第039話 死闘の果てに
咆哮と共に黒影の体毛が逆立ち、宙を彷徨わせていた三本の尾が意志を持つ。怒りの発露。無作為に放たれる、乱撃の数々。尾が激突する毎に大地はひび割れ、崖は雪崩を起こす。
「――――っと!」
出鱈目な軌道を、紙一重で躱すユーステス。目の前を通過する黒き体毛。遅れてやって来る暴風――かまいたち。視認出来ぬ斬撃が頬を掠め、知らず一筋、血が流れ出る。
「危ねぇな、おいッ……!」
頬に滲む血を手の甲で拭いながら、眼前で暴れ狂う黒影に吐き捨てる。尾の威力は元より、躱したとて楽観は出来ぬと来た。厄介この上ない。かと言って、ナイフで受けると言う選択肢は存在しない。
あの尾は刀――
ひとつひとつが研ぎ澄まされた、芯の通った業物だ。まともに受けたならば、悲鳴を上げる獲物はこちらの方。昨日、黒影の尾をいなしたセブンの手甲剣がいったいどうなったか。この網膜に、嫌という程焼き付いている。
「だったら、全部避け切るまでだろうが!」
啖呵を切ったは良い物の、未だ震えは収まらない。相手は異形。生命の在り方からして、人とは異なる次元にいる。この身に宿る生存本能が、否が応でも警告を発する。
逃げろ。
逃げろ。
今直ぐここから、ニゲロ――――
気を抜けば、たちまち恐怖が心を覆い尽くす。
「武者震いなんだよ、こんな物はっ!!」
自らを鼓舞し、黒影を見据える。周囲に散らばるヘルハウンドの死骸。黒影の尾を受け、断絶、果ては潰れ、原形すらも留めぬ酷い有様だ。そこに仲間を弔う気持ちなど、あろうはずもない。王は王でも、奴は暴君だったと言う訳だ。
黒影は我を忘れ、その注意は分断されている。前方のユーステス、後方のセブン。同時に相手取るのは難しい。だからこそ、暴れ回るしか能がない。尾の軌道はどれも単調、避け切れる。
(そろそろか……?)
尾による攻撃では埒が明かぬと踏んだのか。
黒影は三尾を躰へ戻すと、ふわりと空間を包み込んだ。
「――――こいつは!!」
予兆だ。
周囲の空気が変質する。熱を持ち、じりじりと肌を焼き焦がすこの感覚。忘れもしない。
尾により形成された蕾。
その中心から、太陽が生まれ出づる。
「来るかっ!!」
「――!!」
狙いはセブン。
収束し始める焔、黒影の眼が怪しく光る。
この時を、待っていた――――
「アイム、今だっ!!」
ユーステスの叫びを聞きつけ、草陰ががさりと揺れる。上空へ顔を向け、両掌を太陽へかざして呟く少年。
「天候よ、変わりて惑え……! 【
祈りは即座に、天を動かす。
歪む空、その狭間より灰色の曇が湧き出る。
途端、豪雨が降りしきる。
荒れた岩肌を濡らし、木々に潤いをもたらす恵みの雨。
これが自然法則すら捻じ曲げる、ギフトの力。
――――!?
黒影の躰に雨が触れ、黒き体毛がしな垂れる。
収束を始めていた焔はたちまち霧散し、三本の尾はだらりと垂れ下がった。
効いている……戦闘続行だ。
「よしっ、行くぞ!!」
機は逃さない。意表を突く。
右腕に全神経を集中し――――
「【
隆起する二の腕の筋肉。身の丈にそぐわぬそれは、ギフトにより生み出された仮初の剛腕。大きく振りかぶり、そのままの勢いでナイフを投げ放つ。
――――ガァアアアアアアッツ!!
がら空きの胴体に、見事刀身が突き刺さる。
「命中っ……!」
黒影の雄叫びを聞くと同時に、ユーステスの口元には笑みが浮かんだ。
ギフト【
先日血の槍を防いだ、黒影の分厚き体表。雨を受け、その体質が変化している。
焔は封じた。
刃も通る。
これは――――
「行けるぞ、セブンっ!!」
「分かってる!」
言うや早し。セブンは立ちどころに黒影の懐に潜り込むと、次々とその脚へと斬りかかった。吹き出る血飛沫が雨と混じり、地面を薄っすら赤く濡らす。手甲剣の先をちらりと見ながら、セブンは呟く。
「……化け物でも、血……赤いんだ……」
ステップを切り返す度に水滴が飛び、残像を映し出す。セブンのスピードに、水の落下が追い付いていない。
「他の
ダメ押しの一突き。
足根に深々と刺さった剣の先から、止めどなく血が溢れ出た。
低い唸りを上げながら、黒影は尾を振りかざす。怒りのままに大地を叩き割り、木々を粉砕するも、腹下で這い廻るセブンには届かない。一度足元へと入り込んでしまえばこっちの物だ。
「負けてられないな……!」
囮はセブンに任せ、ユーステスは急所を見据える。四肢をいくら刻んだところで、致命傷にはなりえない。これは前座だ。黒影の体勢が崩れたその刹那、勝利の一撃をお見舞いする為に。狙うは瞳か、喉元か。
何れにしろ、この状況。
奴はあまりにも無力――――
キィイイイイイイイン――――!!!!
突如として、鼓膜を劈く不協和音。
「うおっ――――!?」
「――なっ、なに、これ?」
黒影の額で蠢く第三の目が、紅く光り輝く。
同時に、肉体の自由を奪われた。
(金縛りっっ!?)
何が起こっている?
理解が追い付かない。
指一本たりとも動かせない状況下、徐々に足が地面と離れる。体が宙へと浮いているのだ。
ゆっくりゆっくりと、浮遊しながら。
気が付けば、直ぐ目の前には黒影の顔があった。怒りで歪んだ口元、隙間から漏れる臭気が鼻を刺す。
(違うっ!! 金縛りじゃない……
眼球を僅かに動かすと、隣には同じく囚われの身となったセブンの姿。苦悶の表情を浮かべながらも、憎々しげに黒影の顔を睨み付けている。
口の端を歪めた黒影。
獣も嗤うのだと、暢気にもそう思った。
黒影は前足を大きく振りかぶる。
先端では鈍く光る爪――――
ヤバッっ…………!!
振り下ろされる、その刹那。
グアァァァァアアアアア――――!!!!
「なんだっ――!?」
雷光は一直線に、黒き胴を射抜いた。割れんばかりの悲鳴が轟く。金縛りが解け、そのまま地面へと落下するユーステス。受け身も取れず、横腹を強打。
「――――ぐうっっ……! ゴホっ!! ゴホっ!!」
丸まり咳込む。雨でぼやける視界。朦朧とする意識で、後ろを覗き込むと、草陰より飛び出した小さな人影が目に入る。
「ユーステスっ!!!!」
アイムのギフトは、天候を操る。
雷鳴を――
そしてその軌道すらも、意のままに。
「今だよっ!!!!」
必死の形相で叫ぶアイムに呼応して、膝に力を入れる。自由の戻った肉体に酸素を目一杯送り込み、声を張り上げた。
「――――はああああああっッ!!」
前後不覚に陥った黒影。
その足元まで、一気に駆ける。
見上げる先は奴の顔。
額で蠢くあの瞳を、潰す――――
「【
ギフトを使い足の筋肉を強化。
バネの様に跳躍するも、僅かに高さが足りない。
「くそっが!!」
だが、ただでは転ばない。
落下の勢いに任せ、そのまま黒影の右目を抉り潰す。
ガァアアアアアッッツツ――――!!!!
宙ぶら姿勢のまま、ナイフの切っ先を深く押し込む。抉る程に黒影の眼孔からは血が噴き出し、咆哮を発しながら首を振る。
痛がってる暇はないぞ、化け物。
次の一撃だ――――
「セブンっ、いけええええっつ――――ッツ!!!!!」
セブンは起き上がると、跳躍。
黒影との距離を詰め、そのまま瞬く間に額まで登り上がった。
「そこだあああっつ!!!!」
手甲剣が、額の瞳を貫く。
これであの怪しげな術は使えない。
ユーステスはナイフから手を離すと、地面を転がった。そのまま黒影の腹下へと潜り込むと、黒き胴へと刻まれた十文字の傷を見据える。
先程散々と暴れ回ったセブン。隙を見て、奴の胴にマーキングを施したのだ。余裕があればやってくれと依頼していた事ではあるのだが……
「流石だ、セブンっ!!」
どってぱらに刻まれたクロスの傷。黒き体毛が分たれ、肉が剥き出しとなっている。血が滲むその部位に、左手を思いっきり突っ込む。
つい昨日の出来事であった。
この左手のひらに、自らナイフを向けたのは。
怖気づいた足を再び動かす為、逃げの一手。
明確な敗北であった。
そして今。
この傷は、お前を殺す刃となる――――
「こいつで――終わりだっ!!」
薄皮となった肉の中に、左手首が埋没する。
ここであれば、雨の影響など関係ない。
「咲き誇れ……【
ユーステスの叫びと同時に、黒影の背からは深紅の刃が飛び出した。黒き表皮を貫通し、天へ向かって起立する串刺しの棘。
グガアアアアアッッツツ――――!!!!!
黒影の腹より生じ、背中へと貫通するそれらは、雨に濡れるとたちまち形を失い、その背を赤く染め上げた。
黒影は口より血反吐を吐き、倒れ伏した。地鳴りで大地がひとつ大きく揺れ、遅れて宙を彷徨っていた三尾が地に落ち、ピクリとも動かなくなった。
手甲剣をしまいながら、セブンはユーステスを見据える。
「…………えげつな。やっぱ祝福者って、どうかしてる」
ユーステスの左手のひらからは、脈動する赤い刃がまだ僅かに顔を出していた。
目線が合うと、ユーステスはにっと笑い左手に拳を作る。その手を高く掲げ、親指を立てた。
「まあでも……こんな勝利も、悪くないかもね」
そう呟くセブンの口元も、本人も気付かぬ間に。僅かばかり、綻んでいた。
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