魔女よ、今夜お前を殺しにいく

DM

出会い(1)

 遠くで、パトカーのサイレンが聞こえた。

 ネオン灯に負けない赤色灯が、人々の頬の上を乱反射しながら、その視線を集めて回っている。

 囁き声にしか聞こえなかったサイレンは、徐々に音量を増し、人や車を押しのけながら、段々と誠人まことの方に向かってきていた。


 深夜の新宿の繁華街だ。

 パトカーなど、誰もが見慣れた存在だったが、それでも数台のパトカーが右から左からと集うさまは、さしもの新宿といえども異様な空気を醸し出していた。

 ふいに、けたたましく鳴っていたサイレンが、その音をひそめた。

 入り組んだ裏路地に入り込み、静かに一棟の建物を目指して移動していく。その時、誠人のそばを通り過ぎた。

 飲食店がひしめき合う暗い路地裏にしゃがみこみ、ひどい苦痛に目眩を覚えながらも、誠人はじっと息を潜めて、この様子を見守っていた。


 パトカーは、野次馬の視線を無視して、ラブホテルの前に車を止めた。

 姿勢よく、何名かの制服警察官が降りていき、吸い込まれるようにそのホテルの中に入っていった。

 突然の警察官の登場に、後ろ暗いところがあるもの、ないもののいずれも色めき立ち、遠巻きにラブホテルの様子を見始める。中には愉快そうにスマホのカメラを向けるものもいた。


 なに?なんかあったの?


 話し合う声はそればかりだ。遅れて、救急車も到着する。慌ただしく、ストレッチャーを引いて中に入っていく。


 事件?殺人事件かな?


 息を飲んで、誠人もことの成り行きを見つめた。誠人がいる、従業員が通ることしか想定していないその路地は、休憩の合間に吸われたタバコの吸い殻だけでなく、吐き出された痰や捨てられた生ゴミの異臭が立ち込めていた。そんな場所に座り込む誠人のことを、ほとんどの人は気づかないか、気づいていても見なかったふりをしていた。時々、酔っ払ったカップルが気色悪そうに視線をよこし、言わなくてもいいのにわざわざ「キモ。やばくね?」と笑いながら去っていた。そのたびに誠人は、酔っ払った人のふりをした。


 まもなく、慌ただしくストレッチャーを押した救急隊が出てきた。

 野次馬が一斉にスマホを向ける。

 しかし、救急隊の鉄壁のガードで、搬送される人の様子はよく分からない。生きているのか死んでいるのか、男なのか女なのか、誰の目にも入らないまま、救急車の中に運び込まれた。


 なんだよ、全然見えない、と不満を口にする野次馬に反して、その瞬間を見た誠人は、心の底から安堵した。


 !これでもう、大丈夫。


「うっ……ぐ、げえっ……!」

 途端に、極度の緊張から抑え込んでいた吐き気と痛みが誠人を襲う。四つん這いになり、そのまま、みっともなくそこで嘔吐した。といっても今は二十三時。食べたものはもはや胃には残っておらず、胃液だけが喉を焼き、アスファルトに汚らしい染みを作った。


 ああ、だからのに。毎度後悔するのに、ばかみたいだ。

 体調は最悪だが、わずかな達成感が心の底で輝いた。激しい後悔の波ばかりが何度も何度も襲ってくるが、それでも、どこか、悪くない気分だった。

 ――いや、やっぱ悪いわ。全然無理。全身痛いし目眩はするし、吐きたいのに胃液しか出ないくて苦しいし、もう最悪。二度とするかこんなもん。


 もう何度したか覚えていないほどの固い決意を、凝りもせず自身に誓っていると、ふと、背後に誰かの気配を感じた。

 とうとうこの店の従業員が、店の裏で吐いているやつがいると気がついて、文句を言いに来たのかもしれない。

(まあ、これだけ吐いてりゃ、誰だって気付くか)

 とはいえ、すぐに移動することは体力的にもできそうにない。

 怒られることを覚悟して、同時に、今しばらく多めに見てもらいたくて、誠人は頭を下げる準備をしながら振り向いた。


 振り向いて、謝罪の言葉を飲み込んだ。

 そこには、ゆうに百九十センチはある、大男が立っていた。


 息をのみ、誠人は彼を見上げた。

 男は、無言で誠人を見下ろしていた。


 オーバーサイズの白いパーカー。ラッパーのように、キャップとフードを重ねて被り、胴体より長い足を、優雅に開いてそこにいた。体のラインを拾いにくい服装であっても、その下に、鍛え抜かれた肉体があると見て取れた。


 重苦しい沈黙の中で、誠人は、この男に見覚えがあることに気がついた。

 アルバイトしているコンビニに、最近よくくる客だった。

 客として来ている時は、まるで童話から出てきた王子様のように、美貌をふりまき微笑んでいた。あらゆる人が彼を見たが、それに気づいているのか、当たり前のことすぎるのか、無邪気に友人たちとふざけ合い、しかし、レジまで来ると、しごく丁寧に、「お会計、お願いします」と商品を差し出す男だった。


 今、眼の前にいるこの男は、猛獣のように鈍く瞳を輝かせ、残忍な笑みで誠人を見ていた。

「……最高だ」

 静かな興奮をもって、底冷えする美声が響く。

 最低だ――。

 誠人の本能とも呼べる部分が、「もう逃げられない」と叫んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る