第三十三話

 何時にない剣呑な様子に、夕霧も少したじろぐ。しかし、彼から目を逸らすことはしなかった。


「君の命より優先される情報など、あるものか。馬鹿も休み休み言え」

「しかし、それでは私めの勤めを果たすことができませぬ」

「勤め?」

「貴方様のお役に立つことができなければ、こちら側の責による契約不履行と相成りましょう。それでは、私めがここにいる意味もなくなりまする」

「なんだ、後々屋敷を追い出される心配でもしていたのかい? 僕のほうから行動制限を強いているのに、それを理由に君を役立たずだと糾弾するつもりなどないよ。安心してここにいるといい」

「私めの身など、どうでもよいのです! しかし、父母の生活の保証を唐突に打ち切られたのでは、如何いかんともし難い状況へ陥ってしまいます!」

「同じことだ。そちらもめたりはしないよ。頼むから少し落ち着いて──」

「ならば尚のこと、私めに責務をお与えください。無償で対価を受け取るわけには参りませぬ。低能かつ無価値な私めは、この身を粉にして働くことでしかお返しできないのですから……っ!」


 気味の悪い力を宿す自分を頑張って愛そうとしてくれた両親へ、まともに親孝行する方法を見つけられなかった。


 自分の身柄を引き取ってくれた遊郭街の皆へ、一端いっぱしの遊女となって恩返しすることもままならなかった。


 たくさんの人々に支えられながら生かされている自覚があるのに、その人たちへ何一つ義理を果たすことのできない自分が、嫌で、嫌で、堪らなかった。


 才も財もない半端な自分が、それでも他者のために何事かを成そうと思うなら、手段は選んでいられない。ただただ「頑張る」しかないのだ。脇目も振らず、なりふり構わず、一心不乱に、目の前のことを頑張る。それが自分の限界だと、夕霧は理解していた。


 だからこそ、求められた働きもせず、与えられるまま恵まれた生活を享受する日々を過ごすなど、到底受け入れられるものではなかった。そんなことをしてもらえるほどの価値がある人間ではないのだから──。


「……ああ、そうか。だ。ようやく見つけた」


 夕霧の、決死の訴えを聞き届けた鉄が、そう小さく零した。


 意味が分からず返答の言葉に詰まる夕霧。すると、鉄は徐に立ち上がって夕霧の元へと歩み寄り、ふすまの上から優しく抱き締めてきた。


「君の異様なまでの勤勉さ。その根底にあるものは、『私なんか』と自分を卑下する気持ちだね」

「……!」


 厚みのある衾を介しているため、心の声は聞こえない。鼓膜を揺らす声だけが、夕霧に真っ直ぐ届いた。


「持って生まれた特異な力を、上手く飼い慣らせなかったせいなのかな。君は自分に価値がないと思い込み、他人からの好意を受け取るに値しない存在だと位置付けている。そのくせ、自分は他人のために頑張り過ぎてしまうのだから、始末が悪いね」

「っ…………」

「ねえ、夕霧。君は遊郭街を出て、この屋敷へ来てから、何を感じた? 僕や奉公人の皆と接する中で、心が動く瞬間はなかったのかい? そうだとしたら、それは僕たちの力不足だ。何せ、僕たちは純粋に君と仲良くなりたい一心で接していたのだから」

「……私めと、仲良く……?」

「ああ。君が自然と肩の力を抜き、心を休められる場所になりたいと思っていた。寂しい思いも、つらい思いも、大変な思いもさせたくなかったんだ。しかし、ここまで伝わっていないとなると、何だかもう、いっそ笑ってしまうな。……いいかい? 僕たちの中に、君を疎ましく思っているやからなどいないよ。まして、価値がないだなんて滅相もない。僕の妻は、思い遣りがあって、知的で、家庭的で、何事にも一生懸命で、ふとした瞬間の仕草や表情が愛らしくて、こんなにも魅力溢れる人なのに」


 幼い子供に言い聞かせるかのような口調で、魅力とやらを列挙される。穏やかな声が耳を通過する度、頬が熱を帯びた。心臓が強く、早く脈打つ。彼との間に衾があるのが寂しくて、さりとて今、彼の本心に触れるのは何だか怖くて。夕霧は体を動かせずにいた。


「わ、私めは、そのような高尚な人間などでは……っ」

「今のが高尚に聞こえるのか。重症だなあ」

「それに、本来であれば、鉄様の妻を名乗る資格もございませぬ……」

「僕が許可しているはずなのだけれどね。先日も伝えた通り、君が僕を主人と呼んでくれたこと、すごく嬉しかったよ。自分は朝比奈夕霧だと、ぜひとも街じゅうで触れ回ってくれ。……ははは、朝だか夕だか分からない、愉快な名前だね」


 鉄の上機嫌な笑い声が、夕霧の中の焦燥感を溶かした。代わりに何やら温かなものが注ぎ込まれ、全身が沸騰しそうなほどに熱くなっている。この熱も、彼に伝わってしまっているのだろうか。


 心の声を聞いたわけではないけれど、鉄が嘘を吐いたようには思えない。少なくとも、今すぐに契約の打ち切りを言い渡される心配はなさそうだと分かり、夕霧は胸を撫で下ろした。

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