つがいの復讐鬼
もつなべにこみ
序章 黒衣の騎士
第001話 始まりの街
なんて事のない毎日が、明日も当然やって来ると思っていた。
父母の記憶はおぼろげだ。二人の関心は自分には向けられなかった、その事が起因するのだろう。それでも、日々不自由無く生きていけるだけの衣食住を与えてくれた。
質素な服だが、機能は満たす。豪勢とまでは言わないが、飢える事のない食事。雨風を凌げる空間。十分だ。
集落の皆は優しく、まるで家族のよう。顔を合わせれば気さくに挨拶をし、時には彼らの厚意に甘えることもあった。聞けば、父母はこの集落とは別の場所からやって来た、異邦人なのだという。
余所者の自分達にここまで目をかけてくれるとは、感謝の念に尽きない。
飯を食べ、薪割りをし、週に一度は集落の外へと買い出しへ。毎日が同じことの繰り返し。父母からは特に何も求められず、期待されず。ただ空虚な日々を過ごした。
平凡、無味、退屈。
だがそれでも、守りたいものは確かにあった。
無垢な妹の見せる、とびきりの笑顔。
ただそれだけが、霧がかった視界に差す唯一の光だった。
妹は父母の寵愛を一手に受けていた。猫撫で声の父母に笑顔で応対しながらも、時折悲痛そうにこちらを見つめる妹の姿に、言い様もない惨めさを覚えた。
なぜ自分が疎んじられ、妹ばかりが贔屓されるのか。
妹は一日の大半をベッドで過ごす。不自由な肉体、歩行には労苦を要した。肩を貸すたび、ごめんと呟きが聞こえる。その時の彼女の顔は、今でも鮮明に思い出す。
ベッドと言う名の狭き檻――彼女にとってはそれこそが、世界の全て。
だがそれでも、妹の周りには多くの人々が集まった。
遠い大陸の吟遊詩人から、とある闘技場の勇者まで。集落という垣根を越え、稀有なる物語の数々が妹の心を踊らせた。檻の中にいながらも、彼女の毎日は充実している様だった。
憎らしい。
自分はこんなにも妹の面倒を見てやっているのに、なぜ誰からも見向きもされないのか。あとどれ程の我慢を積み重ねれば、この身は報われるのか。
狭き集落、変わり映えのしない毎日。嫌気が差す。あの息が詰まる窮屈な家を、直ぐにでも飛び出したい。年々膨れ上がる、外界への願望。早くここから、解放して欲しい。
そんな思いを押し殺し、わざわざ隣に寄り添ってやっていると言うのに。
幼き自分は愚かにも、妹に侮蔑の言葉を吐いた。足の不自由な彼女にとって、それはいかに心を痛める言葉だっただろうか。
だがそれでも――彼女は微笑んだ。
慈愛の心で、荒んだこの汚泥を温かく包み込んだ。
「お兄ちゃんはいつかここを出て、世界を見て回ってね。それで、たまにで良いから…… 家に戻って来て……私に、外のお話を聞かせてくれたら嬉しいな」
妹は、分かっていた。
自分の存在が兄の足枷になっていると――
誰よりも、理解していた。
押し寄せる後悔。だが、もう遅い。
言わせてしまった……
彼女に、こんなにも残酷な言葉を。
自身の未熟さを呪い、頬を涙が伝う。
その日から――この身は全て、彼女に捧げると誓った。
失った今になって、痛感する。あの日常が。あの退屈に満ちた日常こそが、何よりも尊い時間だったのだと。
全てを焼き払う、帝国の蒼き炎。家屋は燃え落ち、火柱が漆黒の空へと立ちのぼる。生者の姿は既にない。襲撃の際に偶然集落から離れていた、たった一人の少年を除いては。
「なんだよっ、これっ……!」
少年は両手いっぱいの荷物をその場に落とし、しばし放心した。あまりの光景に、脳が理解を拒む。眼前には燃え盛る木々。そこに括られた肉塊の数々が、彼の視界を覆いつくす。
先刻まで人の形を成していたそれらは、蒼き炎に巻かれて地面に爛れ落ちる。焼け痕からは骨が透け、鼻が曲がるほどの悪臭が周囲に立ち込めていた。
「っつ――!!」
思わずその場に嘔吐する。明滅する視界、心臓が張り裂けそうなほどの動悸を抑え込みながら。それでも彼は、震える足で必死に走り出す。
家族の元へ。
「メリルはっ……!! メリルっ……メリルっっ!!」
愛する妹の無事を、ただひたすらに願いながら。
数刻の後、少年の叫び声が夜闇を引き裂いた。喉奥から絞り出すような絶叫は、蒼き炎へと吸い込まれ消え失せる。
この日、名もなきひとつの集落が滅ぼされた。女子供も容赦なく、その場にいる者たちを徹底的に殲滅した。残された光景は、言うなれば地獄。
だがそれは、この世界において決して珍しい出来事ではない。
大陸西部、ルミナリア帝国の台頭。
長年隣国と小競り合いを続けていた帝国だったが、その均衡は容易く崩れ去った。悪辣なる皇帝、ルシウス・エッデ・アーデハルト。彼の即位と共に。
自国にとって有益な者には恩恵を、逆らう者には粛清を。悪政を糧に、帝国は軍事力を肥え太らせる。もはや誰も、その歩みを止められない。
度重なる殲滅戦。積み上がる死者の山。皇帝ルシウスの目指す理想郷を信奉し、行われる非道の数々。今日もまた、どこかで悲鳴が生まれる。
「…………っさない!」
しかし、かの国の者たちはまだ気が付いていなかった。
「許さない……俺は絶対に!! 貴様らをっ!!!!」
彼らが今宵焼き払った集落、その蒼き炎のただ中に。
「俺から全てを奪った貴様らを、必ず殺すっ!! この腐った世界を、俺はっ!! ぶっ壊してやる!!」
いずれ帝国そのものを焼き尽くす程の、火種が燻っていたことに。
◇
九年後――
「やって来ました、スラム街! 久々だわ、この空気! 相も変わらず、ひっどいところ!!」
暗く淀んだ居住区に、場違いなほど能天気な声が轟いた。貧民街にはおよそ似つかわしくない高貴な佇まいと装飾品を携え、一人の少女がその地に降り立つ。
招かれざる唐突な来訪者に、スラムの住民たちは怪訝な表情を浮かべた。
「懐かしいわ、本当に! ここは変わらないわね。道行くみんな、元気もないし。なんか空気も埃っぽい…… 良く住んでいられるわね、こんな場所」
彼女は帝国の第四皇女。名をリーンベル。黄金の長髪が風で揺れ、碧色に光り輝く頭上のティアラは、周囲の者たちの視線をたちまち釘付けにした。
凛と張った胸に澄んだ声音、弾ける笑顔。その全てが瞬く間に人々の心を射止めた。わざわざ歩みを止め、振り返る者たちまで出る始末だ。
「お嬢様、声のトーンを落としてください。悪目立ちしておりますよ」
「悪目立ちって何よ、ユーステス! 少しくらい羽目を外しても良いじゃない…… ここまで来るのに随分と時間が掛かったのだから。お尻が痛いわ、全くもう!」
しかめっ面で自らの臀部を見やりながら、不満を漏らすリーンベル。その傍ら、馬を適当な納屋に繋ぎながら返事をする青年の姿があった。
ユーステスと呼ばれた彼は、皇女相手にも臆することなく言葉を続けた。
「ヘイムダルからここまで三十分弱ですか…… あまり大した距離ではないと思いますよ」
「私はか弱い乙女なの! 無骨なあなたと一緒にしないでちょうだい!」
やれやれといった風に頭を振りながら、ユーステスは馬を繋ぎ終えて振り返る。背丈はリーンベルと比べて頭二つ分ほど大きい、整った顔立ちの青年である。黒を基調とした軽装に身を包み、胸には朱色の記章が煌めいている。
すると二人にやや遅れて、甲冑に身を包んだ一人の兵士がスラムの入り口をくぐった。馬の歩く振動で、全身がカチャカチャと音を立てている。その男の到着を待たずして、リーンベルはいち早くスラムの中へと駆け出した。
ぐるりと周囲を見渡しながら広場を抜け、両手を目一杯振って声を張り上げる。
「ユーステス~、はやく来なさいよ~」
どんどん遠ざかる声にユーステスは軽い頭痛を覚えながらも、到着した甲冑の男に声をかけた。
「馬はこちらに。一時間もしたら戻ってきますので」
「了解です、ユーステス様。姫様の護衛はお任せしました、お気を付けて」
手短に用件だけを伝え、ユーステスはリーンベルの後を追う。派手なドレス姿が功を奏し、すぐさま彼女を発見した。目をキラキラさせながら、スラムの市場を眺めている。
「みてみて、ユーステス! 見た事がないような品物ばかりよ! えー、なになに…… サラマンダーの皮にヘルハウンドの牙、ユニコーンの血ですって!! なにこれ、幻獣ばっかり!!」
品物を手に取りながら、鼻息荒く興奮する。
「こんなの、街の市場では売ってないわよね!? 私、幻獣の素材なんて見たの初めて! あー、でも……ペガサスの剥製なら、お城のどこかに置いてあった気も……」
「落ち着いてください、お嬢様。ただでさえ目立つそのお姿なのですから、せめて言動くらいは控えてください。『お城お城』などと…… 自らの素性を言いふらしているようなものですよ」
たしなめるユーステスに、リーンベルがジトっとした視線を向けた。
「何よそれ? 私に自分を偽れというの? それに服装のことを言うならね。昨夜あなたの準備したあの服! 何なのアレ! あり得ないわ! レディに着せる物とは思えない。センスゼロよ、ゼロ!」
「またその話ですか…… ここに来るまでに何度もお叱りを受けたのですから、もう許して下さいよ。スラムでの隠密行動と聞き、私なりに相応の服を見繕ったのですよ?」
「お嬢様は破いて捨ててしまわれましたが……」
ぼそりと付け足す。
「あんなボロ雑巾みたいなのを身に着けるぐらいなら、裸の方がまだマシよ!」
リーンベルは耳聡く聞きつけ、烈火の如く抗議した。
昨夜の衣服についての一悶着を思い出し、ユーステスの口元が綻ぶ。スラムへ赴くにあたり、先ずは服を準備する流れとなったのだ。これは皇女のお忍び訪問だ。まさか煌びやかなドレス姿で出向くわけにもいかない。それでは目立ってしょうがない。
ユーステスの用意した麻布は、しかし虚しくもびりびりに破かれ、灰と帰した。胸元がはだけ過ぎていたのがいけなかったのかもしれない。要反省だ。
「では、もし次の機会があれば是非とも裸で。お嬢様の白金のような美しい肌をスラムの住人に見せつける、絶好のチャンスですよ!」
頭をペチンとはたかれた。
彼は言葉遣いこそ丁寧を装ってはいるが、リーンベルとの会話には一切の遠慮がない。そこには『皇族とその付き人』という関係性を感じさせないだけの、気安さが漂っていた。
市場の見学が飽きたのか、リーンベルはスラムのさらなる奥地を目指して歩みを進める。踏みしめるほどに周囲の活気は失われていき、今は住人とすれ違うこともほとんど無くなっていた。
歩幅を合わせながら、ユーステスは耳打ちした。
「お嬢様、もう随分と奥深くまで来ています。これ以上は危険かと」
「これぐらい大丈夫大丈夫! お忍びでのスラム訪問なんて滅多にないことなんだから、目いっぱい楽しまないと!」
「お忍びだと分かっているならば、せめてもう少し自覚ある行動を心掛けてほしいものですよ……」
本日何度目かわからないリーンベルの能天気な言葉に、軽いため息交じりの返答をするユーステス。帝国の皇女がスラム訪問など、本来ならばもってのほかだ。
特に二人がやって来たこの場所は、大陸全土でもことさら治安が悪く、危険な区域と囁かれている。人通りの多い市場ならいざ知らず、奥へ進めば進むほど危険が増すのは自明の理であった。
そんな二人が会話をしながら歩む前方に、どこからともなく現れた一人の男。
「…………あの女か」
まだ距離が離れており、男の姿は二人の目には映らない。無精髭とクシャクシャの髪、穴だらけの汚れた衣服を身に着けた、いかにもスラムの住人といった風貌である。
男は徐々に歩を早め、ユーステス達へと詰め寄る。その折、小さく呟いた。
「それじゃあ、いっちょやりますかねっ…………! 【
言葉は宙に溶け、風を切る音だけがその場に轟いた。
目にも止まらぬスピード、男が眼前へと迫る。
異変を感じたユーステス、反射で体が動いた。咄嗟にリーンベルへと覆いかぶさり、その身を守る。
「危ないっ――お嬢様っ!!」
「きゃっ!!」
突然抱きしめられる形となったリーンベル。慌てふためき、その頬にはうっすらと朱色が散った。ユーステスは胸の中のリーンベルへ視線を向けると、彼女はぷいっと目をそらした。
「大丈夫ですかっ――、お怪我は!?」
「ええ……ええ、平気よ」
脱力しその場にへたり込んだリーンベルは、それでもなんとか平静を取り戻す。その視線が僅かに上を向くと、ぽつりと言葉を漏らした。
「ティアラは……持っていかれちゃったみたいだけど」
やや遅れて、ユーステスの視線が彼女の頭部を捉える。その頭上からは本来あるべきはずの輝き。碧色のティアラが失われていた。
ユーステスが遠く目線をやると、ティアラを右手に掴んだ男が路地裏へと入って行く姿が映った。走って追いかけても、もう間に合わない距離だろう。
「怪我がないのは幸いでした。しかし、盗賊とは…… あの動きは……間違いなく、奴は祝福者ですね」
「いきなり何なのよ、もうっ!! 言葉もなしに襲い掛かって来るだなんて、いったいどんな野蛮人!?」
混乱は、そのまま怒りへ転じたのだろう。リーンベルはドレスをギュッと握りしめ、わなわなと震えていた。
「前に来た時も、変なのに絡まれたし……どうなってるのよ、この街は!」
「前……と言われれば…… 私とお嬢様が初めて出会った、あの日の事ですかね? 当時はお嬢様にも非があったと記憶しておりますが…… 随分懐かしいですね」
記憶の欠片を手繰り寄せる。思い返せば、あれは何とも運命的な出会いであった。ゴロツキに襲われているお嬢様を、この私が――
「ちょっと! 何感傷に浸ってるのよ! 毎回襲われてるのは私の方なのよ!? まったく、呪われてるんじゃないかって思うわね…… あー、いやいやっ!!」
「二度あることは三度あるとも言いますね」
「縁起でもない事を言わないで頂戴……」
意地の悪い追撃で、げんなりとした顔を見せるリーンベル。ユーステスは周囲をサッと確認すると、彼女を立ち上がらせる為に手を伸ばした。
「ここは危険です。一度入り口まで戻りましょうか」
座り込んでいたリーンベルを起こし、二人はその場を後にするのだった。
◇
予定よりも早く戻ってきた二人を見、甲冑の男は首を傾げた。
「何かありましたか?」
「お嬢様が盗賊に襲われました。幸い怪我はないとのことですが」
「盗賊ですって!? まさかこの短時間で襲撃されるとは…… これだからスラムはっ!!」
(襲撃されたのは間違いなく、お嬢様の悪目立ちも要因なのだが)
喉元まで出かかった言葉を何とか飲み込み、ユーステスはリーンベルへと向き直った。
「心なしか街全体がざわついている気がします。あまりこの場に長居しないほうが良いかと。今日はもう撤収しましょう」
「えーっ!? 何よそれっ!! せっかく来たのに、もう終わりなの!?」
本来の予定より大幅に早い撤退を余儀なくされ、リーンベルはふくれっ面であった。明らかに機嫌の悪くなった主人を前に、それでもユーステスは臆せずに話しかけた。
「だからあれほど言ったではありませんか、目立つなと。もし怪我でもしていたらと思うと…… 最悪、一生城での軟禁生活を言い渡されてもおかしくはありませんよ?」
「お小言は聞きたくないわ! それよりもユーステス。帰る前に、分かっているわよね?」
先刻までの陽気さは露と消え、リーンベルは氷のような眼差しで言葉を続けた。
「この私に――帝国第四皇女に刃を向けた。相手は我らがルミナリアに仇なす不敬者よ。即刻見つけ出して始末しなさい」
弛緩した空気は、その一言でたちまち凍り付く。
何のためらいもなく告げる主のその命令に、
「了解しました、お嬢様。貴方の望むがままに……」
ユーステスは淡々と、肯定の意を示すのだった。
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