追放令嬢の『曰くつき』鑑定録~ハズレスキルだと思ったら、冷徹な宮廷魔術師様に「君の力が必要だ」と溺愛されています~
☆ほしい
第1話
ひんやりとした空気が私の肌を撫でる。
王宮の地下。
その最下層に追いやられた『呪物保管庫』が、今の私、アネリーゼの職場だ。
分厚い石壁に囲まれたこの場所には窓一つない。
灯りは壁に等間隔でかけられた魔道具のランプだけ。
その青白い光が、棚に並ぶ曰く付きの品々を不気味に照らし出している。
呪われた武具。
持ち主を不幸にする装飾品。
邪悪な儀式に使われた道具。
そんな誰もが触れたがらない物を管理し記録するのが私の仕事。
「……よし、これで今日の分は終わり」
私は羽ペンをインク壺に戻し、黒い腕輪のスケッチと来歴を記した羊皮紙をそっと横に置いた。
物に触れると、その記憶が視える。
『サイコメトリー』と呼ばれるその能力は、私にとって祝福ではなく呪いだった。
幼い頃はまだ良かった。
友達のぬいぐるみに触れれば、その子がどれだけ大切にしているか視えて微笑ましい気持ちになったこともある。
けれど成長するにつれて、視える記憶はどんどん鮮明になった。
そして無遠慮に頭の中へ流れ込んでくる。
他人の悪意、嫉妬、悲しみ。
それらが激しい頭痛と共に私を苛むのだ。
そんな力のおかげで私はずっと独りだった。
気味悪がられ、誰からも距離を置かれた。
そして挙句の果てには嫉妬深い義姉の策略で濡れ衣を着せられる。
母の形見である宝石を盗んだという罪で、実家の伯爵家から追放されてしまったのだ。
行く当てのない私に父が唯一用意してくれたのがこの職場。
「お前のその忌まわしい力が唯一役立つかもしれん場所だ」
そう吐き捨てた父の冷たい目を、私はきっと一生忘れられない。
でも仕方ない。
ここで働くしかないのだから。
私は立ち上がり、記録を終えた腕輪を元の棚に戻そうと慎重に持ち上げた。
その瞬間、ズキンと鋭い痛みがこめかみを走る。
『……コロシテヤル……!』
腕輪から流れ込んでくるどす黒い憎悪の感情。
私はぐっと奥歯を噛みしめ、その残留思念を振り払った。
慣れてはきたけれど、この頭痛だけはどうにもならない。
毎日毎日、呪物に込められた負の感情に当てられ私の心は少しずつすり減っていく。
そんな時だった。
ガシャン!
地下へと続く重い鉄の扉が乱暴に開け放たれる音が響いた。
「おい! 記録係の女はいるか!」
聞こえてきたのは荒々しい男性の声。
私はびくりと肩を震わせそちらに視線を向けた。
そこに立っていたのは立派な鎧に身を包んだ三人の王宮騎士。
皆、険しい顔で私を睨みつけている。
「は、はい……私ですが……」
何事だろう。
私が何か失態を犯してしまったのだろうか。
おどおどと返事をする私に、騎士の一人がずかずかと近づいてくる。
「貴様、アネリーゼ・フォン・ベルクマンだな。正直に答えろ。宝物庫に封印されていた『紅涙の首飾り』をどこへやった!」
「こ、紅涙の首飾り……?」
聞き覚えのない名前に私は首を傾げる。
この保管庫にある呪物はすべて私が記録している。
そんな名前の物は私の記憶にはない。
「しらばっくれるな! あれは隣国との友好の証として贈られた国宝級の品だ! それが今朝になって台座から忽然と姿を消した! この地下保管庫に出入りできるのは管理者である我々と記録係のお前だけだ!」
騎士の怒声が保管庫に響き渡る。
どうやらこの場所にあった物が盗まれたらしい。
そして私がその犯人だと疑われているのだ。
「わ、私は何も盗んでいません! 本当です!」
必死に首を横に振るが騎士たちの疑いの目は晴れない。
「ふん、罪人が素直に罪を認めるとは思えん。だが言い逃れはできんぞ。お前の部屋も既に見張りを付けてある」
「そ、そんな……」
絶望的な状況に目の前が暗くなる。
まただ。
またこうやって私は何もしていないのに罪を着せられる。
義姉に陥れられた時と同じだ。
誰も私のことなんて信じてくれない。
涙が滲み声が震える。
言い返したいのに言葉が出てこない。
私のそんな態度がさらに騎士たちの心証を悪くさせたのだろう。
「やはり、こいつが犯人で間違いないな。おい、連れていけ」
「は、はい!」
両脇から腕を掴まれ、私はなすすべもなく立ち尽くす。
嫌だ。
捕まりたくない。
そう思っても力の弱い私に抵抗する術などなかった。
ああ、私の人生、もう終わりなんだ……。
諦めかけた、その時だった。
「待て」
凛として、それでいて氷のように冷たい声がその場に響いた。
その声を聞いた瞬間、騎士たちの動きがぴたりと止まる。
彼らだけでなくこの場の空気そのものが凍り付いたようだ。
ゆっくりと顔を上げると、騎士たちの後ろに一人の男性が立っていた。
腰まで伸びた美しい銀の髪。
夜の湖面を思わせる深い瞳。
雪のように白い肌はまるで作り物のようだった。
その人間離れした美貌と、周囲を圧倒する冷徹な佇まいに私は息を呑んだ。
彼が着ている豪奢なローブは王国でも最高位の魔術師だけが着用を許される物。
「ヴ、ヴァレリウス様……!?」
騎士の一人が上ずった声でその名を呼んだ。
ヴァレリウス。
その名前を知らない者はこの国にはいないだろう。
王国史上最年少で宮廷魔術師長に就任した天才中の天才。
けれどその性格は冷徹で合理主義の塊。
他人には一切関心を示さず、魔法の研究にしか興味がないと噂の人物だ。
そんな雲の上の人が、どうしてこんな場所に?
ヴァレリウス様は私を掴んでいる騎士たちを一瞥し、それからゆっくりと私に視線を移した。
その紫色の瞳に見つめられ心臓が大きく跳ねる。
まるで心の奥底まで見透かされているようだ。
「……何故、宮廷魔術師長たる閣下がこのような場所に?」
騎士隊長と思しき男性が恐る恐る尋ねる。
「『紅涙の首飾り』が盗まれたと聞いてな。あれには少々厄介な呪いがかかっている。私の管轄でもある」
ヴァレリウス様は淡々と答え、悠然と歩みを進める。
彼は騎士たちを押しのけ、首飾りが置かれていたという空っぽの台座の前に立った。
そしてその台座にそっと手をかざす。
彼の掌から淡い光が放たれ、台座の周囲に魔力の名残がないかを探っているようだった。
しばらくして彼は手を下ろす。
「……なるほど。犯人はかなり腕の立つ魔術師のようだな。痕跡を綺麗に消してある」
「では、やはり魔術師の仕業……しかし誰が一体……」
「それはこれから調べる」
ヴァレリウス様はそう言うと今度は私の方へ向き直った。
そしてまっすぐに私の元へと歩み寄ってくる。
「ひっ……」
思わず小さな悲鳴を上げた私を彼は無感情な瞳で見下ろした。
「君がアネリーゼ・フォン・ベルクマンか」
「は、はい……」
「君には『サイコメトリー』の力があるそうだな」
その言葉に私は目を見開いた。
どうして彼が私の能力のことを?
私の能力は忌み嫌われるものだ。
父でさえその存在を隠したがっていたのに。
私が驚きに固まっていると彼はさらに続けた。
「その力で頭痛に悩まされていると聞いている。違うか?」
「……っ!」
何故そこまで知っているのだろう。
私の反応を見て彼は小さく頷いた。
「この女は犯人ではない」
ヴァレリウス様はきっぱりと言い放った。
その言葉に私だけでなく周りの騎士たちも驚きの声を上げる。
「し、しかしヴァレリウス様! こいつが一番怪しいというのは状況から見ても明らかで……!」
「合理的ではないな。彼女ほどの低位の魔術能力者が私の張った封印結界を破れるとでも? 痕跡を消し去るほどの隠蔽魔術が使えるとでも?」
冷たい声で論破され騎士はぐっと言葉に詰まる。
ヴァレリウス様はそんな彼らにはもう興味がないというように、再び私に視線を戻した。
「アネリーゼ。君に一つ頼みがある」
「……え?」
「その台座に触れてみてくれ」
彼の言葉に私は息を呑んだ。
「で、でも……私、物に触ると……」
「頭痛がするのだろう。分かっている」
彼はそう言うとおもむろに私に手を伸ばし、その冷たい指先で私の肩にそっと触れた。
その瞬間、ふわりと温かい魔力が彼の手から私の中に流れ込んでくる。
それは今まで感じたことのない優しくて穏やかな力だった。
「私の魔力で君の負担を軽減する。一時的なものだが頭痛は起きないはずだ」
「だから恐れずに触れてみろ。そして君に視えたものをありのまま私に話してほしい」
その紫色の瞳が真っ直ぐに私を射抜く。
その瞳には私を疑う色も気味悪がる色もなかった。
ただ純粋な興味と……期待のようなものが宿っているように見えた。
誰もが忌み嫌ったこの呪われた力が役に立つというの?
この雲の上の人が私の力を必要としている?
信じられない思いで私はこくりと頷いた。
騎士の手を振りほどきおそるおそる台座へと近づく。
そしてごくりと唾を飲み込み、震える指先でそっと台座に触れた。
瞬間、いつもなら襲ってくるはずの激しい頭痛はない。
代わりにいくつもの映像が穏やかに頭の中に流れ込んできた。
――それは『紅涙の首飾り』の記憶。
作られた時からずっと込められてきた人々の想い。
称賛、羨望、そして……深い、深い悲しみ。
『……帰りタイ……故郷ニ……』
首飾りに宿った誰かの悲痛な叫びが聞こえる。
そして最後に視えたのは、フードを目深にかぶった黒いローブの人物。
その人物が台座から首飾りを持ち去る一瞬の光景。
「……黒いローブの人が……首飾りを……。それにこの首飾りは……とても悲しんでいます……故郷に帰りたいって……」
視えたままを口にすると、騎士の一人が「何を馬鹿なことを」と鼻で笑った。
だがヴァレリウス様だけは真剣な表情で私の言葉に耳を傾けていた。
「……そうか。犯人の姿が視えたか。そして物の感情まで読み取れるとはな」
彼は満足そうに頷くと私の肩から手を離した。
そして呆然としている騎士たちに向き直り宣言する。
「この事件の捜査は私が引き継ぐ。そして彼女、アネリーゼ・フォン・ベルクマンを私の直属の協力者として任命する」
「なっ……!?」
騎士たちが一斉に驚愕の声を上げた。
私も自分の耳を疑う。
協力者? 私がこのヴァレリウス様の?
「異論は認めない。これは宮廷魔術師長としての命令だ」
有無を言わせぬその言葉に誰も反論できない。
ヴァレリウス様は呆然と立ち尽くす私の前に再び立つとその美しい顔をわずかに綻ばせた。
それは本当に僅かな、他の誰にも気付かれないほどの小さな笑みだった。
「君の力は呪いなどではない。王国にとって、そして……私にとって必要な力だ」
そう言って彼は私に手を差し伸べる。
「さあ行こう、アネリーゼ。君の本当の価値を私が証明してやろう」
差し出された大きくて綺麗な手。
私は夢を見ているような心地で、恐る恐るその手に自分の手を重ねた。
彼の冷たい指先が私の指に絡まる。
その瞬間、私の心に何年かぶりに温かい光が差し込んだような気がした。
追放され全てを失ったと思っていた私に訪れたあまりにも突然の転機。
この人の手を取れば、私の呪われた人生も少しは変わるのだろうか。
冷徹な宮廷魔術師様と呪われた令嬢。
二人の出会いが王国の運命を大きく揺るがすことになるのを、この時の私はまだ知らなかった。
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