第38話 エリスの不調(前編)

 ――それは二人がそろそろ公園から出ようというときのことだった。



「姉さん。送っていく前に、少し腹ごしらえしてもいい?」

「いいけど、腹ごしらえって?」

「寮の夕食までまだ時間があるからさ。何かお腹に入れておきたいんだ」


 そう言われたエリスがシオンの指差す方へ視線を向けると、そこには一軒の屋外売店があった。

 看板のメニューには、飲み物やサンドイッチ、ドーナツ、フレンチフライなどが並んでいる。


(シオンは食べ盛りだものね。そういえばエメラルド宮にいた頃、殿下と同じくらいの量を食べていた気がするわ)


 シオンの現在の身長は170センチに満たないが、きっとまだまだ伸びるのだろう。


 そんなことを考えながら、エリスはシオンと共に売店に向かう。


 そうして、列に並んだまでは良かったのだが――。



「……っ」

(何かしら。……何だか、急に胃がムカムカするわ)


 列に並んですぐ、エリスは突如として、言いようのない気持ち悪さに襲われた。


 売店から漂ってくる油の匂いのせいだろうか。


 最初はすぐに収まるだろうと考えていたエリスだが、その気持ち悪さは収まるどころか酷くなり、ものの一分も経たないうちに強烈な吐き気へと変わっていく。


 そこでようやく、エリスは自身の身体の異常に気が付いた。

 明らかに、何かがおかしい、と。


(……吐き、そう)


 気持ちが悪い。頭が痛くて、耳鳴りがする。

 目の前がくらくらして、今にも倒れてしまいそうになる。


 ――とにかく、気分が悪い。



(……急に、どうしたのかしら)



 さっきまでは何ともなかったのに、いったい自分はどうしてしまったのだろう。


 エリスは、込み上げる吐き気と、段々と遠ざかる意識の中、自身の異常を伝えようと、半歩前に立つシオンの腕に必死に手を伸ばした。


 本当は名前を呼びたかったが、声を出せばたちまち、えづいてしまいそうだったからだ。


(……シオ……ン) 


 エリスの右手が、何とかシオンの腕を捉える。

 けれどもう、限界だった。


「……っ」

(ああ……もう、無理……)


 どうにかシオンの腕を掴んだまではいいものの、最早立っていることもままならず、エリスはズルズルとその場に崩れ落ちる。


 するとシオンは、腕を掴まれたことでようやくエリスの異常に気が付いて、ギリギリのところでエリスの身体を抱き留めた。


 ――が、そのときにはもう、エリスは意識を手放した後だった。




「……姉さん?」




 瞬間、シオンはさぁっと顔を青ざめる。


 腕の中で力なく項垂うなだれるエリスの姿に、シオンは全身の血の気が引くのを感じた。


「姉さん……? ねえ、どうしたの? ……姉さん、――姉さんったら!」


 慌てて声をかけるが、エリスは小さな呻き声と共に瞼をわずかに震わせただけで、目覚める気配はない。


「――ッ!」

(どうしよう、どうしたら……)


 シオンは焦りと恐怖のあまり、地面に膝を着けた体勢のまま、ブルブルと身体を打ち震わせる。


(……とにかく、病院。……そう、病院に……。でも、ここから一番近い病院って……)


 シオンはエリスの身体を抱き締めながら、図書館周辺の地図を必死に思い浮かべようとした。


 けれど、どうしても上手くいかない。覚えたはずの地図なのに、少しも思い出すことができないのだ。


「……くそッ」



 もしも倒れたのがエリス以外の人間だったなら、シオンはいくらでも冷静に対処できただろう。

 周りに協力を求めるなり、容態を正しく観察するなりできたはずだ。


 病院の場所だって、辻馬車の御者に「一番近い病院に向かってくれ」と伝えれば済む話。


 けれどエリスのこととなると、シオンは全く冷静さを保つことができなかったのである。

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