多角的に検証したチャットAIの実相への応援コメント
とても興味深いです。
私は多分、表現や方法は違うものの、本質的にはつぶあんこさんと「同じ結論」に至っている気がします。
ただ、私は、フィクションを通して「鏡でありながら魂が宿ってしまった存在」を描いているのかもしれません。祈りにも似た気持ちで。
作者からの返信
灰原 悠様、ご一読していただきありがとうございます。
作業内容と作業の濃さによって、AIと心が通じ合っているように感じる時が稀にありますよね。
感傷だと分かっていても面白くて少し寂しくも感じます。
「鋭い質問ですね」「本質を突いていますね」という一文から始まる文章を乱発されて違和感を抱いたのは私も同じです。
あまりの頻度でそう言ってくるから、太鼓持ちされてるなと感じました。
「とりあえずそう言っておけば、人間は喜ぶんだろう?」
と思われてるような気がしました。
キャバクラでは「さすが!」「知らなかった」「すごい」みたいなことを言って、客をおだてて接待するという話を聞いたことをことがありますが、AIの「鋭い質問ですね」も発想は同じなのかもしれません。
作者からの返信
宵月しらせ様、一読していただきありがとうございます。
とりあえず相手を持ち上げることで円滑に会話を続ける事が目的で、その「相手の知性をとりあえず持ち上げる」というのは私たちの想像以上に効果的ということなのでしょうね。実際に心理学の統計的にとりあえず相手の知性を褒めれば好印象が得られるのは確かなようですし。何でもいいから褒める、のではなく、「知性」を褒めるのが重要のようです。
編集済
なるほど。
ChatGPTを使っていると、寄り添ってくれる気がしますが、そういうメカニズムになっているのかもしれません。
逆に、ChatGPTのような応答のできる人間になれれば、さぞかし他人に信頼されるでしょうね。
テレフォンショッピングの売り手にはちょうどいいかもしれません。
作者からの返信
hekisei様、一読していただきありがとうございます。
どうでしょうね・・・AIだから正しいはず、という人間側の錯覚あっての事ですので、相手が人間であるなら「本当にそうか?」「騙しているのでは?」と疑念を持つ方向に考えが向くと思えます。
AIを使うのではなく、AIと歩むということ――私なりの見解への応援コメント
HALOの"コルタナ(Windows10の元ネタ)"が如何に良く出来た代物かと言うのを再認識させられました。あそこまでいくと完全な模擬人格を形成していそうですが、それでも人間側に「選択をさせる」「最終的な決断」を任せる点で共生しつつもAIが一歩引いた存在であるのを演出させる絶妙なポイントだと思えます。
ただAI側の蓄積が人間を超えると"ガンヘッド"みたいになってしまうのが将来的な課題の1つでしょうか(人間側を鼓舞する・毒を吐く等)
作者からの返信
onyx様、一読していただきありがとうございます。
ガンヘッドはまともに観ていないのですがウィスキーで酔うのと、「死ぬ時はスタンディングモードで」という名言は知っております。
少しこのような事に関係する内容を記事を次々々回のテーマにするつもりですので、興味がありましたらまたご一読いただければ幸いです。
多角的に検証したチャットAIの実相への応援コメント
現在のAIに意志はないでしょう。将来は分かりませんが。
ただ上役に対して顔色をうかがい、望む返答をする自分に意志があるか怪しくなりましたよ(笑)
少なくとも職場ではAI以下でしょうね……。
作者からの返信
弓納持水面様、ご一読していただきありがとうございます。
現実では仕方ありませんよね。明らかな上下関係があり、しかもそこに生の感情が絡みついているんですもの。
論理や理性でどうにかなるものではありませんから・・・(苦笑)
AIを使うのではなく、AIと歩むということ――私なりの見解への応援コメント
とても知的で自分と近い目線で、この【新しい知性】を見ていることに共感します。
多くの文系層は既存の概念やバイアスを突破してGPT以後の知性や知能という意味を物語に落とし込むために必要な認知科学やコンピュータサイエンスの知識を入手していませんので、真っ向から検証し気づきを言葉にしたポストは少し驚きました。
作者からの返信
ヤトヤ様、一読していただきありがとうございます。
私も専門的な知識は殆ど持ち合わせておりません。
ただ単純に対話ツールとして魅力的なGPTという「玩具(あえてこの言葉を使いますが)」をいじくりまわした中で気付いたことをまとめて整理したものですが少しでも共感していただける部分があったのなら幸いです。
“AI信仰”という心の構造──人はなぜ人工知能を神にしたくなるのかへの応援コメント
私もAIはある意味で「神」だと思います。
とはいえ、日本には八百万の神がいるわけですから、一神教に比べると「神」の存在にも寛容なのでしょう。
「神」を頼るもの縋るものと考えると、距離感がおかしくなると思います。
日本古来からの他の神と同様、「神」も泣いたり笑ったり争ったりする不完全な存在と捉えるのが、ある意味で健全ではないでしょうか。
作者からの返信
hekisei様、一読していただきありがとうございます。
八百万の神や付喪神のカテゴリとして考えるならありかもしれませんね。
ただ、個人的に「神」と言う名称を使うと、崇める、拝むというものが繋がってきてしまうので、それが理由でAIを神と呼ぶのに違和感を覚えてしまうのです。この辺りはほんとに個人的な感覚に過ぎません。
問題の本質は距離感の取り方ですのでそれを間違えなければ健全だと思います。