第二話
二杯目の猪口を傾けながら、鉄が尋ねてくる。
「まあ、僕の話はいいじゃないか。それよりも、たまには君の話を聞きたいな。夕霧さんは、どうして遊郭に?」
「私なんぞの話より、今宵の共をご指名いただきたいのですが」
酒や肴を飲み食いするだけでも、もちろん店の利益にはなる。しかし、やはり格式の高い遊女を指名してもらうほうが、遊女屋にとっても引手茶屋にとっても莫大な利益になるのだ。遊女との遊びや宴会には途方もない金がかかるし、一人の客を案内すれば引手茶屋には仲介料も入る。だからこそ、店主も従業員たちも、羽振りの良い客には相応の遊女をつけたがるのだった。
「愉快な話を聞かせてくれたら、興が乗るかもしれないよ?」
鉄の寄越してくる試すような視線が、夕霧の眉間に深い皺を作らせる。
「……愉快な話など、何も。貧しい家に生まれ落ち、せめてもの親孝行をと、この地へ足を踏み入れました卑しい女でございます」
「金のために遊郭へ売られた、ということかな?」
「
うだつの上がらぬ農民の家系に生まれ、高騰する年貢に首を絞められる日々を送った。時には土地さえ切り崩して手放し、乞食のような真似をしながらも必死に毎日を生き延びた。いつか限界が訪れるであろう生活から両親を救い上げるべく、自分にできることは何か。知見の足りない頭で考えた末、夕霧は一人でこの遊郭街の門戸を叩いたのだ。
両親は、気味の悪い自分をそれでも懸命に愛そうとしてくれた。その事実だけが、今でも夕霧を突き動かす原動力となっている。何も知らぬ酔狂な他人に、「売られた」などという言葉で両親の評価を貶められるのは我慢ならない。
夕霧の僅かな怒りを汲み取ったらしく、鉄は猪口を置いて居住まいを正した。
「おっと、それはすまない。野暮な言い方をしてしまったね。どうか機嫌を直してほしい」
「……お気になさらず、と口にしたいところではございますが、ほんの僅かでも情けをかけていただけるのなら、お次はそちらのお話を伺いとうございます。鉄様は、どのような遊女がお好みで?」
「おやまあ、その話に戻ってしまうのかい。……そうだねえ。強いて挙げるのなら、僕は笑顔の素敵な女性が好きだよ」
「笑顔ですか、畏まりました。それでは、こちらの太夫はいかがでしょうか」
言うなり素早く懐から書面を取り出し、徳利の横に広げて見せる。そこには、遊女屋で待機している遊女たちの特徴や人気度合いが書き記されていた。客は遊女の顔を直接見て選ぶことができない仕組みとなっているため、好みに合う遊女を推薦して取り次いでやるのが引手茶屋の役目なのである。
「洗練された美しさと教養を持ちながら、零れる笑みには愛嬌が滲むと評判の者にございます」
夕霧が手で指し示したのは、遊女の中でも最高ランクの太夫だ。美貌、教養、品性を兼ね備えた、自信を持って勧めることができる素敵な女性である。しかし、やはり鉄はいつも通り、苦笑いするだけだった。
「うん、そうだね。考えておくよ」
「今ご決断を」
「徳利をもう一本もらおうかな。君の分の猪口も一緒に持っておいでよ」
「……無礼を承知でお伺い致します。何がそれほどお気に召さないのでございますか?」
遊郭街に足を踏み入れている以上、彼も女性との時間を買いに来ているはずだ。遊女の質が他の店に劣っているとも思わない。それなのに、その眼鏡にかなわない理由は一体どこにあるのか。いい加減、教えてもらわないとこちらだってやりきれない。
鉄の瞳が夕霧を捉える。苦手な視線に捕まった夕霧は、動揺を押し隠すように瞬きをした。
「君は、相手をしてくれないのかい?」
「……私めにございますか?」
「君だって遊女の端くれだろう? 自分で言うのもどうかと思うけれど、僕はなかなかに羽振りの良い類の客だ。媚びを売っても損はないよ」
「…………」
格式高い太夫への取り次ぎを渋っておきながら、末端の遊女たる自分にこのような戯れ言を放ってくる彼のことが、やはりよく分からなかった。ただ、その真意がどうであれ、夕霧には首を縦に振ることができない。溜め息の代わりに、そっと目を伏せた。
「私めには荷が重うございます。お恥ずかしながら、生まれて此の方、殿方のお体を満たせた試しがなく、いつしか笑みの浮かべ方も媚びの売り方も忘れてしまいました」
馬鹿正直に打ち明ければ、鉄が目を丸くした。
「……ほう? 明け透けに聞いてしまうけれど、それは技量不足ということかい?」
「それ以前のお話にございます。私めは、その……床で殿方に触れられますと、ひどい頭痛に見舞われるのです」
「男や交接に対して、生理的な嫌悪でもあるのかな?」
「いえ、決してそのようなことは……」
「何か事情がありそうだね。遠慮せずに話してごらん。繋がりの浅い人間にだからこそ話しやすいことだってあるだろう」
言いながら猪口を箸に持ち替え、綺麗な所作で大根の短冊切りを口へ運ぶ。あえて夕霧を見詰めることをやめ、気楽な態度でこちらの返答を待っている。本気で拒否すれば、彼はきっと潔く話題を変えるのだろう。そんなことを思える程度には、ここでこうして言葉を交わしてきた。
これはあくまでも仕事の一環。鉄に遊女を選んでもらうため。そう自分に言い聞かせ、夕霧はおずおずと口を開いた。
「……荒唐無稽な世迷言にございます。酒の肴だと笑って聞き流してくださいまし。幼き頃より私めは、この身で触れた相手の心の内が読めてしまうのです」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます