、そして浮いた金でドーナツを二つ買って帰ることができたのだった。


帰宅してドーナツをキッチンのテーブルの上に置き、地下にある工房へと薬の材料を持って降りる。

入口にある明かりをつけると、本や薬草、その他の素材や機材がぎっしり詰め込まれた棚に囲まれた狭い部屋が照らし出される。

中央には魔法使いの家なら代々受け継がれてきた大鍋が例に漏れず鎮座しており黒くつやつやと光っている。

薬の材料を作業机に揃えていく。

先ほど購入した風邪っぴきの薬草、春の精の鱗粉、蒸留水、太陽オレンジの種、夏に集めた暑気などなど。

一応薬草にはマスクがわりに小さなスカーフを巻いておく。

私の方の準備といえば長い髪を結いまとめあげ、薬品づくり用のローブを羽織り、自身もマスクをする。

それでは制作開始だ。

ただこのとき私は大事な工程を忘れていたのだ。

魔法薬作りはとてもデリケートな作業なので作業環境がちゃんと整っているか始める前に確認しなければならないということを。


次々と材料を放り込んでいき、大鍋の中で煮詰めていく。

トロトロに煮込まれ、いっそ美味しそうな香りがしてくるが魔法薬というのはだいたい不味いものである。

今は明るいハチミツのような色だがこれに春の精の鱗粉を加えると一気に毒々しいピンク色になるのだ。

そうなったらもうほぼ完成で、あとは最後に薬草を加えて軽く煮てできあがり。

簡単な作業である。

すくなくとも魔法学院5年生の魔法薬学を学んでいる魔女なら失敗しない作業だった。


春の精の鱗粉を加えると、ぼわんと暖かく春の気配を含んだ甘い香りが立ち上る。

薬の色が絵の具を混ぜるようにさっと変わり、今しがたちぎった薬草を散らしてもうあと少しで出来上がるとなった頃のことだった。

ぶ〜んと何かの羽音が聞こえる。


「え?」


鍋から顔を上げると、眠たげに目をこする小妖精が宙に浮かんでいた。

妖精と言ってもかわいくも美しくもない、銀色の体をもつ一般家庭によく見られるちょっとした虫のような存在だ。

しかし今は寒い時期なので春の気を好む小妖精は皆冬眠しているのだがどうやら春の精の鱗粉に反応して起きてしまった個体がいたらしい。


「え〜…やだ入らないでよ」


小妖精がうっかり入らぬよう見張りながら手ばやく鍋をかき回している間に小妖精はぶーんぶーんとあちらこちらを寝ぼけたように飛び回りそして葉をもぎ終えた薬草を目に止めた。

そして気になったのか薬草にかけてあったマスクをぺろんとめくったのである。

瞬間、薬草が特大級のくしゃみをし小妖精を吹き飛ばした。

吹き飛ばされた小妖精葉ひょろろと宙を舞い、そして鍋の中にぽちゃんと落ちた。


「あ」


もがくこともなく薬の中に沈んでいった小妖精を眺めながら、私は呆然とした。

グツグツ煮える鍋の中身を見下ろしながら処理方法を考えなくてはならず頭を抱えてしまう。

もったいないが廃棄しなくてはならず廃棄用の瓶をとりにいこうとしたその時だ。

ぶるぶると鍋の中にある薬品が震えだしたかと思うと、ひゅっとピンク色のもわもわした気体が飛び出した。

気体は鍋の上にふわふわ渦巻いていたかと思うと急に部屋中を駆け回りだした。


「やっ、なにこれ!イヤーーー!」


慌てて部屋の片隅に逃げ、蹲りながら「固定」の魔法を思い出す。

なかなか使わない魔法なので出てこない。


「ストップ、いやストップストーン、いやストップアイスだっけ」


混乱してしまい思い出せない。

その間にもぼひゅんぼひゅんと気体は壁に私にぶつかりながら飛び回っている。

そして悲劇は起きる。

ガチャ、と工房の扉が開いたのだ。


「おねーちゃん大丈夫?」


愛しい弟がドーナツを頬張りながら来てしまった。


「テオ!開けちゃダメ!」


「ふえ?」


気体が、キキッと方向を変える。

そしてテオめがけて一直線に飛んでいき

ひゅぽっと口の中に入ってしまった。


「テオ!」


「んえ、まずい…」


ケッケッ吐き出す素振りを見せていたテオが急に口を抑えた。


「はっ、はっ…」

はくしょん!!!


大きなくしゃみととも耳や鼻からぶわっとピンク色の煙が噴き出したのだ。

とたんに部屋中が煙で満たされてしまう。


「けほっ…けほっ…テオ!!」


私は口をおさえて立ち上がり、テオのいた方向へ駆け出す。

そして噎せている人影を見つけて、ひしっと抱きしめたのだ。


「テオごめん…!大丈夫!?エアリア!」


風を巻き起こす魔法を展開し煙を吹き飛ばす。

段々と煙が晴れていった。


「テオごめんね〜!!……テオ?」


ふとそこで違和感を感じて抱きしめていたそれにから身をはがす。 

弟のテオはまだ8歳で私が抱きしめるとすっぽりと腕の中に収まってしまうはずだ。

それが、どちらかというと今は私が抱きついているような形になっている。

風の魔法が煙を吹き飛ばしようやく至近距離の視界がひらけた。


鳶色のサラサラの髪に、青みがかった灰色の瞳に白くすらりとした四肢、細身だががっしりした胸板を持つ大人の男性がそこにいた。

今まで周りで見たことがないほどの美丈夫で、誰だか知らないが思わず見惚れそうになる。

ぽーっとしかけたところで、我に返った。


「だ、誰!?テオはどこ!」


すると男性は私を見て首を傾げて言い放った。


「何言ってるのおねーちゃん、テオはぼくだよ」


「えっ」


何を言うのかテオは8歳の私のかわいい弟だぞ。

あなたのような美しい男性が弟ならとても嬉しいが事実私にはこんな弟はいない。

と言うかどう見ても私よりずっと大人である。

しかし、よくよく見てみれば男性はその美しい均整のとれた体に恐ろしくサイズの合わない服を纏っている。

もはや纏っているというより大事な部分が辛うじて隠されているといった状態でつまり私はほぼ裸の男性に抱きついているというわけだ。


「ギャーー!!」


慌てて立ち退き、杖で魔法をかける。

魔法ですぐに彼はぴったりの服を得た。

それはサイズこそ違うが弟の制服にそっくりだった。

魔法学院初等科3年生を示す若緑色のシャツ襟のライン。

どんなに美丈夫でも子供用の制服を着用しているなんて危ない人物としか思えない。


「あれ?おねーちゃん小さくなった」


「あなたが大きいのよっ!ていうか私はあなたのおねーちゃんじゃない!」


「え〜」


「あなたがテオなら証拠出しなさいよ!」


「証拠ぉ…?」


男性はうーんと考えた後、私に駆け寄るとシャツの襟を寛げて見せた。   


「ちょ…!」


「ほら、ここにあるほくろ。おねーちゃんと同じやつ」


男性の右胸の上の方に星型のほくろがある。

これはちょっと珍しくて私とテオくらいしかあるのをみたことがない。

確かにテオにはここにほくろがある。

彼にはもう一つあるが…


「こことー、おしり!」


そう言ってズボンをずらそうとし始めるので慌てて止めた。


「…じゃあ、私のほくろのある場所は」


「もちろん知ってるよ!ここ!」


ちょうど腰骨のあたりを叩いて示す。

私は頭を抱えて崩れ落ちた。


「テオ…なのね…」


魔法による事故を引き起こしあまつさえ弟に被害を与えたとなってはもう報告せざるを得ない。

担当教員どころかもっと上のやばい人が出てくるかもしれないが隠し通すことは不可能だ。

すっからかんになり自動的に火の消えた鍋からは甘い匂いが残っていた。


担当教員に、緊急報告を飛ばすと文字通りすぐに飛んできた。

ヴァネッサという中年の魔法薬学の担当教員はじっくりと現場である工房を見聞した後、テオを一瞥して深いため息をついた。


「ちょっと私の裁量でどうにかできることではないですね…」


「えっ、私地の果ての監獄行きですか?」


「さぁ〜コベル院長のご判断次第ですね」


ダレン・コベル魔法学院院長。

静かなる炎神と呼ばれ、かつてあったという魔法使いの大きな戦争で前線に立ち火の壁を作り上げ味方を守り火の海で敵陣を飲み込んだという魔導軍人上がりの男性であり全教員全生徒に恐れられる最強かつ最恐の存在である。

そんなコベル院長の前に立たされるというだけで気が遠くなるのに下手すれば監獄行きである。


「では校長室へ行きましょう。校長は千里眼で今現場を確認していましたのですぐにでもご判断が下るでしょう」


そして私は力の入らない体をヴァネッサ先生に連れられ学院の一番高い塔の最上階にある院長室に赴いた。

院長のドアを開く前にそっと小さい声でテオはどうなるのかと聞くと学院の保健部の担当が検査に当たるということだった。


「何もないと良いけど…」


「弟の心配も良いけど自分の心配もしなさいね、さぁ行くわよ」


重い樫でできた扉が開く。

質実剛健を体現したような物が少なく整理整頓の行き届いた部屋の奥に石像のようにどっしりとコベル院長が待ち構えていた。

威圧感を擬人化したような圧のある顔でじろりと睨みつけられヴァネッサ先生の後ろに隠れたくなったが足に固定の魔法をかけられその場で棒立ちになるしかなかった。


「リデル・エバス、自分が何をしたかはわかっているな」


「…はい」


「生命操作の禁止は習っているな。それを破ればどうなるか」


「私は地の果ての監獄行きになるのでしょうか」


「それは今後の調査の結果による。まずは本件の経緯を説明せよ…懲罰室へ」


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